第26話:覗く

 紅谷べにや晶介しょうすけ。お染さんの想い人。

 職業は、寛光大学の文系・理系組向けの図書館を運営管理する司書さん的存在(正式名称を知らないのだ)。

 あだ名はニヤニヤ陰陽師。

 いつも愉しそうに笑っていることと、の響き、そして本物の陰陽師であることからの名称だ。

 ちなみに年齢不詳(少なくとも60歳以上生きていることだけは確定)で、見た目年齢は30に差し掛かるかどうかくらい。特に柄や目立つ色のないグレーのスーツとベストというシンプルな服装ながら、いつもシワなく清潔に着こなしており、成長した文学青年といった趣きである。

 苗字が示すかのごとく、赤みがかった黒髪が目立つが、そのほかは異種族的あるいは神秘寄りな特徴はみられない。

「……」

 女子会の翌日、2限のティーチングアシスタントを終えた俺は、彼の縄張りに足を踏み入れていた。

「……おやおや光太くん。今日はどうしました?」

 図書館のあちこちにはお札や折り紙が配置されており、彼はどこにいても来館者をすぐさま検知する。

 今回は入り口からすぐのカウンターにいたので声をかけてくれたようだ。

「本を返しに。そんで、いい感じの本を借りていきます」

 借りていた統計学の本と育児系の本数冊をカウンターに載せる。

「ほうほう。……またお子さんができましたかぁ?」

「うべっふ……!!」

「ははは、ウケる」

 小声で聞かれたというのに、俺は思い切りむせてしまった。

 ニヤニヤ陰陽師の本領発揮ということか、とても楽しそうだ。

「ところで、メカトロニクス系の本が入荷してますよ。画像多めな図鑑みたいなやつ。F8の棚に並んでますのでぜひ」

 一方でミオが好きな本をさらりとオススメしてくれたりもする。

「……ありがとうございます……借ります」

 利用者一人一人の事情を思い遣って本を取り揃え、学びを得ようとする者に力を尽くす。そんな彼が司書として凄腕なのは間違いない。

 位置的には奥の方にあるF8の棚に向かうついでに、興味惹かれる本を探して図書館をあらかた一周して戻ってきた。

 おすすめされたメカトロニクスの本や、人魚についての本などを手に取り、カウンターで貸し出し手続きをしてもらう。

「期限は2週間。どーぞ」

「あざす」

「ああ、そうそう」

「はい?」

「そのシャツ。似合ってますね」

「……いやー、ははは……」

 たいていTシャツの俺が、本日はポロシャツ。胸ポケットにはボールペンをさしている。

「悪意がなさそうなので見逃しますけど、次はないよ」

「……もちろんです」

 俺は全力で頭を下げ、図書館を出た。

 人気のない場所まで移動し、折り畳み傘で床をつつけば、魔術学部地下に転移する。

「おかえり」

「おかえりい」

 出迎えてくれたのは、マルクトさんとパールさん。

 背丈を越すサイズの木材に二人で線を引いているところだった。

「……帰還しました……」

「? なんだか疲れているね」

「紅谷くんの縄張りに探知機持って突入してもらったの!」

「何をさせている??」

 詰問が始まってしまったので、俺はパールさんへの報告を諦める。

 応接スペースへと向かうと、京とお染さんが話しているところだった。京の隣に着席する。

「おかえり。……何かあった?」

「俺が勝手に緊張しすぎただけだよ」

「……そんなに、難攻不落なの……?」

 お染さんの呟きに苦笑する。

「ある意味そうかもっすね」

「なになに、晶介くんとこ行ってたのー?」

 よりによってイェソドさんがやってきてしまった。彼は何やら黒い土のようなものが入った半透明のタッパーをガコガコ振っている。何をしているのだろう……

 彼についてきたミオは、初対面のお染さんに人見知りしつつ、イェソドさんのシャツの裾をつまむ。

「……伯父様。うるさいから振るのいったん止めて?」

「お、そういやそうだね。みんなごめんよ」

