第20話 還しの儀
「えっと……じゃあ、どっちもシレイン島の領主なんですか?」
「はい。版図上ではシレイン島を東西に分ける形で、ゼール領とナーガ領が隣接しております。実際には、島の中央部に人が立ち入れない魔瘴地帯があるため、沿岸部を支配しているだけなのですが……」
イセリナが微笑する。
同じ島を支配する貴族同士だが、犬猿の中と言って良い紛争が絶えない両家だった。先々代の領主の時代、シューラン共和国を筆頭に7つの国が連合して大規模な侵攻を仕掛けてくるまでは……。
連合側は、ラデン皇国本土にある港を次々に接収し、沿海州を欲しいままに蹂躙していった。
あるいは、そのままラデン皇都へ攻め上がっていれば侵攻は成功していたかもしれない。少なくとも、皇国の半分以上を切り取ることができただろう。
だが、シレイン島を放置したまま内陸にあるラデン皇都を攻めていると、後背を突かれて港を襲われ補給路を失う恐れがある。至極常識的な考えにより、連合軍は先にシレイン島の占領を行うことにして、洋上を埋め尽くすほどの膨大な数の軍船を並べて押し寄せた。
その大艦隊めがけ、ゼール家とナーガ家が競うように襲いかかって、わずか数日で撃滅した。
連合側にとっては、悪夢のような出来事だった。
シレイン島は、古くは権力争いに敗れた貴族などが送られる流刑地だった。ゼール家もナーガ家も血脈を辿ればどこかで皇家に繋がっていると噂されている。
それを煙たく思う現在の皇家や貴族達によって中央からは遠ざけられていたものの、軍兵の精強さはラデンの皇帝軍など歯牙に掛けないほど圧倒的で、いつの間にか国として独立できるほどに交易で財を蓄えていた。
これを脅威に感じたラデン皇帝は、ゼール家とナーガ家、それぞれに同格の"辺境伯"の称号を与えてシレイン島を統治させることにした。両家がシレイン島内で互いに牽制し合い、その矛先がラデン皇家に向かないように……と。
だが、ラデン皇家の思惑を他所に、シューラン共和国が煽動した連合軍による侵攻後、両家の関係は一気に改善していた。元々、両家共に似たような家風の武門であり、一度相手を認めてしまえば後は早かった。
それどころか、結びつきを深めるために『両家の子息間での婚姻を』という気運が高まり、あっという間にゼール家のクラウスとナーガ家のルナの婚約が決定した。
「婚約はクラウス様が9つ、ルナ様が6つの時、精霊院の奥ノ院に届け出て祝福を与えらました」
これに危機感を持ったのは、ラデン本土の沿海州側に位置する領主達だった。
これまで、ゼール家、ナーガ家共に、ラデン本土に対しては領土欲を見せることはなかった。両家同士が島内で争っていたため、外に目が向かなかったからだ、と沿海州の領主達は考えていた。
だが、両家の関係が改善するとどうなるのか。
ゼール家とナーガ家の精強極まる軍兵が海を渡って襲ってくるのではないか?
不沈とも噂される軍船が押し寄せてくるのではないか?
連合軍の軍兵を子供扱いして蹴散らしたシレインの騎士団をどうやって防ぐのか?
沿海州の領主達は戦々恐々とし、ラデン皇帝に宛てて不安を訴え続けた。
ラデン皇家としても、これまでシレイン島を冷遇してきた自覚がある。力を
自覚があるだけに、その意趣返しを懸念するのは当然といえる。
「細々とした嫌がらせの類いが続き、ゼール家とナーガ家の……先の当主が
イセリナの双眸が険しく尖る。
『ラデン皇家の信じる神はハイデール神であり精霊神ではない。皇家の臣であるゼール家とナーガ家が、精霊院による祝福をもって正式な婚約とすることは認められない。ハイデール神殿、現教皇の祝福を得て初めて婚約は成立する』
ごちゃごちゃと複雑に理屈を述べてあったが、端的に纏めるとそんな内容だった。ただの言いがかりである。だが、皇家からの正式な書簡だった。
「シレイン島はもちろん、本土の東部沿海州一帯は、古くから精霊神を信仰しております。ハイデール神殿も、ラデン東部には神殿を建てず、土着の精霊信仰を認め、除こうとはしてきませんでした」
ゼール家とナーガ家は、精霊院の奥ノ院とハイデール神殿の本殿それぞれに問うた。
だが、何度書簡を送っても解答は返らなかった。
「半年後、今度はカダ・イル・ゼーニアから使者が現れ、ルナ様をゼーニア僧正の妾姫として迎えたいと申し入れてきたのです」
イセリナの双眸が険しく尖る。
「カダ・イル・ゼーニア?」
レインが初めて聞く名称だった。
「カダ寺院という精霊神を
「お寺の……偉い人ですか?」
神殿の大司祭のようなものだろうか?
