第7話 ステータスと鏡の中のファン

 先ほどまでの契約やら打ち合わせを終え、事務所のあるビルの一室にセシリアはいる。住む場所のないセシリアにプロダクション・オーディンの持ちビルだというこのビルの一室が寮として割り当てられたのだった。


 その別れ際にジョージ・Pはこんな事を言った。


「スキルツリーの開放に伴ってステータスも確認できるようになっていると思いますので、部屋に入ったら確認をお願いします。ステータスオープンと言えば確認できますので。あ! ステータスは個人情報の中でも特に秘匿すべき情報なので他人には絶対に見せないでくださいね。俺にはセシリアさんが必要性があり、なおかつ見せていいと思った部分だけ見せてください」


「ステータスの確認かあ」


 というわけでステータスを確認という事を実に異世界転生らしい事にチャレンジ中である。


「えっと。ステータスオープン……おっ! 開いた!」


 セシリアの眼前に簡素なUIでステータス情報が表示されている。


────────────────

名前:セシリア・ローズ

職業:アイドル

ウェポン:ファンサ(+1)

スキル:なし

────────────────


「あ、これ! トワイライトをクビになった夜に思い出した記憶の最後に見えた画面だ! あれってステータスだったのねえ。ふーん。この一枚だけで終わりかな?」


 前世で使っていたタブレットの癖からスイっと指でスクロールすると次ページに移動した。


「おお、すごい」


────────────────

SING:★ ☆ ☆ ☆ ☆

DANCE:★ ☆ ☆ ☆ ☆

BEAUTY:★ ★ ☆ ☆ ☆

自己肯定:DEATH

────────────────


「これ全部星が五つになってるけど、白い星と黒い星の意味は何かしら?」


 目の前のステータス画面を不思議に思いながら、次の画面に進もうと画面をスクロールするが跳ね返るような動作をして画面は進まなかった。


「なんだこれで最後なのね。この自己肯定ってなんだろう? なんだかこれだけ表記がおかしいわね。これだけ日本語だし、星表記じゃないし……。DEATHってなんだろう? 死? 自己肯定感死んでるって事? ふふっ、それは確かに。今までの人生考えたらそうね。否定しかされてこなかったもんね。ファンサの横の数字は……ファンの数かな? ファンサした数かな? ジョージ・P一人だから+1なのかな? まあ、どれもこれも初めてみるからよくわからないし、今度ジョージ・Pに聞いてみよう。ジョージ・P……うーん。……ジョージ・Pかあ」


 明らかにおかしな表記であるステータス画面だが、前世ではアイドルへの偏愛と少々の小説や漫画くらいしか読んでこなかったセシリアにはゲームのUIに対する違和感などわかるわけがなく、むしろ今は自分の救世主であるジョージ・Pとの先ほどまでの会話の事でセシリアの頭にはモヤモヤがたちこめていた。


「あーーー! 聞けなかったなあ!」


 そんなモヤモヤを振り払うように少し声を張りながら、ゴロンとベッドに寝転がると自然とステータス画面は消え、見慣れない天井が視界に飛び込んでくる。それを見つめてセシリアはひとりごちる。


「先輩、どうしてやめちゃったんだろう?」


 セシリアにとって同志と言えるアイドル。クルーズ・クルーズに立ちたいと願った先輩。そのアイドルが不在で昨日まで開店休業であったプロダクション・オーディン。


 不穏な気配しかしない。


「あんな陽気な表情で言われたらあれ以上突っ込めないよね」


 一年でクルーズ・クルーズを目指すといったジョージ・Pの言葉は冗談で、あれ以上先輩の事を聞かれないように張った予防線だとセシリアは考えていた。

 実際そうであった。悪い話ではないと言いながらも、その先輩が原因でプロダクション・オーディンは開店休業状態となっていたし、ジョージ・Pはおでん屋台の大将に心血を注ぐようになったのだった。

