第32話 黒江の変化

 梅雨に入り、しとしとと雨の降る伏木神社。

 その拝殿の軒先に、一郎と黒江は並んで立っていた。

 いつもは寂れて打ち捨てられているかのように思える境内だが、紫陽花や桔梗が咲き、氏子によってちゃんと手入れがされていたのだなということがわかる。

 花は雨に濡れて、いやらしい程に艶やかさを増していた。

「……ああいう、繰り返し同じことを言ったり、するのって、な、なんの意味があるの?」

 ……当然の疑問だよな。

 黒江からそう訊ねられた一郎は、こう答えた。

「人は同じものを毎日見ていれば、そこに違和感を覚えなくなる。目についても何も感じない、あるいは全く見えなくなる。言葉もそう、習慣もそう。刷り込みの繰り返し。それが洗脳。黒江さんが教祖であると、そう朝の会と終わりの会で叩き込んでるんだ」

 黒江の顔が曇る。

「せ、洗脳って……」

「悪いことのように感じるか?」

「……うん」

「そうか、でもそんなもの感じる必要なんてない」

「えっ、どうして?」

「常識も同じこと。文化だって歴史の付随した洗脳でしかないんだよ。みんな大昔からやってることさ」

「……」

「言葉の力は強く重い。それは言われた者だけに留まらない。自分自身への言葉でさえもだ。黒江さんも経験したことがあるはずだ。あいつムカつくとか、あいつウザいとか軽い気持ちで言ったとして、そこから本当にムカついたりウザくなっていくっていうようなことが。……これはもう自己暗示と言っていい。言葉を唱えさせるのは、黒江さんが思ってる以上に強い呪いだよ」

「……いいのかな」

 迷い、葛藤している黒江へと、一郎は軽い口調で言った。

「いいんだよ。もしこのやり方が間違っていたとして……いや、間違っているんだろう。でもそのことの何がいけないんだ?どうせ世界も間違っているのに」

「……」

 黙って聞いている黒江に続ける。

「いや、もっと間違っていて、その洗脳が常識としてまかり通っているのに。そういうものに選択肢を狭められているのに。……僕ら子供が間違えて何が悪いんだ?間違えたって大したことはないのに」

「……」

 黒江は頷かず、ただただ黙りを通した。

 そうやって、自己を主張していたのだ。


 ◇

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