01-8.どうして間に合った

 思いがけず自分のことを訊かれて、安積あづみは返答に詰まった。深涯みはてはためらいながらも続ける。

「だってそのとき外輪山の内側にいたんだよね。あららぎの宮で祠を見たなら、そういうことじゃないのか。いまの話だと青家せいけ龐樹ほうじゅから出ることも禁じられてたみたいだし。……ちがうのか?」

 ゆっくりと問いかけられながら、安積はいっそう言葉を失っていった。その青褪めた横顔を前にして、由稀ゆうきは反射的に腰を浮かしかけたが、ふたりの会話に割って入ることはできなかった。

 この場に声も出せないような緊迫感があるわけではない。それでも由稀が口を噤んだのは、深涯の問いが由稀にとってひどく興味深く魅力的なものだったからだ。

 いったいどうやって繭化した龐樹から抜け出せたのか。

 深涯がその問いへ辿り着いたように、由稀も数年前からおなじ疑問を抱くようになっていた。

 おさないころから、竜家やみずからの境遇については聞かされてきた。安積と志木しきは実の両親ではないこと、竜家のほとんどが龐樹に閉じ込められてしまったこと、生まれたときには髪も目も黒かったこと、いつ繭化が解かれてもいいように村や森から離れないでいること、など……。

 はじめはただ語られることを丸ごと受けとめていた。それがいつからか、聞いたことを自分のなかで反芻して考えるようになり、そうしてまもなく気づいた。

 ずっと、訊けずにいた。そうやって沈黙していることが子としての務めと信じていた。だが心はひとつも納得していない。

 安積がどう答えるのか知りたい。

 その気持ちが、由稀の優しさをわずかに鈍くした。

 安積はちらりと由稀を見た。目があう。聞かれたくないのだろうと伝わってくる。由稀はその眼差しの真意に気づかないふりをした。罪悪感でひどく喉が渇く。やっぱり聞くべきではないのかもしれないと、迷いがうまれる。

 だが由稀が引き止める前に、安積が口をひらいた。

「違いません。たしかにわたしはそのとき由稀さんとともに龐樹の最奥、あららぎの宮そばにおりました。そして繭化を逃れました」

「どうして間に合った」

「それは……」

 安積は逡巡によろめきながらも、意を決して顔をあげた。

「繭化が始まる前に、青家当主、青竜せいりゅう慶栖けいすから龐樹を出るよう指示されたからです」

「指示?」

 深涯は眉を寄せて安積の言葉を繰り返す。

 青家のなかでも巫女候補だった安積が龐樹を出るのは、特に例外的なことだったはずだ。青家当主である慶栖がそれを知らないはずがない。それでも指示をしたというなら……。

(まるで閉ざされてしまうことがわかってたみたいだ)

「その日は巫女の祥稲さちねさまから由稀さんのお世話を任されていました。あららぎの宮へ行くと慶栖さまがいらっしゃって、理由を訊く間も、抵抗できる余地もなく、わたしは慶栖さまが連れていらした還り子もどりごさまを抱いて龐樹を出ました」

 安積は短く息を吸い込んで、かたい声で深涯の名を呼んだ。

「深涯さま、これは身内の恥、……罪とわかってお話ししています。ですので、どうかここだけの話としてお心に納めていただけますか」

 わかった、と深涯が頷く。安積は胸に手を当て、ひとつ深呼吸をした。

「この祠、祀ったのは青家当主です」

 安積はしぼりだすようにそう言って、卓上にあった祠を描いた紙片を深涯のほうへ差し出した。

「お調べになるのでしたら、ぜひ当主へお訊ねください。あの方は、おそらく誰よりもいまの龐樹の状態を把握しています」

 いまの龐樹。それは繭化のことにほかならない。

 由稀は安積のじっとりとした眼差しを見つめながら、ああ、と得心した。安積は慶栖と話したり、慶栖のことを話すときには、いつもこの疑うような、遠ざけるような目をする。繭化から奇跡的に逃げのびた四人きりの同胞だというのに、なぜそんなふうに遠巻きに接するのかずっと不思議に思っていた。

 由稀は背の高い、痩せぎすの男の姿を思い浮かべた。青家でありながら朱家のように龍脈りゅうみゃくに通じ、強い神似しんじでもって井戸枯れや水潦の異変などにたったひとりで対応している。

 そんな彼だからこそ、繭化にかかわるなんらかの異変を感じられたのかもしれない。巫女候補の安積を行かせたのも、簡単な決断ではなかっただろう。だがそうさせるほどの予感があったということでもある。

 それは由稀にも想像がつく。

 しかしそれなら、なぜ竜家の皆に知らせようとしなかったのか。

 まだおさなかった安積でも間に合ったのなら、その時点で繭化まで猶予はあったはずだ。皆がその警告を信じなかったとしても、脱出に成功したのがたった四人ということにはならなかったのではないか。

 きっと安積もおなじことを考えているのだ。もっとずっと昔から、繭化のその瞬間から、慶栖に対して不信感を抱き続けている。だから決して慶栖に心をひらこうとしない。長年の疑問が繋がった、と由稀は思った。

(だから未真みまのことも反対したのか)

 安積の頬は、きりきりと引き絞った弓のように張り詰めて、いまにも泣き出してしまいそうだった。未真が慶栖とともに水府を巡りたいと頼み込んだときも、おなじ顔をしていた。あのとき最後のひと押しをしたのは由稀だった。竜家と関係のない還り子の未真まで村に縛りつけるのはおかしい、未真は還り子としての役目を果たしたいと願っている、そう説得した。知らなかったとはいえ、酷なことをしたのだと胸が痛んだ。

 由稀はいつしかあぐらの下に押し込んだこぶしを、きつく握りしめていた。

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