 それとは知らないセシリアだが、推測は事実に近しいものとなっていた。


「だって一年であの舞台に立てるわけないじゃない。ごまかすにしたって現実味がなさすぎよね」


 そう言って天井に手を伸ばす。

 薄く血管が見えるほどの白い甲、節が目立たず細く伸びた指、キラキラとして栄養の行き届いた爪。

 それが窓から差し込む西日に照らされる。


「私の手ってこんなに綺麗だっけ?」


 トワイライトに所属していた頃は自分の手なんてマジマジと見る事はなかった。自分の手を見る時は大抵ルージュに叱責されている時で、その時は決まって感覚を殺しすぎて五感まで殺していたため、見てはいても脳に情報は全く伝わっていなかった。


「んっ!」


 軽く声を上げてベッドから跳ね起きると部屋に備え付けられた鏡に向かう。

 さすがにアイドル事務所の寮として使う部屋である。大きな姿見が据えられている。これならダンスの自主練も容易だろう。過去ここに居住していたアイドルがいたのだが、それはセシリアにはわからない。


「大きな鏡」


 そこにうつっているのは一人の女。緑色で細身のジャージに身を包んだすっぴんの女。立つ位置を調整しないと大型の姿見でも頭がはみ出してしまいそうなすらりとした長身。脚は程よい肉付きでスラリと身体の半分以上を占めている。そこから自己主張の強そうな臀部を経て、腰はゆるりとカーブを描き、再び自己主張のある胸部へとカーブを描く。


美しいボディラインである。


 セシリアは無表情、ともすれば冷たいともとらえられる表情で、鏡の前でターンをした。何度繰り返したかわからない。癖になっている動作。

 身体の回転にあわせて黒髪がふわりと浮いて回転する。

 それは漆黒に染め抜いた絹糸のように窓から差し込む西日を受け、まるで虹のように七色に煌めいた。回転しながらも鏡から冷たい視線を外す事なく、正面を見続け、回転が止まり、黒髪が顔に沿って止まる。


 同時にフワッとした微笑をたたえる。


 すると冷たい印象だった雰囲気はガラリと変わり、途端に人懐っこく柔らかい雰囲気へ変化した。


 セシリアが考えたフィニッシュムーブである。


「これ、本番では一回もやらせてもらえなかったなあ。そんなにだめかな?」


 練習でルージュにこのキメを提案したが、クビになるまで許可をもらえる事はなかった。それは至極当然で、こんな美しさを見せたらルージュのファンがそのままセシリアのファンにひっくり返ってしまう。赤子相手のオセロよりも簡単な勝負であろう。


「結構イケてると思ってたんだけど……と言うか……んー? なんかトワイライトでやってた時より良くなってる気がする。もしかして一年はあれだけど、頑張れば本当にクルーズ・クルーズに立てるのかな?」


 セシリアは気づいていない。

 記憶を取り戻した時とステータスが変化している事に。


 自己肯定。


 これは当初、自己否定という項目だった。


 しかし、自己否定はジョージ・Pに認められた事によって反転し、自己肯定という項目に変化していた。

 それによって全てを否定していた自分の魅力を認められるように変化していた。

 これが自分の目に見える自分が変わったように見えている原因である。

 もちろん、自己肯定が死んでいる事に変わりはないので完全ではないものの知らず知らずの内に一歩を踏み出せていた。


「でも、私なんかがちょっと魅力的だった所で、きっと血が滲むどころか血が煮立つくらいの努力しないと無理よね? ジョージ・Pがどういうレッスンやライブを組んでくるのかわからないけど、頑張らなきゃ! 頑張れ! 私!」


 そう言って鏡の中にいる自分を指差してウィンクを投げつける。

 心なしか鏡の中のセシリアが驚き、頬が紅潮したように見えた。そんな鏡の中の異変にめざとく気づいたセシリアは怪訝な顔で鏡を覗き込む。


「んー?」

(んー?)


