第8話 アイドルのバイト先はカフェでした

 女神との邂逅からすでに一月ほど経過していた。

 それは同時にオーディンに所属してからも一月ほど経過した計算になる。あの夜の厳しかった寒さは少し和らぎ、少しずつ春へと向かう季節を実感する日々。目指すクルーズ・クルーズへの出演へと向けての厳しいレッスンにも体が慣れてきた。


 レッスン。睡眠。ライブ。睡眠。

 とても充実したアイドル生活である。


 そんなとある日。

 セシリアはスラリと伸びた長い脚で大股にクルーズタウンを一人で歩いていた。

 そうして歩きながら、あの日の女神の邂逅を思い出す。


「夢、だったのかしらね?」


 やっと気心がしれて、楽しくなってきたと思っていた鏡越しの神との邂逅は突如終わりを告げた。


「あ! 時間切れだ! セシリア! 神殿に……ブッ」


 女神の言葉は最後まで言い切られる事なく、鏡はただの鏡に戻った。それからいくら鏡を触っても、鏡に語りかけても、鏡の中のセシリアはただのセシリアの虚像だった。思い出せば思い出すほどに夢であったとしか考えられない。最後の言葉はセシリアを神殿へ誘う言葉だったのだろうかと考える。

 今回の夢で神を嫌うセシリアの心に少しばかりの変化があった。


「神殿か。今回の新しい仕事に慣れたら言ってみようかな?」


 こんな呟きが漏れるほどに。

 あんな女神だったら信仰まではしないものの親しみを持って接してもいいかもしれないと、クルーズタウンを象徴するように街の中心部に聳える神殿を見ながら、セシリアは考えた。


 とは言え、目下セシリアの最優先事項はアイドル稼業であり、ジョージ・Pのごまかしの果てに、一年後に目標設定されたクルーズ・クルーズへの出演である。

 よくわからない神にかまけているほどセシリアは夢見がちではない。むしろバリバリのリアリストである。


 今日はジョージ・Pからの紹介でとある飲食店で店員をする事となっている。飲食店で接客などおおよそアイドルのやる仕事ではない。ルージュ・エメリーなら火が点いたように怒るであろうし、どんなに売れないアイドルだって顔を顰めるだろう。

 しかしそこはセシリア。自己肯定感底辺アイドルである。言ったジョージ・Pが嫌なら無理しなくてもいいんですよ。なんて言い出すほどの快諾であった。


 それが先ほど呟いた、今回の新しい仕事である。

 そんなわけだが、今セシリアは絶賛迷子中である。

 ここはクルーズ・タウン有数の繁華街。


 ローブロード。


 実に雑多である。

 全体的には煉瓦造りのヨーロッパ的な街並みである。しかしその建物に対して下品なネオン看板や大型液晶ディスプレイやら手書きの看板やらが所狭しと並んでいる。


「前世の記憶が戻ってきた今だからわかるけど、ここって大分変な世界よね」


 このローブロードが特別に下品ではあるが、このクルーズタウンは概ねどこも似たような感じである。


「せっかくヨーロッパみたいな綺麗な街並みなのに付属品がやけに近未来的というかなんというか」


 実際この世界の技術レベルはセシリアの前世と比べても遜色ないというかそれを凌ぐくらいの状態にある。アイドルに関する街であるから、音響技術、映像技術、放送インフラ、特殊効果、舞台装置、などは特化して優れている。しかしそれだけではなく、普通に空を飛行機が飛び、普通に海を船が走り、普通に宇宙へロケットが飛ぶ。


「前世の記憶がない時は全く違和感がなかったけど、今はとってもチグハグな感じがするわ。タブレットで読んだ漫画にあった近未来江戸侍ギャグ漫画のヨーロッパ版みたいな感じよね」


 改めてキョロキョロと街並みを見渡した。

 立ち並ぶ煉瓦造りのビル。

 なんともセシリアにとって不自然に感じる建物からせり出している、品のない看板の中から目当ての店名を探していく。昼間からビカビカと光っているネオン文字、文字が下から上へと流れていく電光掲示板、水着の女性だけが描かれている看板。


 その中に一つだけあるちょっと可愛らしい看板。


 書かれている店名はコーンカフェ。


「あ、ここかな?」


 ジョージ・Pからもらった紙に書かれた住所とそのビルにはられている住所とを見比べてセシリアはつぶやいた。そして自分が正しかった事を認識すると、そのままビルのエントランスへと歩を進めていった。

