第27話 襲撃者


「本当に、大丈夫なのか?」

 

 ロンディーヌが不安そうにたずねる。

 

「ロンディーヌさんが異能で喚び出しているなら、また出てきます」

 

「二度と現れないようにできないのか?」

 

「ただの悪霊だったら、もう出てきません。でも、ロンディーヌさんが異能で召喚したものなら、何度でも出てくるでしょう」

 

 レインは、壁の隙間から外の様子を覗った。

 大型の魔獣が近づいて来る。魔瘴に堕ちる前は、野ネズミだったのかもしれない。

 

(馬より大きい……あんなのが増えたら大変なことになりそう)

 

 レインは、低木を揺らして歩いている巨大ネズミを見ながら顔をしかめた。

 

「私の異能を調べた神官は、黒い蛇がいているとは言わなかったぞ?」

 

 ロンディーヌが不安そうに表情を曇らせる。

 

「その神官は、何だと言ってたんですか?」

 

 レインは首を傾げた。

 

「命を吸う悪しき力が発現していると……私は、吸精鬼の亜種にちかけているそうだ」

 

「は? 吸精鬼? ロンディーヌさんが魔物化してるって言うんですか? 僕は退魔師ですから……この距離で、魔物の気配を見逃すことはありません」

 

 レインはきっぱりと断言した。

 "命力を吸う力"を発現しているという見立てに異論は無いが……。

 ロンディーヌ自身には、魔瘴堕ちのきざしはない。霊気に濁りはなかった。

 

「そうなのか?」

 

「何かの弾みで、あの黒蛇を召喚しているんだと思います」

 

 そういう異能を持っているか、魔法を使っているか、何かの道具によるものか……。今は判断がつかない。

 

「私に、そんな異能が……そんなことがあるのか?」

 

 ロンディーヌが顔をしかめた。

 

「ここは他に誰も居ませんから、蛇を出しても問題ありません。しばらく様子をみましょう」

 

「しかし、レインは大丈夫なのか? その……黒い蛇に命を吸われたりは……」

 

 ロンディーヌが不安そうに訊ねる。

 

「僕に瘴気は効きません」

 

 レインは外をうろうろしている巨ネズミを見ながら首を振った。

 

「瘴気……瘴毒が効かない?」

 

「そういう体なんです」

 

 レインは <霊観> を使って周囲を見回した。

 

「そんな体質など、聞いたことがないぞ? 何かの結界で防いでいるということか?」

 

 ロンディーヌがレインを見つめる。

 

「結界がなくても効かないんです」

 

「そんな馬鹿な話が……」

 

「あるんです」

 

 レインは、ロンディーヌを見て微笑を浮かべた。

 

「……本当なのか?」

 

「はい」

 

「そうか」

 

 ロンディーヌが小さく頷いた。

 

「そんなことより、紫色の霧が立ちこめてきましたけど……いつも、こんな感じなんですか?」

 

 先ほどまで見えていた立木の場所が分からなくなるほど濃い霧だった。

 

「瘴気を含んだ魔霧だ。夜になると立ちこめるようだが、どういうわけか、この建物の中には入って来ない」

 

「魔霧が入って来ない? ロンディーヌさん、この建物は調べました?」

 

 たずねながら、レインは窓枠から身を乗り出して空を見上げた。

 上の方で何かが動いたようだった。

 

「いや、ここに辿り着いて……この部屋に入ってからは、外に出ていない」

 

 ロンディーヌが首を振った。

 

「いつから、この部屋に籠もっているんです? 水……は、魔法でしたね。何を食べていたんですか?」

 

 ドリュス島で暮らしていた時は、魔物でも何でも食べていたが……。

 

「……これだ」

 

 ロンディーヌが宙空に手を舞わしすと、手元に黒いかすみのようなものが現れた。

 軽く目を見開いたレインの見つめる前で、ロンディーヌが黒い霞に手を突き入れて、中から塩漬けの肉の塊を取り出した。

 

「それ、魔法ですか?」

 

「こことは異なる空間に物を収納しておく……そういう魔法だ。古代の魔法鞄を研究して編み出された魔法らしい」

 

「へぇ……便利な魔法があるんですねぇ」

 

 レインは素直に感心した。

 

「界の開閉に結構な量の魔力を使う。あまり気軽には使えないが……逃げる時、馬車に積んでいた物を入れてきた。あれから、4日……まだ腐ってはいないようだ」

 

 ロンディーヌが指でなぞると、肉塊が薄く切断されてゆく。

 

(……闇刃? いや、風で切っている?)