 もちろん鏡の中のセシリアも怪訝な顔でセシリアを覗き込んでくる。鏡である以上当然のことである。


「気のせいかしら?」


 念には念を入れて確認するようにセシリアは鏡に手をついた。鏡の世界にするりと入り込んでしまうような事故は起こらない。冷たい。硬質な感覚が手を押し返してくる。


(キノセイカシラ?)


 もちろんセシリアが鏡に手をついているのだから、鏡の中のセシリアも鏡に手をつくことになる。


 鏡ごしに手があわされた。


 その瞬間。


『握手によりファン人数が増加しました』


「え?」

(は?)


 現実のセシリアと鏡の中のセシリアが異なった声を上げながら、同時に鏡から距離を取った。


「あなただれ?」

(アナタダレ?)


 真剣な顔のセシリアとは異なり、鏡の中のセシリアはすっとぼけた表情をしている。自分の表情を何万回と見ているセシリアは今の表情筋の状態で鏡の中の表情になっているはずがない事は知っている。


 これは鏡の中に何かいる。


 セシリアは一瞬で部屋の中を見回して武器になる物を探した。

 テーブル。無理。椅子。いける。花瓶。いける。

 鏡を椅子で割って、そこに花瓶を投げつける、そこに生まれた隙に割れた鏡で刺す。

 一瞬で戦闘の準備が整う。

 椅子を手にできる距離まで後退りしながら鏡から遠ざかり、手が椅子の背もたれに触れた所で止まる。


 ヨシ。


 準備ができたセシリアはゆっくりと鏡に語りかける。


「貴女がただの鏡じゃない事はもうわかってるの。これ以上誤魔化すなら……」

(貴女がただの鏡じゃない事はもうわかってるの。これ以上誤魔化すなら……?)


 語尾のニュアンスが異なっている段階で馬脚をあらわしている。この段階で鏡の中のナニモノかがこの世ならざるモノである事を認識したセシリアは手に触れている椅子を持ち上げて構える。


「割るわ!」

(割るわ?)


 思い切り振りかぶる。アイドルに必要な筋肉は、木の椅子程度なら簡単に振り回せる程度の力を与えてくれる。


「いい? いくわよ!」

(よくない! 待って!)


 木の椅子を振りかぶり、今にも鏡を破らんとするセシリア。鏡の中のセシリアはそれを止めるように必死で手を振っている。明らかに鏡の外と中で異なるセシリアがいる。

 とは言え、鏡の中のセシリアはとても情けない顔で泣きそうになっており、敵意のようなモノは感じられない。


 それを見て現実のセシリアは一息つきながらも、警戒は解かず、鏡の中のナニモノかに問う事にした。


「貴女はだれ?」


「んー」


 言い渋るナニモノへとセシリアは無言で椅子を構える。質問に答えない敵に用はないと言わんばかりに。


「待って! 待って! 答えない訳じゃないのよ! 説明が難しいの! どんだけ短気なのよ」


「それならそうと言ってよね。ちょっと位なら待てるくらいの気の長さは持ってるわ」


 椅子を鏡の前におろし、セシリアはそれに腰掛ける。鏡の中のナニモノも同じ動作で椅子に腰掛けた。

 ナニモノかがため息と共に言葉を吐き出す。


「ワタシが女神だって言ったら信じる?」


「信じないわね。自分を神だって名乗るモノはなんであれ他人を騙すモノだもの。神は勝手に祭られるモノよ」


 あっさりと言葉を否定し、神に対する持論を展開する。子供であるセシリアは親に売られた。その親は神(自称)に捧げる供物の対価として娘をクルーズ・タウンに売っている。あの日。セシリアは戻る場所を失った。だからどんな状況であれ耐える事しかできなかった。


「でしょう? だから難しいのよ」


「お化けとかなの? それとも鏡の中に入れるアイドルウェポンを持った人間?」


 人間だったらいつでも対処できるな。とセシリアは考えている。物理攻撃が効かないお化けなどであればそれなりの準備が必要であるため面倒である。とは言え対処方法がない訳ではない。この世界ではバルサンを炊く感覚で対処可能である。

 そんなセシリアの目算をよそに、自称神は話を続ける。


「ワタシ、さっきので貴女のファンになっちゃったみたいなの?」


「関係ない話ね。確かに女神のアナウンスが流れたけど」


 ジョージ・Pの時と同様に女神のアナウンスが流れた。あの声の主が目の前の自分と同じ顔をした女だと言うのだろうか?


