第17話 穢魔ノ術


「晴れたなぁ」


 レインは、青空を見上げて呟いた。

 昨夜遅くまで降り続いていた豪雨が嘘のように止み、空には雲一つ浮かんでいない。 

(ちょっと弱いけど聖域を展開して……僕は聖域の維持に専念した方が良いかな?)

 

 レインは、ゼール家が揃えた武人達を見た。

 イセリナが膝丈まである鎖帷子に、厚板の胸甲、籠手と脛当て、鉄靴。重厚な兜を被り、面頬だけを跳ね上げて目元だけを覗かせている。手には鎖の付いた戦斧、腰には長剣を吊っていた。

 

「ご安心を。皆、魔物の討伐経験が豊富です。必ずや魔物を撃滅してみせます」

 

 イセリナがレインの視線に応える。よほど実戦慣れしているのか、気負った様子は微塵も感じられない。

 

「お願いしますね」

 

 レインは、他の甲冑騎士達を見回した。鎧や盾が汚れるのをいとわず、何かの薬液を入念に塗布していた。どの騎士も浮ついた様子は見られず、黙々と自分の準備に専念している。

 

(強そう……だけど)

 

 イセリナを含めて四人しかいない。


(もう一人はどうしたんだろう?)


 レインは内心で首を傾げていた。

 この土壇場で人数が揃いませんでしたと言われても困る。

 

(……月齢も霊力向上に合ってる。今日が一番良い日なんだけどな)

 

 レインは背後にそびえる城館を振り仰いだ。

 

 術を行う場所は、シレイン島にあるゼール伯爵の領城である。

 ムーナンの港町で食事を終えた後、魔導船で海を渡り、そのまま馬車で領都まで直行した。

 その日の内に、術を行う場所を城館の裏庭に定めて準備を整えた。

 

(まあ、明日でも大丈夫か)

 

 地面に仕込んだ法陣の具合を確かめながら待っていると、侍従達が大型の台車に簡易寝台を乗せて運んで来た。

 

(あ……やるのか。でも、じゃあ……もう一人は?)

 

 レインは近づいてくる侍従の一団を見守った。

 

(えっ?)

 

 寝台の横に、目にも鮮やかな青衣の上から白銀色のマントを羽織ったルナが付き添っている。食事の時には着けていなかった、宝玉がめられた指輪や腕輪、護符のような首飾りなどを身に付け、手には錫杖しゃくじょうを握っていた。

 

(……まさか?)

 

 レインはイセリナを振り返った。

 

「御方様は、当家随一の聖法術の使い手です」

 

 イセリナが苦笑気味に言った。ルナ達を見るなり、装具の最終確認をしていた重甲冑の騎士達が背を正して整列する。

 

「ルナさんが5人目なんですね」

 

 レインは、近付いて来るルナに声を掛けた。

 

「レイン様、準備が整いました」

 

 ルナが指示をして、事前の打ち合わせ通りレインが指定した場所へ簡易寝台を運ばせる。

 寝台の上で眠っている男は、干涸らびたような顔貌をしていた。あれが、クラウス・ゼール伯爵らしい。

 見た感じ、あまり猶予は無さそうだった。

 

(あれが後詰めの人達か。あんなに大勢……凄いな)

 

 少し離れた場所に、300名の騎士団が控えていた。万一の時、魔物を処理するための備えだ。

 

 ゼール家は、わずかな時間で見事に準備を整えてくれた。月齢も良い。レインの体調も万全だ。

 

 初めての本格的な"穢魔祓わいまばらい"だが……。

 

(たぶん……大丈夫)

 

 いざという時は、レインが参戦して退魔を成せば良い。

 レインは、左手に握った"折れた剣"に描いた術陣を確かめてから大きく息を吸った。

 

 ふぅ……

 

 息を吐き出して呼吸を整えると、レインは地面に"折れた剣"を突き立てた。

 

「始めます!」

 

 少し離れて立っているルナ達に声を掛けてから、寝台に近づいて横たわってるやつれた伯爵の額に左手の指を触れた。

 

「健やかなるを嫉み、蝕む……哀れな穢魔に告げる」

 

 レインの足下に赤黒い八角形の魔法陣が出現した。奇っ怪な文字に埋め尽くされた魔法陣が、ゆっくりと回転を始める。

 

「我が名は、レイン! 哀れな妖物に滅びを告げる者なり!」

 

 低く呟くレインの声に呼応するように、足下の赤黒い魔法陣が赤々と光り始めた。

 俯いて目を閉じたレインの眉間に皺が刻まれる。恐ろしい勢いで霊力が吸い取られていた。

 

「告げる! 汝、血肉を喰らいし怪異である! 汝、病を楽しむ狂魔である! 汝、光に怯えるけがれである!」

 

 ゆっくりと開かれたレインの双眸が黄金色に輝き、伯爵の額に黄金色の紋章が浮かび上がった。

 

「……穢魔招来わいましょうらいっ!」

 

 レインは、地面に突き立てた"折れた剣"を指差した。

 

 掛け声と共に、クラウス・ゼールの全身から黒々とした小さな粉のようなものが噴き上がり、"折れた剣"めがけて降り注ぐと真っ黒な塊となった。

 

(よし……)

 

 まずは、けがれを取り出すことに成功した。

 レインは、黒々と渦巻く瘴気の塊を正面に見ながら足下の術陣に霊力を流し始めた。

 

 見つめる先で、黒々とした物が凝縮し、人の形になってゆく。

 

(人の形をした魔物かな? 大鬼とか?)

