第6話 夢の舞台へ目標を
押し切られる様に契約を決めたセシリアと大将は細々とした契約書類の説明、契約を進めていった。そんな煩雑な作業は小一時間続き、精神を削りとられながらも、なんとか全ての事務処理を終わらせた。
晴れて。
セシリアは正式にプロダクション・オーディンの所属アイドルとなった。
「はい、お疲れ様でした。これで書類関係は全て終了となります」
トントンと受け取った書類を揃えながら大将は言う。
その手の中の書類に目をすがめるセシリアは手が疲れたのか空中でふりふりとほぐしている。
「ふう。いっぱい名前を書きましたねえ。物販用のサインよりいっぱい書いた気がします。書いた割には売れなかったなあ……私にファンなんていなかったからなあ」
「最終的には一度に千枚くらいサインをお願いする事になりますから覚悟しておいてください」
綺麗なセシリアの顔が千枚という数字を聞いて嫌そうに歪み、それを見て大将はもっと増えるかもしれませんよと揶揄うように言う。それをセシリアは冗談のように聞いているが、大将は本気であり、実際にはもっと書く場合もある。
「えー。大将スパルタですね」
「売れっ子になればそれくらい書くようになるものですよ。あ! それと今日から俺の事は大将ではなく、ジョージ・Pと呼んでください」
ジョージ・Pと名乗る中年男性の顔には照れくさそうな表情が浮かぶ。セシリアはそれを聞くと、ふりふりとしていた手を止め、ポカンとした顔で大将、改めジョージ・Pの顔を眺める。美しい顔をためつすがめつ見た後にポツリとその名を呼んだ。
「ジョージ・P」
「はい。俺のプロデューサーネームです」
「名前、あったんですね。大将としか呼んでなかったから」
「それはありますよ。まあアイドル時代の名前にプロデューサーのPをつけただけですけどね」
「芸名なんですか?」
そういって問いかけるセシリアの表情には少量の羨望が伺える。それに対してジョージ・Pは何かを察したように苦笑いを浮かべて答える。
「いえ、ジョージは本名ですよ。芸名でやっておけばよかったといまだに思いますが今となっては仕方ないですね」
「私も! 本名なんですけど、芸名ほしかったですね。今はセシリアの名前に慣れてしまったので変える気はないですけど」
「憧れますよね芸名」
「ほんとに」
お互いで芸名ではなく本名で初めてしまった不便さをひとしきり語りきった所で、ジョージ・Pが少し真面目な顔に戻ってセシリアに問いかける。
「さて、今後についてなのですが、セシリアさんに目標とかあったりしますか?」
「目標!」
セシリアはパンっと手を鳴らして嬉しそうにジョージ・Pを見る。
「ええ、目標があった方がモチベーションも保ちやすいですし、プロモーションの方向性も決まりやすいですから。その様子だとある、みたいですね?」
「あります! ……ありますけど、聞いても笑いません?」
「ええ、もちろん」
良かった! と嬉しそうに笑ってからセシリアは話しだす。
「実は私、クルーズ・クルーズでライブしたいんです」
クルーズ・クルーズはこの街の名を冠したライブハウスである。収容千人に満たない程度の決して大箱とは言えない規模であるが、この街ができたと同時に建設されたライブハウスであり、この街の歴史と言っても過言ではない場所である。近年ではもっと設備の良いライブハウスやアリーナなどが乱立しており、あえてそこでやりたいと望む人間はそこまで多くはない。
そんな骨董品のような文化財のようなライブハウスの名を聞くと、ジョージ・Pのニコニコとした表情に少し陰が落ちる。しかしそれは一瞬ですぐに懐かしむような、まるで古い写真を見返しているような表情に変わり、それもつかの間、元のニコニコとしたプロデューサー顔に戻る。
しかしその変化を見てとったセシリアは慌てた。やはり自分の夢は無謀であり、否定されるものだと思ってしまったのだろう。
「あっ! 今のなし! なしでなしで! やっぱりドン引きですよね。私なんかがクルーズ・クルーズなんて……」
相手に否定される前に否定してしまおうとする自己防衛から、バタバタと手を振り、足を揺らし、最終的に恥ずかしそうに手で顔を覆い隠してしまった。
「いえ、違います。今の表情はそういう否定的な意味ではないんです。あのライブハウスはいい場所ですし、目標にするにはいいと思います」
セシリアの言葉に自分が対応を間違ってしまったと気づいたジョージ・Pはセシリアの否定を否定する。
否定合戦である。
「本当に?」
顔を隠していた指の隙間から覗く瞳はしっとりと潤んでいる。
「ええ。セシリアさんならいけますよ」
「本当に!?」
隠していた手の中にいても表情がキラキラとしているのがわかる。
