第18話 呪術師の妄執
ゼール伯爵は長く臥せっていたため、筋力が落ちてしまい立って歩くことはできなかったが、ゆっくりとだが会話をして、笑みを見せるくらいには回復しているそうだ。
(呪いだけで病気にさせる……相当な呪詛を
ゼール伯爵の病は、呪術によって"健康を阻害し続ける"ものだという見立てだったらしい。
(う~ん……あの時、ちょっと触っただけだったけど)
レインは、衰弱していたゼール伯爵の様子を思い出していた。
あれほどの呪詛を一人の人間の中に
(でも……聖法術の効果が無いのはおかしい)
伯爵の体内に異常を引き起こす何かがあったなら、聖法術師や薬師が気付いて対処したはずだ。
(ルナさんは、聖法術を受け付けないと言ってた? 受け付けないって……術を掛けても体が反応しないってこと? なら……体とは別の場所に、呪を
しかし、あれだけの騎士達やルナ、イセリナがいる中で、どうやってゼール伯爵だけに呪いを掛けたのだろう?
もし、自分が呪術を仕掛ける側ならどうやっただろう?
レインは寝台に寝転がり、
(呪術も……少し使ってみようか)
呪術の知識はある。王冠の骸骨に与えられたものだ。
ただ、"知っている"と"使ったことがある"の差は大きい。
(どうしようかなぁ?)
恐らく、レインが本気で調べれば、呪いの根源を突き止めることができる。
(そうしたら、伯爵の味方だってことになる?)
呪いを仕掛けている相手が、必ずしもレインにとっての悪者とは限らない。
もしかすると、プーラン領でレインが受けたような仕打ちを、ゼール伯爵が誰かに対してやったのかもしれない。それを恨んだ相手が、呪術師に依頼をしたという可能性も……。
(でも、もう今更かなぁ……
もう完全に相手側から"敵"として認識されてしまっただろう。
(たぶん、また呪術を仕掛けてくると思うけど……強い術は準備に時間がかかるから、嫌がらせみたいな術をやってくるかも?)
レインは寝台の上で寝返りをうった。
まだ夜明け前だったが、考え事をしていたら頭が冴えてしまった。もう眠れそうもない。
ゼール領の領城の客間である。
初めは、さっさと退散するつもりだったのだが……。
(伯爵がどういう経緯で病気になったのか気になるし……ルナさん達は嫌な感じがしないから)
夕食の時間を共にする以外は自由にさせてもらっている。
今のところ、貴族だからと居丈高に物を言ってくることはない。出入りする騎士や館の使用人達も良くしてくれる。もちろん、レインが恩人だからというのはあるのだろう。
(それでも……まあ、もうちょっと)
食事は美味しいし、毎晩湯船を用意してくれて贅沢に湯を使える。
滞在4日目だが、何もかもが心地良くて、逆に不安になってきたところだ。
万が一、ゼール家の態度が豹変したとしても、
(退路は作ってあるし……いつでも逃げ出すことができる)
持て余した時間を使って、城館のあちこちに術陣を描いてあった。いざという時、
(まあ、大丈夫そうだけど……)
警護のための
だからと言って、つい数日前に知り合ったばかりの相手を信頼できるほど、レインは穏やかな生き方をしていない。
(伯爵が回復するまで……かな)
用意してもらった白紙に、八枚の法陣を重ねて描き、霊力を満たしながら紙の中に封じてゆく。
ぼんやりと考え事をしている間、文字通り、息をするように霊力を練って、延々と紙の上に法陣を描き続けている。
ワーグ司祭の手解きを受けていた時に比べれば格段に上達したと思う。ただ、実際どの程度の技量なのか、他者と比べてどうなのかは分からない。
(……ん?)
ふと動きを止めて、レインは視線を巡らせた。
天蓋付きの寝台の横、円形の絨毯が敷かれた床の上に、いきなり強い霊気が湧いたのだ。
(えっ!?)
