4:記憶の欠片

 濤辺とうへんから始まった荷馬車の旅は快適だった。日中は馬を早足で歩かせて移動し、夜は宿が見つかればそこに泊まり、なければ荷車で眠った。

 今夜は山の中で日暮れを迎えたため、荷馬車を適当に開けたところで停め、離原はその周囲に大きな結界を張った。

「離原は仙師せんし?」

 三度目の野宿になった日、霄琳は離原に聞いてみた。

 剣を飛ばして移動したり、結界を張ったりする人間は、多くはないもののそれなりにいる。彼らは仙師と呼ばれており、誰もがなれるようなものではない。大体が天賦の才として仙になることに適した体や精神を持っている者たちで、ごくまれに血のにじむような努力で自ら道を拓く者もいた。そしてそのほとんどが仙としての修学や鍛錬、修行をおこなうために様々な流儀や思想を持った門派に属しており、彼らは研仙けんせんと呼ばれていた。

 有名な門派などはわからないが、霄琳では逆立ちしたって出来ないことをこともなげにやってみせる離原だ。きっとすでに修業を終えた仙師なのだろうと思って聞いたのだが、離原ははっきりとは頷かなかった。

「俺は門派に属したことはないが……幸い、少しは才があったようだ」

「じゃあ独学? でも、一人で修行して剣を飛ばすことって出来るようになる?」

「そこまでの才は俺にない。門派には属さなかったが、知り合いがいた。師事……というほどではなかったが、一応少しはそこで修行もした。あとはひたすら書物を漁って実践を繰り返した。時間だけはあるからな」

 国都である周苑を目指す旅は二人旅で、話す相手はそれぞれ互いしかいない。霄琳はそもそもわからないことだらけだが、なにを問いかけても離原は答えてくれた。

 話をしながら、ほとんど丸一日座り込んでいる荷車の中から出て焚き火を囲む。離原は非常に警戒心が強く、移動時も自分ではなく霄琳がいる荷車に結界を張っていた。今も結界は地面から半球状になって荷馬車全体をすっぽりと覆っており、これさえあれば獣や山賊が出る山の中でも安全だった。

 昼のうちに寄った村で買い求めた饅頭と干した芋を夕餉にしながら焚き火をぼんやりと眺めていると、隣に離原が座り、地面に地図を置いた。

「……今日もなかった?」

「ああ」

 陸路を行く旅は、町や村を辿っていく旅でもある。

 目的地は国都なので立ち寄る必要はないはずだったが、離原は店には寄らないことがあっても、その土地の長老や知識人は必ず訪ねていった。なにを探しているのかを聞いたことはなかったが、収穫があったように見えたことはない。毎日その日通ってきた村の名前を墨石で横線を引いて消し、今日も通ってきた二つの村と一つの町の名前の上に、黒い線が横に引かれた。

(……聞いて回るだけなら俺にもできるかな)

 火で炙って温めた饅頭を食べながら、霄琳は自分にもなにか出来ないかと思い始めた。今のところ、霄琳はなにも出来ずにいるからだ。

 馬は離原が手綱を持って走らせているし、食事や衣服などの買い物や宿の宿泊費などもすべて離原が財嚢を開いている。眠る時も黒衣が現れるかもしれないからと、離原は常に剣を片手にして霄琳の傍におり、翌朝目が覚めても同じ場所で剣を持ったままでいることも多い。まさか夜通し起きているわけではないだろうが、霄琳より遅く眠り、早く起きていることは明らかだ。

 常に傍にいてあれこれと世話を焼いてくれるお陰で、記憶がなくとも霄琳の旅は非常に快適だ。しかし、その恩を霄琳はなにも返せていない。

 金もなければ仙術を扱えるわけでもなく、それならば馬の操縦をと思ったが、跨るのが精いっぱいで、一定の調子で馬を走らせることなど出来ない。仕方がないので、今はたまに離原に後ろから支えられながら馬に乗って、せめてどうにか手綱を握れるようになろうとひそかに自らに目標を課している状態だ。

 そんな風なので、せめて自分でも出来ることを探して、少しは恩返しをしたい。そう思った霄琳は、夕餉を終えて地図を眺めている離原に声をかけた。

「言いたくなかったら言わなくていいんだけど……離原はなにを探してるの?」

 ぱちぱちと音を立てて、焚き火が燃えている。そちらに顔を向けながら、ちらちらと離原の持っている地図を見る。今まで辿ってきた地名にはもちろん、すでに引かれていた横線は無数にあった。

 離原は旅慣れているようだし、そもそも飛刃が使える。今だけでなく、今までもこうやって旅をしながら探し物をしていたのかもしれない。

 そう思って話しかけると、睨むようなまなざしで地図を見ていた離原は、ぽつりと呟くように言った。

「俺は……花を探している」

「花?」

「厳密に言うと、植物だ。絶滅しているはずだが……もし種子や花が残っていたり、咲いた時の文献がないかと思って探しているんだ」

「なんていう名前?」

「名前は……おそらく、地方によっても名前が違う。だから特徴だけで調べている。今までに七度見た。俺たちはカケイシと呼んでいる」

「かけい、し」

 一瞬、頭の中でパチンと水泡が弾けたような感覚があった。弾けた泡の向こうに、大切な何かがある気がした。

 思わず目を見開くと離原は地図を放り、焦った様子で膝を抱えて座っている霄琳の両肩を掴んだ。

「霄琳っ」

「な、なに……」

 驚いたのは霄琳の方だ。なんだ今の、と一瞬ぼうっとしただけなのに、離原は厳しい顔をしている。顔が整っているうえ、顔の半分に傷が走っているせいもあって、眉までしかめられるとなかなかに怖い。なぜそんな表情をするのかと思わず肩をすくめると、今度は離原の方がはっとしたように顔を崩した。

「ち、違う。すまない、少し……何でもない」

 掴まれた肩は痛いほどで、離されてもじんじんと余韻が残った。けれど、その痺れたような痛みが、妙に胸を騒がせる。

 この感覚を知っている。失っている記憶に一瞬触れたような、そんな感じがした。

 とっさに投げた地図は思いのほか離れたところに飛んでしまったようで、離原は気まずげにしながらのそりと立ち上がると、地図を取りに行った。

 結界のふちまで離原は歩いて行く。すらりとしたその背中も、今の記憶でなく、どこか遠い過去に見覚えがある気がした。

(離原は俺を知ってる)

 日々を過ごしていくうちに、少しずつ記憶が戻るかもしれないと思った。けれど、記憶に立ち込めた靄が晴れることはない。むしろ不意に濃さを増したり薄らいだりして、霄琳はそれに振り回されてばかりいる。

 それでも、確信できたことはある。

(俺も、離原を知ってるんだ)

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