「俺が保証しますよ。と言っても昨日まで開店休業だった事務所のプロデューサーの保証なんてなんの意味もないですけどね。でも俺が絶対そこまで行かせますよ」
自信満々にジョージ・Pは答える。
実際、セシリアの能力とルックスがあれば元いたグループのトワイライト程度のアイドルをぶち抜いてアイドルランキング上位を目指す事は夢物語ではないと考えている。クルーズ・クルーズの舞台に立つにはランキングだけでは無理だが、それもセシリアのアイドルウェポンで解決できると踏んでいる。
アイドルの実力としても問題ない。何度かライブに足を運んでみた上で、歌唱、ダンスの実力もグループ内ではトップであったし、プロデューサー目線から言えば看板をルージュとセシリアの二枚看板に、もっと言えばセシリア単独の看板に変えた方がよほど売れるだろうと考えていた。
そんな目算に裏打ちされた言葉には説得力が伴い、それはセシリアの自己肯定感を高める。
「はい! 私、頑張ります!」
もう顔は隠れていない。白い頬は紅潮し、黒い瞳は希望に溢れ、バラ色の唇は綺麗な弧を描いている。
「ええ、一緒にあの舞台を目指しましょう」
お互い固く握手し、にこりと笑った。
手を離して、ソファに座った後、セシリアは聞きにくそうにジョージ・Pに声をかける。
「大将……じゃない。ジョージ・P」
「なんでしょう?」
時間が経ち、冷たくなったコーヒーに口をつけながらジョージ・Pはセシリアに視線を投げる。
「クルーズ・クルーズに何かあったんですか?」
「どうしてですか?」
クルーズ・クルーズの名前を聞いたジョージ・Pは唇をカップから離し、そのままテーブルへと置き、セシリアを見つめる。その顔には再び先ほどと同じような複雑な表情が見え隠れする。
それを理解しながらもセシリアは言葉を続ける。
「私が名前を出した時に止まったじゃないですか。私には無理って意味じゃないのなら、何かあるのかなあって」
「そうですね……」
話すべきか。話さざるべきか。
迷っている事を隠す事をやめた表情はとてもわかりやすい。
「っ言いにくいなら全然内緒でもいいです! 無理に教えてくれなくてもいいですよ!」
「いや。きっと言っておいた方がいいと思いますから、聞いてください」
意を決して見つめる瞳からは覚悟が滲む。
それを見て、この話がジョージ・Pの根幹に触れる部分である事がセシリアにも理解できた。それを話させてしまっている事に少しの後悔と聞かずにはいられない好奇心がせめいでいる。
「すみません」
全てひっくるめての謝罪であった。それを理解し、受けとったジョージ・Pは座りを直してから口を開いた。
「さて何から話しましょうか?」
ジョージ・Pの表情にはいまだ少なからずの迷いが浮かぶ。それはセシリアにも正しく伝わっている。と言ってもセシリアはもうこれ以上、その迷いに触れるつもりもないらしく、ジョージ・Pが話しはじめるのを落ち着いた様子で待っている。
うん。と一声。
意を決したジョージ・Pは話しはじめる。
「お察しの通り、クルーズ・クルーズと俺には因縁があります。それは過去ここに所属していたアイドルにまつわる話です。まあ因縁とは言っても特に悪い話ではありませんからご心配なく」
セシリアは無言で肯く。
「簡単に言ってしまうと、その過去所属していたアイドルがセシリアさんと同じ事を言ったんですよ。それに不思議な縁を感じましてね、それであの表情というわけです」
「なるほど、それであの懐かしそうな表情だったんですね。それにしても先輩で同じことを考えていた方がいらっしゃったとは! やっぱりアイドルといえばあそこのライブハウスなんですね?」
同志を見つけたセシリアはとても嬉しそうに手を合わせて微笑む。それを見たジョージ・Pは気まずそうに真実を告げるために口を開いた。
「いえ、正直あのライブハウスを目指すアイドルは多くはありません。基本、この街のボスである、ドン・クルーズの事務所に所属しているアイドル用のライブハウスですからね。外様のアイドルはほぼあそこに立つ機会はありません。唯一と言える出演機会は年一回のアイドルバトルの優勝のみですし、そこに出ても得られるのは名声だけ。正直メリットはありません」
「ほふーん」
先ほどのキラキラしていたセシリアの目の輝きはその言葉にかき消された。おかしな声まで出して今にも目の前のローテーブルの上に溶け出しそうな雰囲気である。そんな姿にジョージ・Pはフォローの言葉をかける。
「まあまあ、そうしょげずに。これは決して否定してるわけではありませんよ。その名声が大きいんですよ。名声は人気を加速させますから」
