第9話 才能


 一重ひとえに──『才能』とは、この世に産まれし時より授かるものであったり、汗水流した努力の結晶の末の産物でもあり、また予期せぬ出来事からの急な開花によるものでもある。


 今日、晴れてプロテストに受けに来たこの『薬師丸』と言う男は中学よりボクシングを始め、非凡なる才能を発揮してアマチュアの中でもトップクラスの実力を誇る有望なボクサーだ。


 薬師丸のスタイルは、ヒットアンドアウェイの極めてオーソドックスなボクシング。捻りのない、堅実で正確なるファイトスタイル、それを忠実に実行できる者はすべからく強い。


 薬師丸は相対する東谷を見て思う。太い二の腕、厚い胸板、筋力で殴るパワータイプ、威力は優れるがスピードに難があるタイプだと冷静に分析する。


 実際その予想は当たっている。二人の攻撃範囲エリアが近づくと、東谷からまずは先制攻撃──大砲のような右のストレートが飛んできた。


 薬師丸は半歩後ろに下がってそれを難なく避けると、お返しに鋭い左ジャブを顔面に向けてお見舞いしてきた。


 別に特筆すべきものは無い。今まで倒してきた相手の中にも同じようなタイプがいた。攻略方法は知っている、薬師丸はこの左ジャブから起点に少しずつ相手を削って、後は安全圏にバックステップしながらコンビネーションを隙きを見ながら叩き込むだけ──


 勝利への計画プラン、思考は冷静だ。


 しかし、唯一計算に考慮しなかった点があるとすれば、それは東谷が元プロ野球選手・・・・・・・ということだけである──!



「シッ──!!」



 東谷の視点、空振りに終わった自分の右ストレートは挨拶代わり。敵の左ジャブが来ることは予想はしてなかったが、そのパンチは見えていた・・・・・



「──ッ!?」



 ボクサーにとって、ジャブとは基本的に"当てなくてはならないもの"──軽く、速く打ち出された薬師丸のジャブは本来当たる筈のスピード、タイミングであったが東谷はこれを寸前の所で躱した。



「だらあッ!」



 すかさず東谷はカウンターの左のストレートを放つ。しかしこれは薬師丸も驚いたが、常にヒットアンドアウェイを意識している彼には拳先一つ分足らず、空振りに終わる。


 また二人の距離が少し離れたところで、薬師丸は呼吸を静かに吐く。


「へへっ……やっぱ簡単には当たらねえか。だがよ、俺もお前のパンチは見えてるぜ」


 東谷の言ってる事は嘘では無い。野球にて鍛え抜かれた選球眼は、どんなパンチだろうが全て捉える。


「……目が、いいんですね」


 タイミングのあったジャブを躱されたのは予想外だが、薬師丸は冷静だ。やはりスピードがある相手じゃない、異常に"目"がいい相手──なるほど、厄介だ。


 この東谷と言う男の評価を改める。ただの筋肉馬鹿じゃ無い。あの目を使って一発でかいカウンターを貰えば形勢は大きく傾くだろう。


「いいぞ拳坊! やっこさんの動きをよく見ろ! そんでコンパクトに攻めろい!」


 リング下の客席から熊三の激が飛ぶ。


「ケンちゃんコンビネーションを意識して! 野球と同じ、組み立てが大事よ!」


 客席からの声援と同時に薬師丸の素速いワンツーが飛んでくる。


「(見える……! 左、右、もういっちょ左!)」


 体を左右に振りながら紙一重で避ける。そうだ、佐山あいつの時と同じだ。今は奴がピッチャーで俺がバッター! 見定めろ、どのパンチが打ち取れるか──。


 絶え間無くリズムを刻むように薬師丸はパンチを繰り出す。そこに淀みは無い、堅実なるボクシングは徐々に東谷の目を持ってしても厳しいコースに投げてくる。


「(ちっ、さすがに上手い! こっちの選択肢を潰してきてる!)」


 経験の差、軽いフットワークに翻弄される。パンチを打つタイミングこそあれど、絶妙な足取りで薬師丸はこちらの攻撃範囲から距離を置く。


「ちきしょう、野郎のパンチはしってやがる。拳坊、防戦一方になっとる! 練習を思い出せ!」


「ケンちゃん、ヒットアンドアウェイ対策を思い出して!」


 ヒットアンドアウェイは基本戦術である以上、対策ももちろん存在する。そもそもこの戦術は、体格に優れないアジア出身のアウトボクサーが多く使用するスタイル。スピードを重点的に意識した分、パワーは少し落ちる。