 ビル内のテナントはほぼほぼ夜からの営業らしく、薄暗い感じのエントランスは人気がなく薄暗い。


「ええっと、コーンカフェは何階でしょうか?」


 しかしセシリアはそんな事にかまわず、ビルのエントランスとも言えないエントランスに記載されているテナント一覧を確認する。


「あったわ! 九階ね。見晴らしが良さそうだわ! あ、奥にエレベーターもある! 助かる!」


 目当ての店の場所を見つけ、さらにエレベーターを見つけたセシリアは、意気揚々と上階行きのボタンを押す。

 するとタイミング良く一階に待機していたのかエレベーターの扉はセシリアを歓迎した。それにささっと乗り込んで⑨のボタンを押すと、ガガっと不穏な音と不安な揺れを伴ってエレベーターは上昇を始めた。怪しさ満点のエレベーター、怪しさ満点の雑居ビル、怪しさ満点の店名。全てに怪しさしかない状況でセシリアの疑い深さは発揮されない。

 致命的な事にセシリアの疑い深さは一度信じた人間には発揮されないのだった。


 チーン。


 セシリアの弔いの鐘の音のように、エレベーターが目的地についた事を告げる。

 不穏な揺れと不穏な音をともないエレベーターは扉を開く。


「ここがコーンカフェね。おはようございまーす」


 元気な声で挨拶をしながらコーンカフェの扉を開く。


「いらっしゃいませー!」


 女性の明るい声でセシリアは迎え入れられた。

 その言葉からお客と勘違いされたと考え、その事に戸惑い、セシリアは入り口で止まってしまった。

 よく考えれば。前世、今世通してもアルバイト経験はなく、バイトの面接にきた時になんと言ったらいいのかがわからなかったからである。


 そんな感じで入り口で立ち尽くしていると、シャキッとした雰囲気の若い女性店員がキビキビとした動きでセシリアの方に向かってきた。


「おひとりさまですか?」


「いえ。私はあの、お客でなくて。あの、ジョージ・Pからの紹介できましたセシリアと申します!」


 言葉を選びながらなんとか元気に自己紹介を終えたセシリアに、目の前の女性は肩の力を抜いた感じで応えた。


「ああ、新人さん?」


 その言葉遣いに少し緊張がほぐれ、普段の調子を取り戻したセシリアはちょっと声を張る。


「はい! よろしくお願いします!」


「じゃあちょっとこっちきてね。ママに紹介するから。ママー、新人さーん」


 女性はセシリアの元気のいい声に少し驚いたように顔を顰めてから後ろを振り向いてキッチンに呼びかける。


「サクラ、大きな声を出すんじゃないよ。お客さんが驚くだろう」


 キッチンの中から恰幅のいい女性が前掛けで手を拭きながら現れた。全体的にふくよかで、加齢が見てとれるが、目はくりくりとまん丸で、唇はぽってりと、なんとも可愛らしい女性である。

 サクラと呼ばれた女性店員と似た顔つきであり、いかにも親子であると見てとれる。


「ママ。お客さんなんていつもの三人組しかいないから大丈夫よ」


「そいつらだって一応客なんだよ」


 親指で指し示す程度のぞんざいな扱いでサクラが指し示した場所には存在を小さくしながらクリームソーダを啜る三人の男性客がいる。


「こぽお」


「どぅふふ」


「……ゥン」


 急に話題の俎上に上がったことに驚き、三者三様の驚きを示した。

 ママと呼ばれた女性はいかにもそんなことどうでも良いとばかりにそちらに一瞥もくれることなく、ゆったりとセシリアの前まで進んでくると、上から下までセシリアを眺めた後に言う。


「んで、あんたがジョージが言ってた新人かい?」


「はい! セシリア・ローズと申します! とあるアイドルグループをクビになったその日にジョージ・Pに拾っていただき、今日ここに行くようにと言われてきました。心機一転頑張ります!」


