第34話 池の中の鬼子:三題噺#107「土地」「蚊」「怪物」

 ニンゲンたちは、に誰も暮らしていないと傷んだり悪くなったりすると信じて疑わないらしい。アタシにしてみれば、ただ自然に還っているだけだと思うんだけど。

 とはいえ、今回アタシが受け持った仕事内容は、その土地に誰もいなかったからこそ、起きた事なんじゃあないかと思えるような代物だった。


「熊谷さん。今回の依頼を受けてくださるんですね。誠にありがとうございます。いやはや、私どもの方でも困っておりましたので……」


 慇懃無礼。目は口ほどに物を言う。依頼人である中年男の話に耳を傾けているアタシの脳裏に、そんな言葉が浮かんでは消えた。クソ丁寧な事を言っているけれど、やつの目は無遠慮にアタシをジロジロ見つめている。小娘が何処まで仕事をこなせるのかと、値踏みしているみたいだ。

 アタシは本当は化けアライグマなんだぞ。まじめな表情で言い放ったら、いったいやつはどんな表情をするんだろうか。でもそんな事はやらない。アライグマなんてこの土地ではゴミパンダだの害獣だのと呼ばれて嫌われている。そもそもこいつは、というよりもニンゲンは、ニンゲンのなりをしているのは同族だと思いたがる習性がある。

 だからアタシは何も言わず、愛想笑いを浮かべているだけだった。


「大丈夫です。アタシもこの手の仕事に慣れていますから」

「この手の仕事って……退治ですよ」


 中年男の脂ぎった顔が、さも心配そうに歪む。アタシの安全を心配しているのではなくて、厄介事を心配しているのだろうなと反射的に思った。ひねくれているとか、斜に構えているだけだと、アタシを知る仲間は言うだろうけれど。


 アタシが引き受けた依頼は、更地に潜む怪物退治だった。そこは元々庭があるような屋敷だったんだけど、住むニンゲンが誰もいなくなった後に取り潰されて、庭の池以外は何もない更地になっていた。

 で、その池には元々錦鯉とか金線亀とかを泳がせてあるような代物だったのが、いつの間にやら怪物が潜むようになり、近付くモノを片っ端から喰い散らかすようになったそうだ。あわれな錦鯉共は言うまでもなく、怪物とやらは水面に近付いた鳥やネズミ、鼬の類すら喰い殺したのだそうだ。だからもう池はオートミールをふやかしたミルクのように濁り、その底には動物やニンゲンの白骨が砂利代わりに敷き詰められているって話だ。


「何かここ、が多いっすね」

「タマキ。蚊に刺されると危ないよ。フィラリアになっちゃうから」

「……虫よけスプレーを塗るのを面倒くさがったんだろ、タマキ」


 怪物が潜むという池に、アタシはフェネック妖狐のユーリカと化けハクビシンのタマキを連れて来ていた。やはり闘うとなると、頭数が必要だ。それにタマキだって野良妖怪だから、お金がなけりゃあ喰うに困るだろうし。

 久しぶりの長雨だったから、作業もちと楽になるだろうか。そんなアタシの考えは、タマキとユーリカのやり取りを聞いているうちに失せてしまった。

 タマキは痒そうに右腕を掻いている。さっき言っていたように、蚊に刺されたのだろう。迂闊なやつめ。フィラリアになったら心臓とか肺に蟲が入って生命を落としかねないのに。そうでなくとも、最近はマダニが多いから、虫除けは必要なのに。

 だけど、アタシだって迂闊な所はあったかもしれない。雨が降っているから、蚊もそれほどいないだろうって思ってしまっていたんだから。

 いずれにせよ、獲物をしとめるのはさっさとやった方が良いだろう。アタシは妖術で縮めていた銛をもとの形に戻し、構えた。


「ゲイボルグっすか、ラス子姐さん」

「ゲイボルグよりもむしろグングニルの方が近いんじゃあないかな」


 痒みが収まったらしいタマキが、にじり寄ってアタシの銛を見つめている。

 アライグマだからなのかどうか解らないが、アタシは案外水の生物を仕留めるのは得意だ。水中に入って気配を探り、ザリガニだろうとオオクチバスだろうとワニガメだろうと捕まえて喰い殺した実績があるのだから。


「ねぇラス子。どうやって怪物を仕留めるの?」

「どうって……そりゃあ水の中に入ってやつの気配を探るんだよ」


 ユーリカの質問に答えていると、タマキがふいに声を上げた。


「水の中に入る役目は俺がやりますよ。水中なら、蚊もマダニもいないだろうし。それに俺、いざとなったら雷撃で水中の怪物なんざやっつけちゃいますから」

「……それならあんたに囮を頼もうか」


 タマキは少年っぽい表情で笑い、言葉を続けた。


「お安い御用っすよ。その分、分け前を上乗せしてくれたら嬉しいんだけど」

「ああ、ああ。もちろんだとも」


 ハクビシンの姿に戻ったタマキが、澱んだ池の中を泳ぎ始める。ハクビシンも泳げるんだな。そんな事を思いつつも、アタシは目と鼻に意識を集中させた。タマキ自身も、何者かが近づいたら電流を放つつもりらしい。だけど、それでも、獲物はアタシの手で仕留めたかった。

 その時、タマキの背後に細長い影が浮き上がる。長さは一メートル半、幅は二十センチくらいだろうか。不格好に全身をくねらせて泳いでいる。

 

「オラァ!」


 アタシが銛を打ち込むのと、タマキが雷撃を放つのはほぼ同時だった。一瞬だけ烈しく暴れ、そして痙攣したように動かなくなったそいつの頭には、銛が深々と突き刺さっていたのだ。


「それにしても、こいつは何なのかな?」


 タマキと二人がかりで引き揚げたそいつを見ながら、ユーリカが首を傾げた。

 確かにそれは、異様な姿をしていた。全体的にライトグレーの色合いで、胴体に較べて頭は太くて大きい。黒いビーズみたいな丸くて小さな目は七、八個ほどあった。頭の先端には一対の牙があり、頭の三分の一の大きさを誇っていた。まさしく怪物に相応しい牙だとアタシは思った。


「ユーリカちゃん。こいつはきっとボウフラのお化けっすよ。へへへ、大きさは違うけれど、ボウフラそっくりじゃあないっすか」


 ボウフラってこんな形だったっけか。アタシはボウフラの姿を思い浮かべようとしたが、残念ながらうまくいかなかった。

 だけど言われてみれば、左右に身体をくねらせたあの動きは、ボウフラの動きに似ていたのかもしれない。

 痒さを思い出したのだろうか。タマキがまたしても、右腕を掻いていた。

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