第38話 俗語によるすれ違い:三題噺#117「庭」「失踪」「腕」

「ああ、碧鳥丸さんなら、ちょっとしちゃってね」

「ええ、ええっ……!」


 キャンパス内にある文芸サークルの一室で、僕は思わず間の抜けた声を上げてしまった。

 僕はこの大学の文芸サークルには所属していないけれど、彼らが発行する部誌をよく読んでいた。その中でも推しの作家は碧鳥丸さんだった。彼の描く物語は幻想的で、それでいて何処か家的な雰囲気もあって……まぁとにかく面白い話ばかりだったのだ。

 ただ惜しむらくは、碧鳥丸さんは幽霊部員であるらしく、部誌に作品を掲載するのも不定期なのだ。直接会う事など夢のまた夢だ。そもそも本名も知らないし。

 そして追い打ちとばかりに失踪発言と来た。僕は愕然とした。恐怖とも驚愕とも怒りともつかぬ感情が駆け巡り、僕の五体を震わせる。


「犬坂君。碧鳥丸さんが失踪したって本当ですか? まさか事件に巻き込まれたとか……」

「事件だなんて、そんな大げさな」


 を組んでいた犬坂君は、さも面倒臭そうに手を振った。

 確かに、僕たち大学生は気ままな生活を送っている生物だろう。一人暮らしをしている者もいるし、自主休講なんて珍しくない光景だ。だが、失踪した事をそんなに簡単に片づけられるものなのだろうか。


 結局のところ、僕はその日はすごすごと立ち去る事になった。興奮しすぎた事で体よく追い払われたと言い換えても良いかもしれないが。


 失踪と言うネットスラングを知ったのは、それから数か月後の事だった。

 世間的に言う「失踪」は、事件やら事故に巻き込まれて行方不明になる事であるが……何とネット上では、もっとライトでファジーな意味合いで使われる事もあるらしい。

 曰く、特に絵や文章を投稿するSNS上で、特定のアカウントが無言で活動を停止したりアカウントそのものを削除したりする事なのだそうだ。

 犬坂君はあるいは、そちらの意味で失踪したと言ったのではなかろうか。

 それを裏付ける証拠は、二つばかり出てきた。一つは、碧鳥丸さんと思しきアカウント(名義は違っていたが)が、半年ほど更新されずに放置されていたのだ。

 それともう一つ。冬場に出された文芸サークルの部誌には、碧鳥丸さんの上梓した原稿が掲載されていたのだ。物語の出来栄えについてや、犬坂君へ僕が詫びを入れた事は、また別の話である。

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