 ピシリと姿勢を正し、直立不動での挨拶。

 表情はアイドル笑顔を振りまいている。

 反して言っている事は実に重い。


 ママはどう反応していいか迷うように口元をピクリとさせてから言った。


「……あんた、初対面でそんな重い話をされても、こっちはどんな顔したらいいのかわからないからおやめ」


「はい!」


 アイドル笑顔である。実はセシリア、初めてのバイト面接に緊張している。精一杯のアイドル笑顔を浮かべながら、緊張で少しずつ目が潤んできている。


「アイドルをクビになってここって事はあんたアイドルはやめたのかい? まだまだいけそうなのに勿体無いねえ」


「いえ! やめてません! 一年後にはクルーズ・クルーズの舞台に立つつもりです!」


「は?」「んえ?」「ごぽお」「どっふ」「……ぉぉン」


 その言葉に店内にいる全員が奇声をあげてセシリアに注目した。

 ジョージ・Pが異常なだけで、実際セシリアの野望はこれくらいの反応が来る程度には素っ頓狂である。

 ママ、サクラ、変な客三人組はマジマジとセシリアを見る。その中で三人組だけはセシリアを見て何かに気づいたようで一斉にお互いの顔を見合わせて何事か話し始めた。

 ママは空咳をひとつ鳴らしてから話し始める。


「聞き間違いかい? 一年後にクルーズ・クルーズに立つって聞こえたんだけど?」


「いえ! そう言いました!」


「じゃああんたここにきてる場合じゃないよ。もっとあんたには別にやる事があるよ」


「でも、ジョージ・Pからここに行くように言われましたので! 頑張ります!」


 ため息ひとつ。オーバーな呆れ顔。

 クルーズ・クルーズに一年後に立つという夢は百歩譲って良いがこの場所に来るのは違う。

 ママはそれを確信している。


「あんたね、ここがどんな場所かわかってるのかい?」


 セシリアは店内を見回した。


 清掃が行き届いた清潔な店内。無垢の木のテーブルとそれにあった雰囲気の椅子が数脚合わせられた席が八席。そこの一席に座ってクリームソーダを飲んでいる三人組の男性客。奥にはキッチンらしき設備が見える。入り口にはレジスター。


 それらから推測するに。


「カフェ、ですかね?」


「正解だよ。わかったら帰んな」


「正解したら帰らされるクイズ! 斬新ですが、帰りません!」


 前世でも聞いた事がない正解したら出演時間が減るクイズにセシリアは驚きを隠せないが、それでも帰らない、ここで働き、自分の糧にするという意思は変わらない。

 それに対してクルーズ・クルーズ出演を目指すアイドルがこんな場所で働いている場合ではないというママの意見も変わらない。


「アイドルがカフェで給仕なんてするわけないだろうよ。あんたは来年クルーズ・クルーズに立つんだろう?」


「はい!」


「じゃああんたが来る場所はここじゃないよ! 帰んな!」


「でもジョージ・Pが言うにはここでの経験はきっと私の武器になるって言うんです」


 今日初めてあった人間の言葉よりも信じたジョージ・Pの言葉の方がセシリアには重い。一度信じた人間へのセシリアの深い信頼は他人が引くほどに深く。トワイライトに所属していた時、どんな扱いでもずっとそこでやっていけると盲目的に信用していたのは、元事務所を一度信じてしまったが故である。その信頼は縁切りの最終通告を与え、冬の寒空に素寒貧で蹴り出して、冷たくなった道路に額を強かに打ちつけさせなければ壊れる事はない。重い。


「ここにはドルオタとアイドルからこぼれ落ちた店員しかいないんだよ。なんの経験になるってんだい? 全くジョージも急にアイドル事務所活動を再開したと思ったら、こんなわけわからん娘をよこしてきてなんだってんだい? 早く帰んな!」


「帰りません!」


 平行線の主張を重ねる二人は睨み合ったまま状況はこう着した。

 ママとセシリアは無言で睨み合っている。

 お互い既に言葉は尽くしてどう解決していいか全くわからなくなっている。

 ママはジョージ・Pへの義理から依頼を断る事はできず、本人に自ら出ていって欲しい。

 セシリアはジョージ・Pからのタスクをこなさずに事務所に戻る事はできず、なんとしてもここで働きたい。


 平行線。


 こうなってしまってはどうにもならない。

 お互いに落とし所が見つけられず、二人はただ睨み合うしかできなかった。


 そんな状態を打ち破ったのは意外な人物であった。


「もしかしてですが、アナタはトワイライトのセシリア氏では、ご、ございませんか? こぽお。おっと失礼! 緊張で!」


 睨み合う二人に割って入ったのは、怪しい三人組客の一人、小太りのメガネ男。それが空気を読まずにセシリアに話しかけてきたのである。セシリアは一瞬驚いたが、すぐに返答しようと口を開きかけたが、今度は別の男がそれをさえぎるように横からあらわれ、小太りメガネの手を引っ張り、声を荒げた。