 そこで主な対策が、出始めの軽いジャブを払い前進して距離を詰める方法と、攻撃終わりの敵のバックステップに合わせてこちらも前に出る方法。


 しかし東谷はこのどちらも理解した上で、動かずにいた。


 ──パァンッ! パァンパァンッ!


 固めたガードの上に薬師丸のパンチが快音を鳴らす。


「(動かないのか──? いや、動けないのか。ならばこのまま固めて終わりだ。この距離を保ちつつお前を削る……!)」


 薬師丸の判断に迷いは無い。加速する攻撃が東谷を徐々にコーナーへと追い込む。


「押されてる……! ケンちゃん足を使って!」


 心配する洋子、しかし隣の熊三はどこか冷静である。


「あいつ……何か狙ってやがる」


 元ボクサーのか、防戦のままの東谷を見てそう思ったのだ。


 どかっと、東谷の背中がコーナーについた。もう逃げ場は無い、こうなると後はサンドバッグに近い形で敵の攻撃を受ける事になる。


 ──シュッ!


 無論、これを好機と見る薬師丸はコンビネーションを叩き込んでくる。一見すればもう決まった試合、後は受け手が何秒持つかの時間の問題。



「(このストレートで止めだ──!)」



 ────ガキッ!


 重いストレートが刺さった。それも顔面だ、ヘッドギアをつけてるとはいえ、鈍い音がした。


 そう、そのストレートは──東谷が放ったものである──!


「よしっ!!」


「刺さったあ!!」


 南方親子が思わず立ち上がる。会場の人間が「おおっ」と驚き、目を丸くする。


 そして、最もこの状況を理解できてないのが、ストレートを食らった薬師丸本人である。


「(……がっ、なん、だこの威力!? いかん距離を取らない、と)」


「よっしゃあッ! どストライクだぜ!」


 ふらつく薬師丸に対して、前へと出る東谷。攻守交代、厚みのある丸太のような腕から繰り出されるジャブ、『ボールジャブ』が不規則に薬師丸の身体というストライクゾーンに当たる!


「すごいわケンちゃん! よくストレートを当てたわね!」


「ありゃまぐれじゃねえ。あいつ、じっくりと見てやがった。コーナーに行くことで敵のパンチを"絞り"やがった」



 東谷のセンスは野球人そのもの。東谷は敵の球種と言う名のパンチを絞るために、あえてフルカウントコーナーまで見たのだ。


 フルカウントにしてしまえば、敵が投げるのは軌道はあれど納まるのはド真ん中──故に完璧にその選球眼を持ってカウンターのストレートフルスイングを合わせたのだ。


 本来なら一発KOのパンチだが、ヘッドギアに救われた薬師丸は飛びそうな意識をかろうじて残していた。


 しかし、それが彼にとっては不幸な事であった。


 ぎりぎりで持ちこたえた彼を襲うのは、唸る剛腕──すなわちそれは、先程までの相手の立場!



「うおおらあッ!」



 ガッ、バスッ、ガキッ、ドガッ──!



 ボクシングのセオリーを外れるような不規則なジャブが、肩口、額、胸板に刺さると薬師丸はあっという間にコーナーへと追いやられた。


 まさに人間ストラックアウト、薬師丸は呼吸さえおぼつかない。



「ラストおッ!」


「うっ、おああ!」



 必死にガードする敵に対し、それを読んだかのように東谷の『マッハストレート』が、空いた腹部へとめり込んだ。


 ドボォッ!!