レインは慌てて跳ね起きた。
『ふぅ……やっと見つけた。君が、レインだね? 夜分に失礼するよ』
城館の執事が着ているような黒い上着を着た黒毛の猫が、後ろ脚で立ち上がったままレインに向かって人間のようにお辞儀をする。剥き出しの下半身は、その辺の猫と変わらないから、上着を着せられた
『僕はトリコ。アイリス様の使いだ』
黒猫が、鼻の上に載せた銀縁の片眼鏡を持ち上げながら言った。
「……えっと? アイリスさんの……じゃあ、精霊なの?」
レインは小声で聞き返した。部屋の外には、不寝番の騎士が控えている。
『精霊ではなく妖精だね。うん……確かに、アイリス様の精霊紋章を宿しているな。君がレインで間違いないようだね』
執事服の黒猫が目を細める。
「ああ……これ?」
レインは寝台に腰掛けたまま、自分の手の平を見た。普通に見ただけでは何も無いのだが、強い霊力を込めると金色の紋章が浮かび上がる。
(猫の妖精か。妖精って、本当にいるんだな)
物語で語られることはあるが、こうして見るのは初めてだった。
(……普通の猫にしか見えない)
少し背筋が伸びた感じの、二足歩行の猫である。立ち上がっても、レインの膝丈くらいしか背丈がなかった。
口はほとんど動いていないのに、言葉がはっきりと聞こえてくるから、念話のようなものを使っているのだろう。
『僕は闇妖精だから、影がある場所ならどこにでも行ける。それで、アイリス様から伝令役のお役目を頂くことができたんだ』
「闇の妖精……それで、どうしてここに?」
『アイリス様から御手紙を預かったからね』
執事服の黒猫が黒い上着の内から小さな巻物を取り出し、ふわりと宙へ浮かんでレインに近づいてきた。
「アイリスさんから?」
レインが受け取ると、小さかった巻物が大きく膨らんで目の前に拡がった。
******
レインちゃん。
すぐに、エイゼン寺院へ来て頂戴。
******
(これだけ?)
レインは、目の前に拡がった巻物の裏側を覗き込んだが、他には何も書かれていなかった。
「エイゼン寺院ってところに来るように書いてあるけど……どこか知ってる?」
レインは、ふわふわと浮かんでいる黒猫を見た。
『知るわけがない。この辺に来たのは初めてだからね』
トリコが首を振った。
「近くなら良いんだけど……いや、そもそも人間が行ける場所にあるのかな?」
レインは首を捻った。
精霊の感覚は、人間のそれとは大きくズレている。とんでもない場所に呼びつけようとしている可能性だってあるのだ。
(まあ、でも……アイリスさんが呼んでいるなら行くしかない)
レインは小さくため息を吐いた。"来て"と書いてある以上、アイリスは指定した寺院で待っているのだろう。
「君の役目って、この手紙を届けるだけ?」
レインの目の前で巻物が光の粒になって消えてゆく。
『今回は、それだけさ』
宙を漂っていた
(……下の階から、誰か来る)
レインにも気配の動きが感じられた。
『手紙は届けた。これで失礼するよ』
そう言い残して、トリコが消えた。現れた時と同様、
(転移の術とは違う)
ほんの微かだが、魔力と霊力が動いたようだった。
(まだ遠くには行っていないみたい……人が行けない場所に出入りする術なのかな?)
