第8話 オーウェン家での仕事

 廊下をメイドの女性に案内されるまま進むフィーナ。やがて、ある一室の前に連れてこられた所で先導していた女性が振り返る。

「こちらでメイド長が対応して下さいますので、私はこれで……」

 女性は軽く会釈するとどこかへ行ってしまった。メイド長という事は採用の為の面接だろうな……と、先の展開を考えながらドアをノックするフィーナ。すると……

「お入りなさい」

 ベテランらしい落ち着いた中年女性の声が聞こえてきた。

「失礼致します」

 フィーナがドアを開き中に入ると、待っていたのは声の通り中年でやや背の高いメイド服の女性だった。

「私はこのお屋敷でメイド長を務めさせて頂いているアニタと言います」

 アニタと名乗る女性は口調こそ丁寧だが、訝し気にフィーナを見ている。

 その表情も不審者を見る眼そのものである。

「は、初めまして。私はフィーナと言います」

 アニタの威圧感に少々畏まる。そんなフィーナの反応が意外だったのか

「貴女、エルフなのに人間を見下してはいないのですね。礼儀作法は後々覚えて貰うとして……家事についてはどうなのでしょう?」

「家事は、お洗濯お掃除、給仕炊事、一通り行えます」

 家事の技能については転移中にレアが付与してくれていた様だ。この世界の一般的な家事の基礎はすでにフィーナの頭の中に入っている。

「そうですか。それでは新人でもこなせる仕事から始めて頂きましょう。旦那様には私からお伝えしておきます」

 募集しているという話は本当だったのだろう。比較的あっさりと採用が決定した。

「この屋敷には旦那様のアルバート様の他に奥様であるジェシカ様、長男のアルス様、次男のアルヴィン様がいらっしゃいます。こちらの方々のお世話は私を含め仕事に慣れた者で行います」

 当面の方針はアニタの中で決まったらしい。フィーナが出来るのは本当に下働きくらいのものの様だ。だが、肝心のアルフレッドの名前が出てこない。

「あの……、こちらのお屋敷では御家族が五人いらっしゃると聞いて来たんですけど……」

不自然に思われない様にそれとなく聞いてみる。するとアニタはため息をつき

「彼の存在が知られているのですか……。4年も経てばさすがに隠し通す事は出来ないのでしょうね。ですが、その事について貴女が関わる必要はありません」

 レアから、アルフレッドが母親からの愛情をあまり受けられなかったとは聞いていたが、使用人にまで存在を否定される様な扱いをされているとまでは思ってもいなかった。

 その辺りも調べていった方が良いのだろうが……今は仕事をこなし周囲の信頼を得ていくしか無さそうだ。



 オーウェン家のメイドとして働き始めて二週間が過ぎた。

 フィーナにあてがわれた仕事は、早朝は料理の下準備、日中は休憩、夕刻が料理の下準備、夜間に屋敷内共用部の清掃と衣類の洗濯と昼夜逆転の見事な重労働だった。

 メイド長のアニタが言うには、主人であるアルバートはともかくその妻であるジェシカがかなり難しい性格をしていて問題なのだそうだ。

 特に貴族以外は種族に関わらずその全てを見下しており、エルフとは言え亜人であるフィーナが、日中仕事でもしてジェシカの目に留まればひどい苛めに晒されるだろう……と。

 アニタとしては、面倒事は避けたいが今の屋敷が人手不足であるのも無視できない実情ではある。

 そのため、仕事が出来る人材であれば歓迎はするとの事だ。そこでジェシカとの接点を極力減らし仕事を円滑に回すため、昼夜逆転の時間割を組んだという事なのだそうだ。

 もっとも、女神であるフィーナにとって睡眠や食事は必ずしも必要なものではない。

 まぁ、二十四時間働けるとは言え、そんな事をすれば悪目立ちしてしまうだけで何も意味は無い。

 フィーナの目的はアルフレッドに接触し前世の記憶の復活を阻止する事なのだから。

 それにしても……今のアルフレッドは四才なのだという。

確か六才の時の高熱で記憶を取り戻すという話だった筈なのに、どうして二年も前に自分を飛ばしたのかレアに抗議もしてみたのだが……

 彼女が言うには、違和感無くアルフレッドに近づく為に必要な事なのだそうだ。

 予想以上の長期戦に、夜間に屋敷の窓掃除をしているフィーナの口から溜息が漏れる。

 今のところはフィーナが歴史に介入した事による歴史変化の兆候は、良くも悪くも出ていないらしい。とにかく、今は大人しく時が過ぎるのを待つしかないだろう。

 窓の拭き掃除を終えたフィーナがふと見ると、廊下に並ぶ幾つものドアのうち、少し離れたドアがやや半開きになっているのに気付いた。

(締め忘れ……かな?)