 

 ロンディーヌの白い指先から魔法が放たれていた。

 

「このままでは塩が強過ぎて食べられない。だから、しばらく水球に浸けなければ……なんだ?」

 

 レインの視線に気付いて、ロンディーヌが動きを止めた。

 

「色々な魔法を使えるんですね」

 

「……この身の怪異を何とかできないかと思い……そういう魔法はないかと探した。その過程でいくつか魔法を覚えた。だが……肝心の聖法術が使えない。そちらの適性は皆無だった」

 

 静かな口調で語りながら、ロンディーヌが水球を生成して、切り分けた塩漬け肉を押し入れた。

 

「器用ですね」

 

 水球の中で、ぐるぐると回転する塩漬け肉を見ながらレインは唸った。

 

「得意は炎系だが……水や風も、この程度なら」

 

「さっきの物を収納する魔法は、どのくらいの魔力が要るんですか?」

 

「あれは、そうだな……界の開閉だけでも、レインの魔力量の10倍は必要だな。開いた界を維持しておくために、同量の魔力を注ぎ続けることになる」

 

「う~ん……じゃあ、僕には無理ですね」

 

 レインは溜息を吐いて、背負い鞄から白磁の皿を取り出すと、ロンディーヌの膝上に置いた。

 

「これは……ずいぶんと質の良い皿だ。どうした?」

 

「そのまま落ちないように持っていて下さい。ええと……青菜の漬物とサンジの佃煮……芋の煮付け、それから縦縞蛇の一夜干し……あっ、蛇は軽く火で炙って下さい。後は、揚げパンと果実水かな」

 

 ロンディーヌが持っている皿に並べ、パンを端に置くと、木製の水筒に入った果実水を横に置いた。

 

「レイン……これは?」 

 

 呆然とした顔で、ロンディーヌがレインを見る。

 

「食事です」

 

「いや、それは分かるが……」

 

「ちゃんとした物を食べないと元気が出ません」

 

 そう言って、レインは銀のナイフとフォークを皿の縁に置いた。

 

「……有り難いが、今の私は……何も返せない」

 

 ロンディーヌが俯いた。

 

「蛇が嫌なら鹿やウサギの肉もあります。魚や貝の煮付けとか、ああ……色々な種類の果物があります」

 

 シレイン島を出る時、お金の他に大量の食べ物を贈られたのだ。

 

「レイン……私は……」

 

「しばらくは僕のおごりです。ロンディーヌさんがとしたら、次はご馳走して下さい」

 

 レインは、ロンディーヌの手を掴んで白磁のカップを握らせると、有無を言わせず冷えた果実水を注いだ。

 

「……ありがとう」

 

 顔を俯けたまま、ロンディーヌがうめくように礼を言った。

 

「果物は後にしましょう。僕は、ちょっと外を見回ってきますから……戻るまでに食事を済ませておいてください」

 

 レインは、別の皿に揚げパンを3つ載せ、横に果実水の入った木の筒を置くと、"折れた剣"を掴んで壁に開いた穴から廊下へ出た。

 

(神殿の神官? ちょっと聖法術を使えば抑えられるような怪異くらいで……ロンディーヌさんを監獄に閉じ込めようとした?)

 

 ロンディーヌが何かしらの"怪異"を生み出しているのは間違いない。しかし、それをはらうなり、封じるなりしてこその神官であり神殿だろう。

 

(……気に入らない!)

 

 しょげて覇気を失ったロンディーヌも、その原因となっただろう"怪異"も、でたらめをかたって監獄へ追いやろうとした神官達も……。


(ロンディーヌさんが……消えてしまおうとしてる)

 

 全てを諦めたような態度が気に入らない。

 あの強く燃え盛る炎のようだった紅瞳が、すっかり光を失っていた。眼差しから力が失われてしまった。

 それが腹立たしかった。

 

(何があったのか知らないけど……)

 

 "怪異"が原因なら、調伏する。

 それ以外が原因なら、原因を見つけて滅する。

 そして、ロンディーヌに生気を……元気を取り戻す。

 

(それを邪魔するなら……)

 

 怒りで尖ったレインの双眸が、行く手に淀んでいる闇に向けられた。

 広々とした廊下の先に何かが潜んでいた。

 

(人……少し、魔物の気配が混ざってる)

 

 まだ見えない相手を見定めながら、レインは足を止めること無く廊下を進んだ。

 

「ひひ……かわいらしい従者だ」

 

「連れがいるとは聞いておらんぞ」

 

 どこからともなく声が聞こえてくる。しゃがれた男の声だった。

 

「少しはできるようだ。子供と見て油断をするな」

 

 姿を見せない相手の声だけが伝わってくる。

 

(人の言葉を話す魔物……師匠が言っていた"魔物墜ちをした人間"というのが、これなのかな?)