「そうなんですね。あのライブハウス、私がこの街に売られてきた時にはじめてみたライブハウスなんです。あの頃はまだ事務所の社長も私に冷たくなかったんで、連れて行ってくれたんですよね。その時、初めて見たはずの場所なのに初めてみたとは思えなくって。今では大きさもそこまで大きくないのはわかるんですけど、キラキラした世界をはじめて見たあの時はすごく大きく見えたんです。入っていくお客さんもみんな楽しそうで。それを見てるうちに売られた悲しさとかはどこかに消えてました。きっとあの瞬間に私はアイドルとしてやっていく覚悟ができたんだと思います。だから、売れない間もずっとあそこが私の目標なんです」
表情に浮かぶのは憧憬。
前世の記憶を思い出す前までは理由のわからなかった気持ちに理由が伴い、セシリアの中のその気持ちはより一層大きさを増していた。知らないはずの光景。なのに知っている光景。
その理由は前世で見たアイドルのステージである。
クルーズ・クルーズはセシリアが前世で見ていたアイドルがよくライブをしていたライブハウスにとてもよく似ていた。
「素晴らしいじゃないですか。今の話をしているセシリアさん、とてもキラキラしてアイドルでしたよ。絶対にそこまで行きましょう」
「はい! 頑張ります!」
立ち上がり、上を向いて気合と共に決意を新たにしたセシリア。
その姿勢のまま、アッと声を上げて、視線をジョージ・Pに落とす。長身のセシリアから降り注がる視線をジョージ・Pは不思議な顔で受け止める。
「どうかしましたか?」
「その先輩!」
「クルーズ・クルーズに立つと言ったアイドルですか?」
「ええ! その私と同じ先輩はあの舞台に立てたのですか?」
セシリアの肉付きよく、形の整ったお尻がソファにぽふんと音を立てて落ちた。
「……立ちましたよ」
「すごい!」
「ええ、彼女は本当に凄かった。うちの事務所に所属して三年でクルーズ・クルーズの舞台に立ったのですから」
ゆっくりと思い出すように。
ゆっくりと言葉を噛み締めるように。
ジョージ・Pはそのアイドルを褒める。
「は! え? 三年!?」
あまりのスピード出世にセシリアは頓狂な声を上げて驚く。実際誰でも驚くだろう。実際にそのアイドルが世に現れた時は世間も驚いた。彗星のように現れスターダムを駆け上がった。セシリアがこのクルーズ・タウンに売られてくる一年前の出来事であった。
「ええ、しかも若干二十歳でしたね」
「すごい! 天才じゃないですか!」
「ええ、天才でした。ですが、セシリアさんはそれを超える天才だと俺は思ってますよ」
「いやいやいや! それはジョージ・Pの気のせいですよ!」
いまだ自己肯定感の低いセシリアを見て、ジョージ・Pは静かにニヤリと笑う。美中年のいやらしい笑いはどこか淫美で独特の色気を醸し出している。そんな色気を振りまきながらセシリアに囁く。
「いいえ、気のせいじゃあありません。俺のアイドルウェポンが囁くんですよ。俺ならこいつを一年でクルーズ・クルーズに立たせる事が出来るってね」
「……一年?」
現実味のない期間にセシリアはただ言われた言葉を繰り返す。実際誰が聞いても現実味のないスケジュール感である。
私、昨日所属事務所をクビになったアイドルなんですけどぉ、来年にはアイドルバトルに優勝してクルーズ・クルーズの舞台に立ちたいんですぅ。なんて語尾が甘ったるいアイドルが事務所の門戸を叩いてきたら、どんな悪徳事務所でも尻を蹴り飛ばして門前払いであろう。
しかし目の前の美中年は本気で一年でセシリアをクルーズ・クルーズの舞台に立たせると言っている。
その言葉にはなぜか説得力がある。
「うん。いいですね。目標が決まったじゃないですか」
「え?」
目標とはもしや? とセシリアがジョージ・Pに問いかける。
その問いに無言で肯き、言葉を放つ。
「今から一年後、クルーズ・クルーズの舞台に立ちましょう。それ用にレッスンと仕事を入れていきますんで御覚悟を!」
「いやいやいや! 本気ですか?」
「本気です。厳しく行きますよ!」
「ええええええええええ」
隣のビルから苦情がきそうな程のセシリアの驚きを響かせた。自分で出した声に驚き慌てて口を抑えたが一年でクルーズ・クルーズの舞台に立てるほどの才能を秘めたアイドルの声は音速で部屋から飛び出して近所迷惑になっただろう事に気づきセシリアは慌てる。
しかしジョージ・Pは時に慌てる事なくニコニコと笑って言う。
「歌唱レッスン用に完全防音になっているのでいくら大声出しても大丈夫ですよ。セシリアさん」
そんな呑気な中年の表情にセシリアは若干の苛立ちを覚えた。
違う。そうじゃない。
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