 そう思い、ドアに近付いてみると


ーバタン!ー


 ドアは勢いよく閉まってしまった。この部屋はジェシカ奥様の倉庫代わりに使われている部屋のはず……

 盗賊の可能性も考えると、このまま何者かの正体も確かめずに見過ごすのは職務怠慢に当たるのではないだろうか?

 この世界に来る時に自身に付与した剣術の技能はそのままにしてあるので、盗賊相手なら何とでもなるだろう。レアに耳を伸ばされたためか、物音の感じ取り方も鋭くなっている気がする。フィーナはモップを手に部屋に近付く。

(…………)

 部屋の中から物音はしない。ドアノブに手を掛け一気にドアを開ける……

「あれ?」

 ドアは開かない。鍵がかけられている様子は無いが……部屋の中から開かない様に力を込めているのだろう。だが、だんだん疲れてきているのかジリジリとドアの隙間が大きくなってきた。

 ドアの隙間から見える人影は小さい子に見える。賊の可能性は無い。そう判断したフィーナはドアの隙間に足先を挟ませる。そして、懸命にドアノブを引く子の手にそっと触れてみた。

「うわあぁ〜!」

 ドアを閉めようとする力が無くなった事で、フィーナは勢い良くドアを開けた。すると、部屋の奥に駆けていく二つの人影が見えた。

「アルフレッド! お前は隠れてろ!」

 状況が読めてないフィーナはただ成り行きを見守るのみ、賊でなければ特段慌てる必要も無い。

「おい! 誰だお前は! お前みたいな奴、見た事ないぞ!」

 ドアを抑えていたであろう声の主が言う。暗くてどこに居るのかさっぱり分からないが、とにかく声のする方に注意を向ける。

「お前、さては悪魔だな! こんな夜にいるなんて悪魔だろ!」

 まさかの悪魔呼ばわりである。女神なのに悪魔呼ばわりは精神的に堪えるものがある。だが、勘違いしているのなら都合が良い。大人しく部屋に帰ってもらう為、フィーナは彼らの勘違いに乗っかる事にした。

 左手を自らに翳し悪魔の羽と尻尾を追加する。これも神力の応用だが、この程度でフィーナの神力が枯渇したりなんかはしない。

「さぁ〜て、こんな夜中に遊び回る悪い子はどこだ〜?」

 悪魔の仕草など分からないので適当に両手を軽く上げながら部屋の奥へと進んでいく。

「泣ぐ子はいねーがぁ?」

 悪役台詞のストックがもう尽きたので子供が怖がりそうな言葉で攻め立ててみた。すると……

「アルフレッド逃げろ! ここは俺にまかせて、先に行け!」

 入り口から部屋の外へと駆けていく小さい影が見えた。そして入り口を塞ぐ様に立つもう一つの小さい影。

 年の頃は十に届くか届かないかと言ったところ、金髪のボサボサ頭が特徴の男の子だ。台詞から察するに完全に敵認定されているらしい。

「大人しく部屋に戻って眠りにつくなら、この場は見逃してやろう」

 フィーナは妖艶な笑みを浮かべながら悪魔が言いそうな台詞を必死に探しながら口にしてみる。

 月明かりが差し込む部屋の明るさのせいか、メイド服にも関わらず彼女の姿は悪魔らしく見えた。

「三度は言わぬ。大人しく部屋に戻るが良い」

 フィーナは右手を翳し黒い渦を手元に出して見せる。これもそれっぽく出した神の力である。

 一方の男の子は動かない。ちょっと驚かせ過ぎたかと、フィーナが内心オロオロしていると……

「あ、悪魔め! お前の好きにはさせないからな!」

 それだけ言うと男の子は部屋から出て行ってしまった。このまま、部屋に戻って大人しく寝てもらえれば何事も無い。それにしても、男の子の頬がやや赤くなっている様に見えたのは彼女の気のせいか。

 フィーナは必要の無くなった悪魔羽と尻尾をしまうと、屋敷の掃除に戻るのだった。

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