「がっ…………!」



 確かな手応えを感じ、東谷がその手を引く。それと同時に薬師丸は膝から崩れ落ちるように倒れこみ、試合終了のゴングが鳴り響いた。


「しゃあーッ!!」


 高々と手を上げて喜ぶ。会場はその逆転劇に少しどよついていた。


「おいおいおい、勝ったわあいつ」


「ほう……たいしたものですね」


 薬師丸の実力を知る者達から称賛の声、そして南方親子は


「「やったあーー!!」」


 と、歓喜の声を上げる。


 堂々と四角いリングから東谷が降りてくると、熊三は背中をばしんと叩いて笑顔を見せた。


「よくやった! 流石はわしの見込んだ『ジョー』だ!」


「だからジョーじゃねえ! ま、オッサンとの練習がちゃんと役立ったぜ」


 クマのオッサンは満面の笑みで頷く。


「ケンちゃん頑張ったわね! カッコよかったわ!」


「ほ、ほんとかい洋子ちゃん……! いや~俺ってやっぱり才能あっからなあ~! かぁーッ自分の才能、こえ~わ~」


 俺は彼女の言葉でデレデレと顔を歪ます。


「まったく調子に乗るなと言いたい所だが……拳坊、おめえ本当に"才能"あるぜ。やっこさんは正直わしの目からしても相当できる・・・野郎だった。しかしおめえは想像よりも強くなってやがった、この数週間での成長はそのへんのボンクラじゃ比にならん。これからのおめえの成長にわしはかなり期待できると今日改めて踏んだぞ」


「お、おう。何だかオッサンに褒められると逆に調子狂うな」


 いつもの説教とは違い、クマのオッサンは褒めてくれると俺は何だかむず痒かった。


 そしてその後は他の受験者の試合も一通り終わり、俺は楽勝ムードで洋子ちゃんと談笑して後は帰るだけだなと思っていると、スタッフがまた受験者に何か呼びかける。


「皆様、実技試験お疲れ様でした。それではこれより、"筆記試験"を始めますので別室へとご移動お願いします」


 ……ん? 俺はいぶかしんだ。何やら聞き慣れない言葉が出てきたからだ。


「ん、あ? なんて?」


「"筆記試験"よ、ケンちゃん。すぐ終わるから頑張ってね!」


 彼女がかわいい笑顔で俺の背中を押す。


「え、ひっき……筆記試験!!??」


 俺はすっとんきょうな声を上げた。


「拳坊、落ち着け。でえ丈夫だ。おめえの考えてるもんよりずっともっと簡単なテストだ。例えるなら『ポストの色は何色だ?』と同じくらいの問題しかでねえ。猿でも解ける問題だ、さっさと済ませてこい」


「な、なんだその程度なら楽勝だぜ。んじゃちょっくら受けてくらあ!」


 そうして俺はステップを踏みながら別室へと行き、渡された答案用紙にすらすらとペンを走らせ、やがて帰路へとついた。



 夕方、ジムにて俺は携帯のボクシング協会のサイトをチェックする。プロテクトの結果はその日のうちに発表される。


「ようやくここがスタートラインだ。拳坊、今日はよくやったな。これから忙しくなるぞ」


「へへっ、まかせろよオッサン。この先強え奴がいると思うと俺も燃えるぜ。一気にチャンピオンまでのし上がるぜ……!」


「今日は門出の日ね! 南方ボクシングジムの再出発となる素晴らしい祝日になるわね!」


 三人はいつになく、晴れやかな気持ちであった。プロ野球界を追われた悲惨な男、借金で首の回らないオッサン、それを支える幸薄き苦労人の娘……。


 そんな不幸自慢ができるほどの人生を送る彼等は、今日というめでたい日に久しぶりの『幸せ』を感じていた。



 そして、ボクシング協会のサイトが更新され、合否の発表欄が公開された。



 俺はうきうきでその発表欄を見ると、そこにはこう書いてあった。










  受験番号5  東谷 拳 ──『不合格』








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