 

 レインは、準備をしておいた呪符を手に握った。

 

 やや間があって、黒い瘴気を払うようにして現れたのは、金色の髪に真っ青な瞳をした美麗な容貌の青年だった。

 一目で上質な物だと分かる黒衣を着た青年が、血のような色をしたマントの裏地を翻しながら広場の中央に浮かび上がると、居並ぶ面々を見下ろした。

 

『ほう? これは、余が知らぬ術ではないか。ここは"理"の異なる異界のようだな?』

 

 乱れた金髪を掻き上げながら、美麗な青年が物珍しげに周囲へ視線を巡らせた。

 その目に何が映っているのか……。

 

(念話? 言っていることが分かる)

 

 レインは相手の力を読みながら術陣を起動させた。

 

『む? これは……結界か。こんなもので余を封じるつもりか?』

 

 美麗な青年がわらう。

 

(よし……)

 

 結界は完成した。これでもう、結界の中にはレインと5人の討伐士、そしてび出された穢魔わいましか存在することができない。そして、穢魔わいまを喚び出した術者か、喚び出された穢魔わいまのどちらかがたおれるまで、この結界は解除されない。

 

「……吸血の徒ですね」

 

 呟いたのは、ルナだった。

 

(きゅうけつ……吸血鬼?)

 

 レインは、ぎょっと目を見開いて美麗な青年を見た。ワーグ司祭から聞いていたが、この目で見るのは初めてだった。

 なかなかの魔物が出て来たらしい。

 

『我をび出したのが、痩せた子供とは……だが、それなりの供物くもつは用意してあるようだな』


 美麗な魔人がルナを見ながらうそぶく。

 視線が外れた瞬間、レインは無言のまま小刀を投げ打った。

 

『ふん……』

 

 魔人がルナを見たままうるさげに手で払った。それだけで凄まじい突風が吹き荒れる。

 突風で小刀を吹き飛ばすつもりだったのかもしれないが……。

 

 レインの投げた小刀は、吹き荒れる突風を貫いて、美麗な魔人の首に突き立っていた

 

『……何だと?』

 

 初めて、魔人の双眸がレインへ向けられた。レインの顔に半狐面ミカゲ顕現けんげんしている。投げた小刀を念動で操って命中させたのだ。

 

『む……?』

 

 魔人の視界が白濁して何も見えなくなった。

 直後、不快げに目を押さえた魔人の顔面にレインの左拳がめり込んだ。

 

 ドシィッ……

 

 重たい砂袋を殴ったような感触があり、美麗な魔人が地面を転がった。

 

『き、貴様ぁ……』

 

 怒りに顔を歪めて魔人が立ち上がった。レインが拳に宿していた聖光で魔人の顔が焼けたようにただれている。

 

 

 シッ!

 

 

 鋭く呼気を吐いて、レインは別の小刀を投げた。

 

『こんなもので!』

 

 魔人が大きく手を振って小刀を叩き落とそうとする。

 だが、小刀が舞うように動き、魔人の手を掻い潜って迫る。刺されば先ほど同様、わずかな間だが視界を奪われる。

 舌打ちをした魔人がマントをひるがえして、小刀を防ぎ止めた。

 そこを、斜め後ろに回り込んでいたイセリナの戦斧が襲った。白銀色の光を宿した分厚い斧の刃が、魔人の肩から脇腹まで斬り割る。

 

 

 ガアァッ!

 

 

 苦鳴を上げて、魔人が仰け反った。噴き出した黒い瘴気が刃物のように尖って、イセリナめがけて襲いかかる。

 

 それを、重甲冑の騎士2人が盾で防ぎ止めた。2人の盾も、白銀の輝きを帯びている。 

 瘴気の圧が弱まるまで耐え、息を合わせて騎士が左右へ開いた。

 盾の間からイセリナが躍り出て、戦斧の柄に付いた銀鎖を魔人の首に巻き付けるなり、強引に引き寄せて戦斧で頭を叩き割る。

 さらに、別の騎士が駆け寄って両手剣を振り下ろした。

 

『お、おのれっ! 虫けらめがっ!』

 

 魔人が怒鳴り声を上げた。イセリナと騎士に斬られた体がみるみる元の状態へと再生してゆく。

 だが、明らかに先ほどまでの余裕を失っていた。

 

『許さん……許さんぞ!』

 

