第22話:流れる

 予想に反して溺れることがなかったのは、ユリさんが魔法を使ってくれたから。水中にあって目が見えて呼吸できるのも、体が濡れないのもそうだ。

「……ユリさん、あざす」

「ん」

 抱きつく彼女は震えている。

 羽織っていたパーカーを被せ、周囲を見渡す。

「おお……」

 ユリさんがつくる泡に守られて、視界いっぱいに広がる海の底の景色。近くにある背の高い岩の柱や洞窟は、荒々しい神殿のごとく。遠くには山のようなものも見え、なかなかに幻想的である。

 どこか身を隠せる場所はないかと、神殿を観察していると、シヅリさんから計画。

『……光太、山の方から海神が来るわ』

 顔を上げると、遠くの山から巨大なクジラのようなシルエットが現れて泳ぎ出すところだった。

「えーと……」

 俺の水泳力は、息継ぎありクロールで50mが泳げる程度。潜水で速度を出す泳ぎは得意ではないし、海の神と呼ばれるそれを相手にどうしようもない。

 ユリさんを頼れるかと思ったが、震えがひどくなったのがわかってやめにする。

 頼らずになんとかしよう。

「シヅリさん、転移で」

『……デフラグが尽きたら諦めてね』

「その時は走ります」

「オッケー」

 実体を出したシヅリさんが先行で10kmほど転移し、俺がそれを追いかけて転移、これを繰り返すのみ。海という名の同じ空間にいるからこそできる力技だ。

 普段なら気にすべき足場は、ユリさんのお陰で浮いていられるので関係ない。

 視界が高速で移り変わるせいで、滅多に見られない海底を鑑賞できないのは残念に思う。

 ユリさんの背をさすりつつ、様子見のため足を止めたシヅリさんに問う。

「撒いたりできないすかね?」

「無理だわ。この海はあの神の領域だもの。居場所はわかってると思……っ!?」

 進行方向と逆向きの海流が発生したのだと気づいた時には、クジラの巨体は背後数百メートルに迫っていた。

「シヅリさん、横方向に!」

「わかった!」

 海流である以上、360から一点に集中させる流れは作れないはずだ。すぐに斜め左方向へ短距離転移し、クジラの尾を回避する。衝撃波みたいなものが出ているのか、近くの岩が砕けた。

「うお、すげー」

 左右に抜ければ、また転移で逃走を開始。

 今度はジグザグに転移していくが、海丘や岩礁が眼前に現れるたび多少のブレーキがかかる。シヅリさんは障害物に多少被って転移しても平気だが、俺は体が削れてしまうので調整がいる。

 いつもなら即死のち再生をする余裕があるものの、24時間でできるだけ逃走するならデフラグは節約していかなくては。

「こっ、光太……光太……!」

「! ユリさん大丈夫ですか?」

「私、泳ぐ……」

「ギリギリまで取っといてください」

 こんなに震えて怖がっているのは、何か、あのクジラ関連で怖い思いをしたことがあるのだろう。

「でも、24時間……!」

「うーん、そうなんですが……」

 感覚的に、こんなに転移を連打し続けると18時間くらいまでしかもたない。それ以上使うと《復活》に使う分すら亡くなって、本当に死んでしまう。ちょっと危機感が芽生えてきたかもしれない。

「なら、泳ぐ……」

「落ち着いて。まだ23時間12分あるんで、話す時間はたっぷりです!」

「そんなにあるのー……!?」

 腕時計でタイマーを作動させている。

「……あの、ね。海神に捕まっても、私が同意しなかったら、あなたに手出しできないよ」

「ユリさんが怖い思いするなら、それはできる限り避けたいんで……あ、ちなみに海面に出たらどうなりますか?」

 光も差さない深海なのと、障害物の減る確率が高いのとで、海面に向かうのは明らかにクジラに利する行為である。しかし、島などが近くにあるなら、ユリさんに川を伝って泳いでもらうこともできるだろう。

