第10話 レベル0

 二人を乗せたバイクは国道を戻り、横道に入り、そして農道を走って田園地帯の真ん中で止まった。

 ここはもの影が少ないからなのか、人形はあまり湧いてこなかった。

 ロビンはバイクを止める。遠くから沢山の人形がガチャガチャ音を立てながら近づいてくるのが見えたがまだバイクの元までたどり着くにはしばらくかかりそうだ。

「少し休みましょう。疲れているでしょう、伊口さん」

「あ、ああ。さすがに」

 魔術のおかげでバイクに乗るのにはこれといった負担もなかったが、さすがに状況が状況だ。

 周りを訳の分からないものに囲まれて、その中をひたすら走り抜ける。

 あまりにも伊口の今までの日常からかけ離れていた。

 その分の疲労は半端なものではない。そもそも、襲い来る人形の全ては伊口の命を狙っているのだ。

 いわば、今この街は伊口の命を狙うもので溢れかえっているのだ。これはただの悪夢だと言って欲しい伊口だったが残念ながら現実だった。

「これからどうするんだ?」

 伊口が一番気になるのはそれだった。

 街中に人形が溢れている。そして、街の外は人形の山で出ることも出来ない。そして、伊口を守るセーフハウスはもうない。

 つまり、伊口を守る場所もそこへ逃げることももう出来ない。

 素人の伊口にも状況が最悪に近いだろうことがうかがい知れた。

「手段はあります」

 しかし、ロビンは答えた。そして、通信する。

「『C』、レベル0の使用許可を願います」

『ロビン、それは無理だ』

 しかし、『C』は即答した。

「なぜです」

『それは任務の放棄であり、そして君というエージェントの終わりを意味するからだよ』

 『C』は今までのおちゃらけた雰囲気から一転して、かなり深刻な口調だった。

 レベル0というものがそれだけのものだということなのか。

「なんなんですか? レベル0って」

『ロビンの主武装、【神槌ミョルニル】は古代兵装と言われる特別品なんだ。本来人間が扱うにはあまりにオーバースペックで何重にも封印が施されている。用途に合わせてそれを解放して限定的に使うことで最小限のリスクで運用しているものなんだ。レベル0はその封印を完全に解いて、ミョルニル本来の力を解放する方法さ』

「そうです。そして、それを使えばあの人形の山も吹き飛ばすことが出来るでしょう。つまり、伊口さんを脱出させることが出来ます」

「そ、そんな方法があるのか」

 それは希望だ。街から出ることさえ出来ればさっきの話では伊口の安全を保証出来る

施設があるという。なら、レベル0とやらさえ使えば問題は解決する、ように思える。

 しかし、『C』は言った。

『でもその代わりにロビンは回復不能のダメージを体に負うことになる。恐らくその時点で行動不能になり、必ず大きな後遺症が体に残る』

「そんなものなんですか?」

『古代兵装を完全に解放するっていうのはそういうことさ。そのために何重の封印を施してるんだからね。そして、行動不能になったロビンを人形達が見逃すとは思えない。はっきり言って君は死ぬよロビン』

 ロビンが死ぬ。それは聞き捨てならない話だった。

「そんな...」

 出会って数時間しか経っていない仲だったが、伊口はさすがに目の前で自分のために人が死ぬのを受け入れることは出来なかった。そもそもロビンは伊口の命の恩人だ。そんな人間がみすみす死ぬのはどう考えても嫌だった。

「ですが、それ以外に伊口さんの安全を確保する方法はありません」

『ダメだロビン。僕は機構のオペレーターとして任務の放棄を認めることは出来ない。今回の任務は拝神允敏の捕縛だ。それが最優先なんだよ。ここで君が死んで任務失敗という選択を承諾することは出来ない。そもそも、君と僕はバディだ。バディの片方が死ぬのを受け入れるはずがないだろう』

 『C』の意見は機構という組織の人間としては実に筋の通った話なのだろう。

 正直、伊口は自分の命がないがしろにすると言われているようなものだったが、仕方の無いことなようにも思われた。

 死ぬのなんてまっぴらゴメンだった。しかし、この目の前の光景を見れば『C』の言うことももっともだ。これだけの異常事態を起こせるような存在を野放しにしておくわけにはいかないだろう。

 そして今が拝神を捕縛する数少ない機会のひとつだというなら簡単に放棄するべきではない。そこに無関係な第三者の身柄を軽んじることになってもだ。

『すまない伊口さん。僕はロビンと君の命を天秤にかけたなら迷わずロビンを選ぶ。機構の一員として、そしてバディとして』

「そうですか...」

 『C』の言葉に伊口が返せる言葉はそれだけだった。『C』の発言は機構の人間としては間違いなく正しいのだろう。しかし、伊口は簡単に自分の死を受け入れるわけにはいかない。だから、どっちつかずに言葉を濁すしかなかった。せめて、そうはっきりと言ったことが『C』の誠意だと思いながら。

「譲らないんですね『C』は」

『ああ、譲れない』

「では、取るべき手段はひとつですね」

『ああ、その通りだ』

「?」

 二人は勝手に納得していたが、伊口にはなにがなんだか良く分からない。

「どうするんですか?」

「あなたを護衛しつつ拝神の捕縛を行います」

「なんと」

 なるほど、それが現状唯一の解決策なのかもしれなかった。伊口の命を守るには最早ロビンが守り続けるしかない。しかし、拝神を倒さないことにはこの状況は終わらない。ならば、伊口を守りながら拝神を倒す。それを目指すしかないのだろう。

「かなりの危険を伴います。それでも良いですか? 伊口さん」

「そんなこと言っても選択肢なんか...」

 伊口が言いかけた時だった。

「賑やかだな」

 声が響いた。ロビンは一瞬で戦闘態勢に入り、伊口と声の主の間に入りハンマーを構える。まさしく、伊口を守るために。

 伊口は声の元に眼を向ける。ロビンの背中の向こう側。

 そこには男が立っていた。

 ボロボロのトレンチコートを着た男。

 地獄のような表情を浮かべた、人間とは思えないほど無機質な男だった。

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