レインは部屋の暗がりを移動する気配を目で追った。姿は見えないが、微かに黒猫の気配が漂っている。
黒猫の気配に集中している間も階下から足音が近づいてくる。
(この足音は、侍女の人)
まだ下の階だったが、足音を忍ばせることなく、かなり急いた様子で向かってくる。
(伯爵に何かあったかな)
レインは、寝具を簡単に畳んで手早く身支度をした。
伯爵に掛けた大がかりな呪術が成らなかったのだ。解呪された呪術師が、再び呪術を仕掛けてくる可能性は高い。ただ、レインの予想通りなら、嫌がらせ程度の呪術だ。
「レイン様! 夜分に申し訳ございません! 急の用でございます!」
扉の外で、聞き覚えのある若い女の声が響いた。やはり、レインの世話をしてくれている侍女の一人だった。
「起きています」
返事をしつつ、レインは扉を開けた。
「あっ! レイン様……」
慌てた様子の侍女が、着替え終わっているレインを見て軽く目を
「呪術ですか?」
「はい! 先ほどから、伯爵様がお苦しみに……」
「やっぱり……相手は、呪物を持ってるのか」
レインは、法陣を描いた紙の束を掴んで部屋を出た。
(伯爵に因縁のある呪物を用意してある。じゃないと、遠隔で伯爵を狙って呪術は仕掛けられない)
伯爵の傍には、聖法術に
(聖法の護りを無視して呪詛を届ける術……)
王冠の骸骨から与えられた呪術の知識にそれらしいものがあった。
「レイン様!」
伯爵の部屋の前に詰めていた騎士が、走ってきたレインを部屋の中へ招き入れる。
部屋に飛び込むと、ルナが伯爵の手を握って聖術で結界を張りながら呼びかけていた。その背後をイセリナが護り、騎士達が部屋の窓を塞ぐように盾を構えて立っている。
(……まだ、術は始まったばかりだ)
レインの目には、ゆらゆらと揺れる呪いの導線が見えた。薄い呪詛の流れが、伯爵の心の臓を探るように胸元へ届き始めたところだった。
伯爵を包む聖法術の結界を無視して侵入しているから、やはり呪物で強制的に
「大丈夫です」
白かった呪符が、みるみる赤黒く染まってゆく。代わりに、苦しんでいた伯爵の呼吸が落ち着いて、表情が穏やかになった。
「レイン様、これは?」
「"身代わり符"です。伯爵の心臓の上に置いておけば、伯爵を狙った呪詛をすべて吸着します。このくらいの呪いなら、一枚で一日くらいは大丈夫です。真っ黒になったら、次の呪符に替えて下さい。黒くなった呪符は僕が処分します」
レインは、100枚を越える"身代わり符"を用意していた。当分の間は大丈夫だ。
「……本当に、感謝致します」
「少し術を使わせて下さい」
レインは、胸の前で術陣を描いた。
薄暗い部屋の中に、白光を宿した魔法陣が浮かび上がり、中心から大きな水晶球が浮かび上がる。
「占珠よ! 呪詛の根源を
レインは、空中に浮かび上がった水晶球に命じた。
わずかに間があって、水晶珠から銀砂のような微細な光粒が溢れ出て部屋の壁に向かって伸びる。
「……この方向……あっちに何かありますか?」
レインは、銀色の光粒が伸びる方向を指差した。
「あちらには……騎士の詰所と
窓を警戒している騎士の一人が答えた。
「もっと遠く……人の足で三日くらいの距離には?」
レインは窓辺に近づいた。
「確か……古い寺院があったかと」
初老の騎士が呟いた。
「寺院? それって……エイゼン寺院ですか?」
レインは騎士を振り返った。
「曾爺父から聞いたことで、うろ覚えですが……そのような名称だったと思います」
初老の騎士が頷いた。
「騎士団長、寺院の正確な場所は分かりますか?」
ルナが訊ねる。
「何分、幼い頃の記憶でして……」
初老の騎士が申し訳なさそうに首を振った。
「とにかく行ってみます。あっ、身代わりの呪符が胸から落ちないように見ていて下さい。まあ……落ちても元に戻せば大丈夫です。もう、伯爵の中には呪詛は残っていません。外から攻撃を受けているだけです」
レインは水晶珠を消した。
「その寺院に、呪術師が潜んでいるのですか?」
ルナがレインを見る。
「もう逃げたかもしれません。でも、痕跡は残っているはずなので
レインは窓辺に寄って白み始めた空を見上げた。
今居る領城は、高い山の裾野に位置している。道占いが示した方向には森が広がり、いくつか湖沼が点在していた。
(良かった。歩いて行けそうな場所だ)
あまり待たせることなく、アイリスが指定した寺院に辿り着けそうだった。
レインは廊下に駆け出ると部屋に向かった。
「レイン様、当家の者をお連れ下さい! 寺院があった辺りは、かつて瘴気に呑まれております! どのような魔物が潜んでいるか……」
ルナの声が後ろで響く。
(あまり大勢だと、アイリスさんが嫌がるかも?)
にわかに騒然となる中、レインは寝泊まりしている客間に駆け込むと、背負い鞄と"折れた剣"を手に取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます