第11話 ノスタルジア

ボストンはアメリカでも有数の歴史を持った街だ。

しかもほとんどの大学は郊外に集中し、学生街を形成している。

勉強するにも、人脈を作るのにも素晴らしい環境だ。


日本人も、アジア人も、自分が孤独でない環境には常にいる。

日本の食材も手に入る。ご飯でも、うなぎでも、納豆でさえ。

それが故郷日本を思い起こさせ、彼の顔を思い起こさせる。


都会の絵の具に染まらないでと願っても、自分が染まっていることに気づく。

彼からしたら全く異なる色に。


ボストンからフロリダへと友達と旅行をしにいった。

飛行機に乗るのは日本から来た時以来だ。

出発の直前、わざわざ空港まで来てレモンケーキを渡してくれたな。なんて思いながら小さな窓越しに、彼を思い出した。


らしくなく、いつもより潤った目でこちらは見つめながら、頑張れよとそっと髪の毛にキスをした。

キスなのかもわからない。

ただ抱き寄せただけなのかもしれない。

ただキスとして私の頭には残り続けた。


手紙を書けば必ず返事が来る。

遠距離だが元々距離が近いとはいえ、密接でなかった分特段問題はなかった。


唯一私が犯した罪があるとすれば、自分に好意を持っていると気づきながら、好きでもない男を家にあげ、二人きりになってしまったことだけだ。

その夜は長く、ボストンに来てから一番長かった。

それでも、彼を裏切ったわけでも、傷つけたわけでもない。


たまに公園に一人で行くとノスタルジックな気持ちになる。 

日本の森にどこか似た空間に、私を移す水面に、心地よい風に。


二年ぶりの日本は、二年ぶりの彼は、二年ぶりのみんなは。

アメリカへやってきた以上の興奮と不安が、ノスタルジアと共に襲ってくる。


最後にボストンの港にもう一度来た。

お金を払えば茶箱を海に投げられる。

ボストン茶会事件にまで、アメリカらしいシステムだ。

そういえばボストン茶会事件は"Boston Tea Party"の訳で、partyは政党を表す言葉であって、正しくはボストン茶党事件だと高校で社会の先生が熱弁していた。

ティーパーティーは海にお茶を捨てる行為じゃない。

そんなの彼だって知ってるって言いそうだ。


アメリカ暮らしで飲み続けたコーヒーに慣れた舌が、紅茶とレモンケーキなどを愛することができるのだろうか。


ノスタルジアが止まらない。

ノスタルジアが止まらない。

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