レインは首を傾げた。
「外部からは、はかりかねますが……上から四位までに入る方のようです」
名称通りの位階ではなく、複雑な権力構造になっているらしく、イセリナも完全には把握していないらしい。
「数日後には、現皇帝から、婚約を破棄し、ルナ様をカダ・イル・ゼーニアの元へ嫁がせろという旨の金印勅書が届きました」
イセリナが握っている斧槍の柄が、みしり……と軋み音をたてる。
「でも……ルナさんがゼール家に居るってことは断ったんですよね?」
レインには聞かされた話の半分も理解できなかったが……。
(ラデン皇国の皇帝から意地悪をされて腹を立てている……ということ? でも、ゼール家の強さを恐れていたのに……皇帝側から喧嘩を仕掛けた? なんでだろ?)
「ゼール家、ナーガ家共に、キッパリとお断りしました」
イセリナが頷いた。
「それって、大変なことになるんじゃ?」
他人事ながら、聞いているだけで不安になる状況だった。
「信仰を踏みにじり、婚約を破棄しろと言うのであれば、ゼール家とナーガ家はラデン皇国と絶縁する。そういう返書を送ったそうです」
「……大丈夫なんですか?」
「皇都も我らの返答を予想して準備していたのでしょう。半月もしない内に、皇国軍が大挙して攻めてまいりました」
「やっぱり……」
「すべて、海底に沈めました」
イセリナが冑の留め具の確認をする。
(あぁ……もう戦争した後なのか)
レインは他の騎士達を見た。
「ラデンの軍船をあらかた沈めたところで精霊院の仲裁があり、今は戦争状態ではありません。自由交易港であるムーナン以外には立ち入ることはできませんが……まあ、シレイン島は他国との交易路があるので問題無くやっていけます」
若い騎士が笑みを見せる。
「四年前のことです。精霊院による調停を受け入れる方向で調整をしている最中、クラウス・ゼール様が病に倒れて動けなくなりました」
当時、15歳になったクラウス・ゼールを次期当主とすること、ルナ・ナーガと正式に婚姻を結ぶことを公に発表した直後のことだったらしい。
「四年前から……じゃあ、呪いはその時?」
レインは顔をしかめた。
「そうなのだと思います。当初は、病気だと考え、方々から聖法術師、薬師などに来て頂いたのですが……聖法術に秀でているルナ様の手に負えないのです。生半可な術者ではどうしようもありません」
クラウスだけでなく、当時のゼール当主、ナーガ当主が相次いで倒れたらしい。いずれも、正体不明の病だった。
「方々から、医に詳しい者を招きましたが、はっきりと診断できる者はおらず……」
ラデン皇国内の術者は、皇家の顔色を覗ってシレイン島には近寄らない。優れた聖法術師がいるというハイデール神殿に依頼をして、聖法術師を派遣してもらおうとしたのだが、派遣されて来る者は全てルナ・ナーガ以下の術者ばかりだった。出入りの商家を通じて、高名な薬師や祈祷術師なども招いたが結果は同じだった。
「どれだけ手を尽くしても容態は悪くなる一方でした」
ゼール当主とナーガ当主は意識が戻らないまま帰らぬ人となった。若かったクラウスだけが、ぎりぎりのところで命力を繋いでいる状態だった。
「あらゆる手を尽くし……それでもどうにもならず、ただ衰弱してゆく様を見守るしかなかったのです」
呪詛による変調の可能性を指摘したのは、精霊院で降霊を行う祭司だったらしい。ルナが言っていた"黒髪の呪術師……"というお告げも降霊の際に受けたそうだ。
「あまり知られておりませんが……先ほど申しましたカダ寺院は、呪殺を生業とする呪術僧を多く抱えていると噂されています。呪詛と聞いて、我らはカダの関与を確信致しました」
「カダ寺院……呪殺を仕事に?」
レインは顔をしかめた。
「寺院と称しておりますが、皇家の命を受けて、そういった汚れ仕事を行っている組織です」
言いながら、イセリナが斧槍を跳ね上げると、飛来した黒く塗られた短矢を打ち払った。