 そう思っての提案だったが、彼女が顔を真っ青にするのを見てやめにする。

「よし、できるだけ海中で頑張りましょう!」

「!? 違、大丈夫。あなたは安全になるから、違うの。私が怖い、だけで、」

「一緒に危険を乗り越えていこうね、ユリさん!」

「わーん……!!」

 とはいえ、休憩しなくては体力もデフラグももたない。シヅリさんともすれ違う一言くらいしか会話できない。

 かといって、多少の物陰に隠れたところでそれごと潰されるのがオチである。

「海神様が壊せない場所ってあったりします? 強度でもいいし、なんかの兼ね合いで壊せないものでもいいんですが」

「神殿の中……」

「スタート地点にあったやつっすか?」

 複雑に掘り進められたような洞窟と、周囲の柱を思い浮かべる。

「うん……」

「あざす。……シヅリさん、海神様が近くに来たら飛び越えて後ろに」

 ちょうどすれ違うタイミングだったのでメッセージを伝える。

「はーい」

 立ち止まって、クジラが大きくなってくるのを見つめる。

 あとは折り返すタイミングを測るのみ。



 一番はじめに転移した際、スタート地点には仮想の転移マーカーを設置した。細かい理屈は全くわからないが、翰川先生とセファルさんが合作したことによる素晴らしい機能である。

 そのおかげで、どれだけ転移で翔び回ろうと、スタート地点がどこだったかはわかるのだ。

 現在地、海神を飛び越え戻ってきた神殿内部。

「はー! シヅリさん、お疲れ様。ありがとうございます」

「そっちもね」

 シヅリさんにペットボトルと食料を出してもらい、栄養補給タイム。ユリさんの言っていたようにこの神殿は壊せないらしく、海神は周囲をぐるぐる泳ぐのみとなっている。

 ユリさんにもチョコを食べてもらう。

「お茶も飲んでくださいね」

「……なんで、怖くないの?」

「怖くないわけじゃないですよ。でも、喰らったら死ぬならどんな誰の攻撃も誤差といいますか」

「…………。どうかと思う」

「あはははは、そうかもっすねー」

「……敬語じゃなくていいよ」

「? ……うん」

 ユリさんが俺の後ろに回って抱きつく。まだ震えている。

「……この魔法、すごいね。水の中なのに、空気中にいるときみたいに生きていられる」

 そもそもいきなりこんな深海に生身で放り出されれば、潜水病で死ぬか水圧で死ぬ。平気でいられるのはユリさんのおかげだ。

「…………。お父様とお母様のために、開発した魔法なの。感謝するなら両親に」

「わかった。帰ったら感謝を伝える」

「……帰れるつもりなんだ?」

「うん」

「……………………。すごいね」

 窓からはクジラが周囲を泳いでいるのが見える。

 精神統一のため瞑想していたシヅリさんも、俺の影に戻った。

「ねえ、ユリさん」

「なに」

「俺は何度でも生き返りますけども、あなたはどうです?」

 文献での人魚の伝承を思い返すに再生力は高いと思うが。

「……死ねない」

「了解っす」

 海神の体を突き破って、超高速で泳ぐ人魚のシルエットがいくつも見えた。速度だけなら海神よりもずっと速く、転移でも逃げきれないだろう。

 崩れ落ちていく海神を振り向くことなく神殿に突入してくる。

『どうする?』

「……ユリさん、あの人ら、会話できる?」

「できる、けど……」

「んー、じゃあ会話を試してからで」

「!?」

「何も言わないままなのはよくないから」

 そういう主義で生きているので、どんな相手だろうと曲げるわけにはいかない。

「大丈夫。ユリさんに危険はないようにするね」

「なんで」

「自分の主義に人を巻き込むのは違う」

「…………でも、」

「俺もただ死ぬばかりじゃないよ」

 眼前に迫る人魚たちに向け、デフラグが防壁を張る。

 ある意味では願いを叶える性質のある俺のデフラグを、真っ当な防衛本能と生存意欲を持つシヅリさんが使えばこの通り。

 人魚の繰り出す水の槍も、神殿を揺らす乱流もものともしない籠城ができるのだ。

「体を縮めて、しばらく待ってよう。このままいれば、残りの19時間やり過ごせるから」

「……ん」

 さて、対話を試みよう。

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