「こぽ氏こぽ氏、不躾が過ぎますぞ! 我らの誓いを忘れたでござるか!? てん氏も言ってやってくだされ!」


 こちらは長身痩躯といえば聞こえがいいが、正直に言えばヒョロッと伸びたやせぎすのメガネ男だ。その男が振り向きながら、同席の小男に声をかける。


「…………ダメ」


 小男はメガネをクイっと上げながら、席から立ち上がって小太りメガネのそばまで近づき、小さな声で一言発し、そのまま黙って小太りを睨んでいる。


「聞きましたか! こぽ氏! てん氏が三点リーダー以外の言葉を発するくらいにエヌジー行為でござる!」


「わかっています! わかっていますが! しかししかし! ござる氏も気になっているのでしょう?」


 オーバーな身振り手振りでお互いの感情を伝える様がなんだか楽しいなとセシリアはよくわからない状況に巻き込まれながらもぼんやりと思っていた。

 本人らは必死の形相であるが。


「それはそうでござるが、我らのイエスアイドルノータッチを忘れた訳ではなかろう? アイドルが神聖な存在でいれるように街で見かけても決して近寄る事なく、それが男連れだったとしても見なかった事に無かった事にして、ただただ崇め奉ると言う崇高な理念を! 言い出しっぺのこぽ氏が! もはや忘れたとは!」


 長台詞を言い切った後、小太りを突き刺すように人差し指を突き出したやせぎすメガネ。それに刺された小太りは驚嘆の表情を浮かべ、自分のふくよかな胸を両手で押さえてうめいて言う。


「ぐう、何たる言葉。心の臓器に! 概念上の心を司る臓器に! 突き刺さりましたよ! ござる氏! 我が間違っていましたこぽお!」


「こぽ氏! わかってくれて嬉しいでござるよお! 我ら一生の同志でござるう!」


 感動の抱擁である。

 デブとヤセがお互いに抱き合った横からチビが二人を包むようになっている。

 本人らとしては感動であろうが、他人から見れば地獄絵図である。

 証拠としてセシリア以外の女性、ママとサクラであるが、汚物を見る目でその様を見ている。

 セシリアのみニコニコと優しい微笑みである。


「………………………」


「そう! そうですね! てん氏! 我らの誓い通りに席に戻って事の成り行きを見守りましょうぞ」


 小男の三点リーダーに何か意味があったらしくやせぎすメガネが三人で席に戻るように言う。

 それを受けて小太りメガネがそそくさと背を向けた後、ちらっと後ろを振り返り、ママに向けて一言。


「あ、我らは席に戻ります故、どうぞ続けてくだされ」


 プチン。

 キレた音がした。


「三馬鹿ぁ! あんたらは店の人間には気持ち悪い行為しないからほっておいたけど手を出すなら出禁にするよお!」


 何かがキレた音のソニックウェーブが如くママの怒号が一瞬遅れて響く。


「こぽお!」「どふう!」「……」


 怒号だけではなく平手でのしばきも入っていた。頭を叩かれているので乾いた音がしそうだが、髪の脂で若干湿った音がする。

 叩いたママはサクラから受け取ったおしぼりで手を拭いている。

 それを見てセシリアは楽しそうに笑って言った。


「楽しいみなさんがいるんですね? 常連さんなんですか?」


 この言葉には嫌味や攻撃の意味はない。

 字義そのまま。

 素直に楽しかったと感じている。

 ここまでの経緯で素直に楽しいみなさんと評せるセシリアもやはり変わり者であろう。

 実際セシリアは変な客には慣れている。セシリアの数少ないファンは皆一様にフリーキーであった。三馬鹿とよばれているこの三人の比ではないほどに。悪役アイドルなんてキテレツなアイドルのファンになる人間がまともな訳がないのである。


「あんたこれらを楽しいみなさんに見えるってお世辞でもあり得ないよ」


「そうですか?」


 小首をかしげる姿がキリッとした見た目とのギャップでとても可愛らしい。


「媚び売ってるようにも見えないし本心なんだね?」


「そうですね。ママは楽しくなかったですか?」


 楽しいわけないだろう、手が脂でまだべっとりしてるよ。と顔を顰めながら肩をすくめる。


「ま、いいや。あんたが良いって言うならいいさ。あんたたち! この娘が話てもいいって言うから許すけど! ちゃんと節度は守りなあ!」


「こぽ」「どっふ」「……」


 ママの啖呵に三馬鹿は小さくなりながらお互いの顔をチラチラと見てちょっと嬉しそうに笑っていた。

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