 タッパーに鎖を巻き、近くの棚に置く。雑なのか慎重なのか測り難い扱いである。

「……って、天神族さん? はじめましてー、炉の神イェソドです」

「……はじめまして。染絹です。お染とお呼びください」

「お染ちゃんね。……ミオもあいさつするかい?」

 促されたミオが、ぺこりとお辞儀する。

「ミオです。はじめまして……」

「はじめまして、可愛い妖精さん」

「! ……」

 お染さんの美貌と気品に照れながら俺のところへ駆けてくる。膝に乗った。

 そんな恥ずかしがりを可愛いと思ってくださったようで、お染さんは柔らかに微笑んだ。

 そこへ、説教を終えたらしいマルクトさんと、べそべそ半泣きのパールさんもやってくる。

「……姪孫がすまない」

「あれ、パール何かやったの?」

「光太を陰陽師の縄張りに探知機持たせて送り込んだ」

「おおー。精神明瞭で帰ってきたなら許されたんじゃない?」

「はー……」

 マルクトさんは妖精の中ではいっとう常識的なので、なかなかの苦労人でもある。

 なんとか場をとりなし、パールさんにボールペン型探知機を渡す。彼女はノートパソコンにケーブルでつなぎ、何らかのアプリでもって画面を出した。

 さらに大型モニターに映してみんなに見えるようにしてくれる。

 俺にはよくわからないパラメータが乱舞していたが、何やら操作したかと思えば、動画が映った。大学図書館の映像だ。

 始まりは俺が入り口を通ったところで、カウンターの紅谷さんに声をかけられるのが映っているのだろうと思われた。

 ——折り紙のフクロウがレンズの前を陣取らなければ。

「「!?」」

「かわいい……!」

 俺と京は驚き、折り紙好きなミオがはしゃぐ。

 茶色の紙で折られたフクロウは実に精巧。デフォルメではなくポリゴンにしたかのごとき造形のそれは、表の茶色と裏面の白がフクロウらしく現れるよう工夫されてもいる。

 視点の俺が向きを変えても、羽を動かして映像のど真ん中に居座り続けていた。

「うっわ、仮想防御! すごい! 折り紙の腕前もすごい!」

 パールさんは紅谷さんの技術に興奮しており、イェソドさんも感心したように頷いていた。

「へえ〜……見事な腕前だねえ。時代に合わせてアップデートなんて、なかなかできることじゃないよ」

「……なかなかどころか、千人に一人いればいいくらいの腕だぞ」

 マルクトさんの呟きに背筋が寒くなる。

「ほんとうに陰陽師さんだったんだね……」

「あ、京は知らなかったんだ?」

「ううん。あだ名は知ってたんだけど、あの図書館、《瞳》では……って、光太はなんで知ってるの?」

「何回か陰陽術によるペナルティを受けていたもんで」

「ああ……」

 入学してからしばらく、恩師と言い合って騒いだり、恩師と喧嘩して騒いだりとしていたら、『ペナルティです』と言われたものだ。今でもアホ極まりなくて申し訳ないと思っている。

 フクロウに魅入っているミオを支えつつ、モニタに視線を戻す。

 映像に音はない。しかし、フクロウが中央の真ん前を外れて動いたことで映像内の変化を知る。

 カウンターから離れた俺は、お勧めされた本を取りに行くついでに、館内を巡っていたという旨を伝えると、鑑賞者はそれぞれに頷いた。

 図書館にいる人々の姿はたくさんの人型の紙でくまなく隠され、彼ら彼女らが手にとっている本も幅広のお札で目隠しされている。

 当然ながら、俺が館内を歩いた時にはこんなふうではなかった。

 パールさんの視線に、首を振ることで返事する。

「……あ」

 俺が手に取った本だけは目隠しされない。ミオにおすすめされた本と、人魚についての本。そのラインナップに、周囲からの視線が突き刺さる。

 とことんまでニヤニヤ陰陽師だった。

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