「でしょ? あれワタシの声を使ったシステム音声よ。ファンになったワタシは貴女に嘘はつけないのよ?」


「それがなに? 鏡の中で私の姿をしている時点で本当の姿を偽っていると思うのだけど?」


 セシリアの正論に自称女神はグッと息を詰まらせる。

 悪役アイドルの面目躍如たる実に堂々とした詰問である。

 自称女神もそれに負けずに応戦する。


「これはしょうがないじゃない。今のワタシは本体じゃなくて鏡の中にいる分霊みたいなモノなのよ。それでもワタシはこの街の女神なの! 今度神殿にきなさいよ、本体を見せたげるから!」


「証拠もなくそんな与太話信じるわけないでしょう? 私もクルーズ・タウン歴結構長いのよ? そんな信じやすかったら今頃女衒に売られているわ。今だってそうやって神殿に誘って洗脳する気でしょう?」


「えー。どこまで疑り深いのよ。ていうかこの街ってそんなに餓鬼地獄みたいになってるの!?」


 余りの疑い深さに自称女神はゲンナリとした顔をしている。それを見てセシリアはそれ見なさいと言った様子でフンと鼻を鳴らす。


「いいから証拠を出しなさいよ」


「うーん。ワタシは貴女が転生者だって知ってるってのは証拠になる?」


「は?」


 余裕綽々な態度から一転。転生者という言葉にセシリアはポカンと口を開いた。それを見た自称女神はしてやったりと言葉を続ける。


「相良芽依。享年十三歳。アイドルに憧れるあまり、このアイドル修羅世界に転生してきた。正確には芸能修羅世界なんだけどねえ」


「待って! さらっと衝撃の事実を明かさないでくれる?」


 椅子から立ち上がり、鏡に駆け寄る。

 黒髪は後ろに靡き、その加速度を物語る。鏡の中の自称女神は勢いよく迫る美しい顔に少々怯えながらも、態度にはあらわさず、やっと得た優位にしがみついている。


「信じた? 信じたならもっと教えてあげるけどぉ?」


「ある程度!」


 自分の顔で調子に乗った表情を浮かべている自称女神に対して少しイラッとしながら、セシリアは鏡に向けて少し強めに両手をついた。自称女神はその時の音に少し驚いた様子である。


「んっ! ここまで言ってある程度なんだ。生粋のクルーズっ子だってそこまで疑い深くないよ」


「江戸っ子みたいに言われても困る! 貴女ほんとに女神なの?」


 ある程度とは言ってみたものの、セシリアはほぼ目の間のナニモノかが本当に女神だと信じている。それほどにセシリアの中で前世の記憶というのは大きい割合を占めている。


「そう言ったじゃないの? 女神兼貴女のファンよ。まさか自分の権能に囚われるとはね。長生きしてみるものねえ。ふーむ……自縄自縛ってちょっとエロくない?」


「……気が抜けるわね」


 そう言いながらセシリアは地面にペタンと腰を落とした。同時に鏡についた手がスルスルと下に滑り落ちて、そのまま自分の膝におさまる。白く美しい手がスルスルと下がっていくその様子を見た女神は揶揄うように笑って言う。


「神と会話してるんだからちょっとは気張りなさいよ」


「でも私のファンなんでしょう?」


 セシリアもまた女神を揶揄うようにそう言うと、鏡の中では神が人と同じ顔をして笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る