 赤光を帯びた双眸がにらむ先に、長い錫杖しゃくじょうを構えたルナの姿があった。イセリナの戦斧、騎士達の盾や剣に、ルナが聖光を付与しているのだ。

 

は、陽の光なり。気高く輝く天の輝きなり……」

 

 イセリナが、腰の長剣を抜いて小声で呪を唱え始めた。

 

『させるかぁ!』

 

 魔人が指から真っ赤な爪を伸ばしてイセリナに襲いかかった。

 

 

 ギイィィン……

 

 

 重い衝撃音と共に防ぎ止めたのは、大盾を手にした初老の騎士だった。当たり前のように、大盾も白銀色の聖光に包まれている。

 

『く、くそっ!』

 

 魔人が呪詛を吐き散らした。

 

「……魔を滅ぼす、聖なる陽光と成らんことを!」

 

 イセリナの術が完成した。

 直後、広場の中央に眩い光が噴き上がった。

 一瞬にして、真上に向かって巨大な光柱が出現して魔人を包み込んでいる。

 

 

 アギィィィィー……

 

 

 長く尾を引く絶叫が放たれた。光の中で、美麗な魔人が苦悶に身を震わせ、光の中から逃れ出ようとする。

 

 駆け寄ったイセリナが魔人の胸を長剣で刺し貫いて、そのまま地面に縫い刺しにした。

 

『おのれぇ……おのれぇ……』

 

 魔人が苦鳴をあげ足掻あがき痙攣をしながら、閃光の中で崩れ始めた。

 

 レインは、ルナを振り返った。

 先ほどから何かの術を準備している。肝が冷えるほどの魔力と霊力がルナを中心に渦巻いていた。

 

「離れます!」

 

 イセリナが短く告げて走る。

 

「応っ!」

 

 騎士達が盾を構えながら距離を取った。

 レインも騎士達を追って大きく距離を取った。

 

 直後、上空が白々と明るく輝いた。

 思わず見上げたレインの視界を純白の輝きが埋め尽くし、一瞬にして何も見えなくなる。

 

尖轟鎚イフラール!」


 ルナの気合い声が響き渡った。

 同時に、眩く輝く巨大な戦鎚が降って来て、串刺しにされて足掻あがいている魔人を叩き潰した。

 重々しい地響きと共に、広場全体が白銀の聖光に呑み込まれる。

 

 

 ヒイィアァァァ……

 

 

 目も眩む聖光渦に呑まれ、甲高い悲鳴が響き渡り、魔人が為す術無く浄化されていった。

 

(終わっちゃった……これ、僕は見ているだけで良かったかも?)

 

 傍観していても楽に勝てた戦いだった。

 

(まあ、勝ったからいいや)

 

 眩い閃光に目を細めながら、レインは大きく息を吐いた。

 魔の気配が消えた。

 

(浄滅完了……ゼール伯爵は?)

 

 "穢魔わいま"である吸血の魔人が消滅したのを見届けて、レインは寝台のクラウス・ゼール伯爵を振り返った。

 

「……成った」

 

 レインは軽く拳を握った。

 ゼール伯爵が生気を蘇らせていた。

 干涸らびた死人も同然の姿から、健康な血色を取り戻して穏やかな寝息をたてていた。無論、まだ痩せ細っているが、落ちた肉はこれからの生活で取り戻せば良い。

 

「あぁ……」

 

 駆け寄ったルナが手で顔を覆って涙を抑え、震える声で呪文を唱えながら伯爵の胸元に快癒の聖光を浸透させる。

 

「ああ、効きます! 私の聖術がクラウスの命力に届いています! わたしの聖術が……ああ、クラウス!」

 

 ルナが、寝台の上に覆い被さって嗚咽を漏らし始めた。これまではあらゆる聖術を受け付けず、衰弱してゆく様を見守ることしかできなかったのだ。

 

(……イセリナさんも泣いてる)


 レインは、何となくみんなの顔を見てはいけない気分になり、地面に突き立てていた"折れた剣"を拾い上げた。"折れた剣"の状態を確かめて、いたわるように霊力で包み込み、こびりついた瘴気の残滓を消しておく。

 

「レイン様……感謝致します!」

 

 兜を脱いだ重甲冑の騎士達が、一斉にレインの前に片膝をついて頭を下げた。

 みんなが泣いていた。

 騎士も侍従も、侍女達も……。

 それだけ、クラウスという伯爵が慕われていたのだろう。

 

(まあ……上手くいってよかった)

 

 他人に行った初めての"穢魔祓わいまばらい"としては上出来だろう。


(でも、ちょっとやり過ぎたかなぁ)


 レインは、地面に念入りに埋設してあった未発動の法陣に眼を向けた。

 サドゥーラくらいの魔物を想定していたのだが、思ったよりも弱い魔物だったおかげで未使用の法陣がそこら中に残っていた。

 日跨ひまたぎの長期戦になることまで想定していたのだ。

 

(これ解除するだけで、夜中までかかるかも……)

 

 泣き崩れる伯爵家の人々を横目に、レインはそっと溜息を吐いた。

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