第一話・ただの不良少年⑥

 法定速度を少し過ぎたくらいの速度で山道を流す。ヘッドライトが夜道を照らし、目先の道が淡く浮かんでいる。山の中の道とはいえ、道路は丁寧に舗装されていて、妙な轍もなく、とても走りやすい退屈な道だ。


 カレラは窓枠に頬杖を突き、左手一本だけで運転している。それほど平坦な道だ。ハンドルを回しながらあくびを一つかまし、気の抜けた声が一人だけの車内に響いた。


 音がしない。ふと、彼は思った。そういえば、レースの前に切ったカーラジオを点け直していない。気が散るのを防ぐため、集中力が必要になる場面では、ラジオやオーディオを切る癖がある。


 カレラは右手を窓枠に置いたまま、人差し指と親指でハンドルをつまんだ。まっすぐの状態を保つだけなら、これで十分だ。左手をセンターコンソール上のナビゲーションへ伸ばし、ラジオを点けるように操作する。


 その時、とてつもない違和感がフロントガラスに写り込んだ。白い肌、小さな手足、その割に大きな帽子。


 人間。目に映ったそれをそう結論付けるのに、数瞬を要した。なぜこんな時間に、なぜこんな山道に。疑問は頭の中で次々に浮かんで来るが、それを反芻する前に、脊椎の反射で体が動いた。


 足を動かしてすぐ左隣のブレーキペダルを踏み込む。目の前の人影を避けるために急ハンドルを右へ切った。タイヤが金切り声を上げる。アンチロックブレーキシステムが作動し、踏み込んだブレーキペダルが激しく震え、タイヤ痕をアスファルトに刻む。


「……っぁあ!」


 ようやっと、声にならない声を上げることができたのは、車体が完全に停止してからだった。肩で息をしながら、冷や汗で湿る掌をズボンで拭う。


 何かを撥ねたような衝撃は感じなかった。恐る恐るバックミラーを覗いてみると、WRXの後方でうずくまっている少女の姿が見える。


 どこか当たったのか? そもそも、なんでこんなところに子供が?


 疑問は増え続けるばかりだ。カレラは取り敢えず目の前の問題に対処することにした。


 車を降りて、後方の少女の方へ向かう。エンジンを切るのを忘れて、掛けっぱなしのままだったが、この際どうでもいい。


「なぁ、大丈夫か?」


 その一言に、頭を抱えてうずくまっていた少女は顔を上げ、カレラの方を向き、ゆっくりと頷いた。どうやらケガはなさそうだが、放心状態のようで、今自分の身に何が起きたのかよく理解していないようだった。


「悪い、怖い思いをさせたな。にしても、なんでこんなところに? お父さんかお母さんは?」


 そう言いながら、カレラは周りに視線を回してみるが、少女の保護者らしき大人の姿は見当たらない。


 その時だ、カレラの下腹部辺りに、弱い衝撃がぶつかって来た。何かと思い、目線を下に向けてみると、例の少女が彼の足に抱き着いている。


「お、おいっ!? いったい何の――」

「助けて!」


 そう言って頭上にあるカレラの顔を見上げた少女の目元には、涙の跡が通っていた。

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