 

 レインは"折れた剣"を担いで走り始めた。

 

「おお……怖い怖い」

 

「血の気が多いのぅ」

 

「一人で我らとやり合うつもりらしい」

 

 

 ……<閃光>

 

 

 レインは走りながら、正面の闇めがけて眩い閃光を放った。

 

(8……9体)

 

 話し声は3つ。だが、闇に潜んでいた人影は9つ。

 一瞬の光の明滅で数と位置を見ながら、レインは"折れた剣"を振りかぶって斬り込んだ。

 

 

 ギィ……

 

 

 金属の擦過音が響き、火花と焦げた臭いが舞った。

 直後、影の一人が胴を斬り割られて転がった。

 脇を抜けたレインの背に、赤黒い色をした短刀が突き立っている。

 

 

 ゾッ…

 

 

 湿った嫌な音が鳴り、頭を割られた男が崩れ落ちる。レインの神官衣の肩口が斬り割られて鮮血が散った。

 

(2体……)

 

 身を捻って飛来した黒矢をかわしながら、レインは廊下の壁を蹴って天井へと舞った。

 黒矢が空中のレインを狙って放たれる。

 その黒矢が空中で向きを変え、射手めがけて舞い戻ると眉間を貫き徹した。

 

(……3体)

 

 レインが天井すれすれを飛翔している。その顔に、半狐面が顕現していた。

 

「先に女をやれ!」

 

 男の声が響き、人影が3つ走った。

 

 直後、

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 連続して"鼓音"が響いた。

 レインが歩きながら埋設してきた"破砕"の法陣を踏み、廊下を走った人影が粉々になった。 

 

「ちぃっ……魔狂しろ!」

 

 男の声が命じる。

 

(……あいつだ)

 

 レインの双眸が声の主を捉えた。

 少し離れた天井に、ヤモリのようにへばりついている人影があった。

 

 

 キィィィン……

 

 

 乾いた金属音が響き、飛翔して斬り込んだレインと天井に潜んでいた黒装の男が交錯した。

 抜き打ちに振り抜いた男の短刀が、レインの喉元を浅く切り裂いて抜ける。レインの"折れた剣"は天井を削っただけだった。

 

 しかし……。

 

「ぐっ……」

 

 黒装の男が、くぐもった声を漏らした。姿勢を乱して床へと落ちる。

 その背に、赤黒い色をした短刀が突き立っていた。

 レインが"念動"を使って、自分の背に刺さっていた短刀を引き抜き、視覚の外から男の背に突き立てたのだ。

 

(毒刃だったけど……)

 

 すれ違ったままの勢いで飛翔しながら、レインは後背を振り返った。

 

(……あっ!?)

 

 咄嗟に、向きを変えて"折れた剣"で頭を庇う。

 そこを異様に膨らんだ怪腕が襲った。

 青光りする鱗に覆われた巨漢が肉薄してきていた。

 

 

 ……<金剛身>

 

 

 凄まじい衝撃で吹き飛ばされながら、レインは霊法の術技を使った。

 

(魔物……なりかけ?)

 

 壁に打ち付けられたレインめがけて怪人達が殺到してくる。

 先ほどまで小柄で痩身のようだった男達が、蛇や蜥蜴を想わせる鱗に覆われた巨躯になっている。青い鱗の所々に、人の肌身が残っていた。

 歪に崩れた顔面から前に大きくせり出た口には鋭い牙が並び、太く膨らんだ両腕の指からは鉤爪かぎづめが伸びていた。

 大きな魔力を宿しているが、魔法を使ってくる様子は見られない。

 

 

 ……<剛力>

 

 

 レインは、<金剛身> を保ったまま <剛力> を重ねて、真っ向から怪人達を迎え撃った。

 

(逃げたのは……一人だけ?)

 

 赤黒い短刀を背に受けた黒装の男が遠ざかってゆく。数人は見逃すつもりだったのだが……。


 深手を負った男一人で、生きて戻れるのだろうか?

 途中で死なれると困るのだが……。

 

(準備不足だったし……仕方無いか)

 

 レインは、怪腕を伸ばして掴み掛かってきた怪人を"折れた剣"で打ち払うと、"念動"を使って、怪物化した男達を空中に吊り上げ "破砕" の法陣を敷き詰めた床の上へと移動させた。

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 暗い廊下に、"鼓音"が鳴り響いた。 

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