第39話 野営

 護衛の任務は続き、夕暮れの空が徐々に深い紫色に染まっていった。街の喧騒が遠い記憶となり、森の神秘的な静寂が私たちを包み込んでいく。ライカンの不可解な言動が心の片隅で気になりつつも、私たちは常に周囲に警戒を怠らず前進を続けた。目的地まであとわずかという地点で、緊張感が徐々に高まっていく。そんな中、突如として森の奥深くから、言い表せないほど不穏な気配が漂ってきた。その気配は、私たちの背筋を凍らせるほどの不気味さを帯びていた。


「ここらで一旦テントを張ろう」俺は周囲の状況を慎重に見極めながら提案した。仲間たちは互いの顔を見合わせ、無言のうちに同意の表情を浮かべた。その瞬間、私たちの間に暗黙の了解が生まれたように感じた。


 全員が緊張した面持ちでライカンの方を見る。彼は腕を組み、しばらく考え込むような仕草を見せた後、「問題ない」と短く、しかし確固とした口調で答えた。その言葉には、私たちの判断を信頼しているという意味合いが込められているようだった。


 安堵の息をつきながらも、油断することなく、俺たちはテントの準備に取り掛かった。夜の闇が急速に迫る中、素早く、そして可能な限り静かに効率的な作業を進めていく。各々が無言のうちに役割を理解し、息の合った動きでテント設営を行っていった。森の中で、私たちの存在を最小限に抑えようとする緊張感が漂っていた。


 ライカンは少し離れた場所に座り、私たちの動きを静かに見守っていた。その目には、何か言いたげな思いが宿っているように見えた。しかし、彼は黙ったまま、テントの設営が完了するのを待っていた。


 テントの設営が完了すると、ライカンはゆっくりと立ち上がり、俺とルカの方へ歩み寄ってきた。その目には、再び何か言いたげな思いが宿っていた。


「お前たち二人、ちょっと来い」ライカンは低い声で言った。俺とルカは顔を見合わせ、少し戸惑いながらもライカンに従った。


 少し離れた場所に移動すると、ライカンは真剣な表情で俺たちを見つめた。「さっきの戦いを見ていて思ったんだが、お前たちの動きはいい。だが、まだ改善の余地がある」


 ライカンは地面に足跡をつけながら、簡単な図を描き始めた。「例えば、お前たちが敵に接近する時の角度だ。こうすれば」彼は図を指さしながら説明を続けた。「敵の死角に入りやすくなる。そして、こういう動きをすれば、相手の攻撃を避けつつ、効果的に反撃できる」


 俺は純粋な興味を持って、ライカンの説明に聞き入った。「へぇ、そういう戦い方があるんですか。確かに、そうすれば効率よく戦えそうですね」


 一方、ルカは明らかに不満そうな表情を浮かべていた。彼は腕を組み、眉をひそめながらつぶやいた。「なんでこんな奴の話を聞かなきゃいけないんだ?」


 ライカンはルカの態度に気づいたが、特に気にする様子もなく説明を続けた。「お前たちには素質がある。だが、経験不足だ。こういった小さな工夫が、実戦では大きな差になる」


 俺は熱心にライカンの話を聞いていた。「なるほど、確かにそうですね。他にも何かアドバイスはありますか?」


 ライカンは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。「そうだな、じゃあもう少し詳しく教えてやろう」


 彼は地面に新たな図を描き始めた。「例えば、複数の敵と戦う時はこうだ」ライカンは丁寧に説明を続けた。その言葉の一つ一つに、長年の経験が滲み出ていた。


 ルカは依然として不満そうだったが、少しずつ興味を示し始めていた。彼は腕を組んだまま、時折うなずきながらライカンの話を聞いていた。


 説明が終わると、ライカンは満足げに頷いた。「まあ、こんなところだ。あとは実践あるのみだ。お前たちなら、すぐに身につくだろう」


 俺は感謝の意を込めて頭を下げた。「ありがとうございます。とても参考になりました」


 ルカも渋々ながら、「まあ、聞いておいて損はなさそうだな」と言った。


 ライカンは二人を見て、少し柔らかな表情を見せた。「よし、じゃあ休むとするか。明日も長い道のりだ」


 俺たちは頷き、それぞれのテントへと向かった。夜の静寂が森を包む中、今日学んだことを反芻しながら、明日への準備を整えていった。


 テントに向かう途中、テックが俺の方をちらちらと見ているのに気づいた。何か言いたげな様子だったが、結局口を開くことはなかった。俺は一瞬戸惑ったが、気のせいだろうと思い、特に気にせずに自分の準備に集中することにした。


 テントの中で、今日の出来事を振り返りながら、俺は明日への期待と不安を感じていた。ライカンから学んだ戦術を頭の中で反復し、実践できる機会を楽しみにしていた。同時に、テックの様子が少し気になっていたが、今は休息が必要だと自分に言い聞かせた。


 夕食を終えた後、俺たちは夜間の警戒体制について話し合った。ライカンの助言もあり、二人一組で交代しながら見回りを行うことに決まった。テックとルカのペア、そして俺とリリルのペアで、それぞれ3時間ずつ担当することになった。


「じゃあ、俺とテックが先に見回りを始めるよ」ルカが言った。彼は少し緊張した様子だったが、責任感を持って役割を引き受けようとしているのが伝わってきた。


 テックは黙って頷いた。彼の表情からは、何か言いたいことがあるようにも見えたが、結局口を開くことはなかった。


「了解」俺は返事をした。「俺たちは3時間後に交代するから、何か異常があったらすぐに知らせてくれ」


 リリルは少し離れたところに設置された彼女専用のテントを指差しながら言った。「私はあそこで休んでるわ。交代の時間になったら起こしてね」


 ルカとテックが見回りに出発すると、俺はリリルに軽く手を振って「おやすみ」と告げた。彼女も微笑んで応え、自分のテントへと向かっていった。


 俺は自分のテントに戻り、眠りにつく準備を始めた。しかし、完全にリラックスすることは難しかった。ライカンから学んだ新しい戦術のことや、テックの奇妙な態度、そして明日の旅路のことが頭の中をぐるぐると巡っていた。


 寝袋に横たわりながら、俺は深呼吸をして心を落ち着かせようとした。目を閉じると、森の静寂が耳に届いた。遠くで聞こえるルカとテックの足音が、かすかな安心感をもたらした。


「3時間後か…」俺は小声でつぶやいた。短い仮眠ではあるが、明日に備えてしっかり休息を取らなければならない。そう自分に言い聞かせながら、俺は少しずつ眠りに落ちていった。


 夜が更けていく中、キャンプサイトは静寂に包まれていった。時折聞こえる動物の鳴き声や、葉擦れの音が、この森が生きているということを感じさせた。俺たちの冒険は、まだ始まったばかりだった。

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