ほぼ同時に、レインの"折れた剣"が飛んで、樹上に潜んでいた黒衣の男を捉える。
続いて飛び降りてきた黒衣の男達を、騎士達が苦も無く斬り伏せた。
「……こういう汚れ仕事をする者達は、ナーガ家にもおります。その行為自体を悪だと声高に言えるほど当家も潔癖ではありません」
冑の下で、イセリナが自嘲気味に笑った。
「ゼール家も同様です」
黒衣の男達に止めを刺しながら騎士達が言った。
「ただ……当主を討たれて頭を垂れるほど、我らは腐抜けてはおりません。二度と、同じことができないように徹底的に……相手がラデン皇家であろうとも」
低く呟くように言うイセリナに、レインは小さく頷いて見せた。
「ルナさん……四年間ずっと、クラウスさんの治療を?」
「……はい」
イセリナが頷いた。
正式に、家人となったわけでない。それでも、ゼール家の家人達は、ルナ・ナーガをクラウス・ゼールの正妻として受け入れていたし、ナーガ家もそうなることを望んだ。
対外的には、婚姻は成立していない中途半端な立場のまま、ルナはクラウスを助けるために奔走し続けたそうだ。
(なんか……酷い皇帝なんだな)
レインは内心で嘆息を漏らした。
話を聞いていると、ついついルナ達に肩入れしそうになる。
その四年の間、ラデン皇国の皇帝や周辺の領主は色々と画策してきただろう。今、ゼール家が無事に存続しているということは、それらすべてを撥ね除けてきたということだ。
「大変だったんですね」
レインは唸った。
「我々がどれほど、レイン様に対して恩義を感じているのか……お分かり頂けたでしょうか?」
騎士達がレインを見つめる。
「え……ああ、まあ……間に合って良かったです」
レインは、困り顔で視線を泳がせた。
正直なところ、"
「カダ寺院というのは、どこにあるんですか?」
レインは、濃くなってきた瘴気の流れに目を向けながら話題を転じた。
「その名称の寺院は御座いません。あくまでも組織の総称です」
「カダのアジトというか……呪術者達はどこに隠れているんですか? 集まっている所があるんですよね?」
「それを探っていたのですが……」
イセリナが冑の面頬を持ち上げてレインを見た。その双眸に淡い笑みが浮かんでいる。
「……えっ? まさか?」
レインは軽く目を見開いた。
「もちろん、カダの術者全てが集まっているわけではないでしょう。しかし、今回の呪術は、わずかな人数……生半可な準備で成せるものではなかったはずです。そうではありませんか?」
イセリナに訊ねられて、レインは小さく頷いた。
(……なるほど)
イセリナ達のような手練れを同行させた理由が分かった。
仇敵が潜んでいる場所を叩くつもりだったのだ。
早い時期から、シレイン島内に呪術師達の大がかりな拠点があると考えて捜索していたのだろう。
(でも、呪術を直接行った人は、たぶん……)
レインは、瘴気溜がある方向を見つめた。
"
(……呪術か。やっぱり、いくつか使って知っておかないといけないかも)
レインは、"折れた剣"に自分の顔を映した。
あまり気は進まなかったが、呪術を避けて通ることは難しそうだ。
「レイン様?」
イセリナが、足を止めたレインを振り返った。
「大体の場所は分かったので、一つ術を使わせて下さい。ちょっと時間は掛かりますけど、先制しておきたいので……護りをお願いします」
目標の場所に法陣を敷いていないので、詠唱しながら霊力を極限まで高めておおよその地点を狙うことになる。今のレインの力では、発動まで5分近くかかる術法だった。一人でやるには時間が掛かり過ぎて使えない、とても実用的とは言えない術だったが……。
「ご存分に」
「御守り致します」
今なら、イセリナと騎士達がレインを護ってくれる。
「"
レインは、"折れた剣"を眼前に立てると呪文を唱え始めた。
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