第16話 ルナ・ナーガの願い

 

 魔導船の一室。淡々と静かに食事が終わったところで、香りの強いお茶が出された。

 

「不躾な質問になりますが……レインさんは呪術を使うことができますか? その……普通の呪術ではなく、病を治すような術です」


 いきなりの問いかけに、レインは赤みがかったお茶の入ったカップを皿に戻した。

 

「使えません」

 

 レインは首を振った。王冠の骸骨のおかげで呪術の知識はある。だが、術として会得しようとはしていない。ワーグ司祭から教わった退魔の法と、ミマリが残した祈祷術を使いこなせるようになること、今はそれだけで手一杯だった。

 

「……そうですか」

 

 ルナが自分の手元へ視線を落とした。わずかに落胆した様子が覗える。


「どなたか病気なんですか?」

 

 レインは訊ねた。

 この話題が、食事に招かれた本当の理由らしい。

 

「我が夫……クラウスが病気なのです」

 

 ルナが俯いたまま言った。

 

「神殿には治癒を使える人が居るんですよね?」

 

 貴族なら、高位の治癒師を招いて治療してもらうことができるはずだ。招くなら呪術師ではなく治癒師だろう。 

 

「はい。高位の聖法術師や高名な薬師にも診て頂きましたが……」

 

 ルナが小さく首を振った。

 

「そんな病気が……僕のような子供に治せると?」

 

 レインは、じっとルナの表情を覗いながら訊ねた。

 

「加護神から啓示があったのです。港町に現れる呪術師によって、不治なる病が除かれるであろうと……その者は、黒髪と菫色の瞳をしていると」

 

 ルナが顔を上げてレインを見つめた。

 

「呪術師……ですか」

 

 レインは目の前のカップに視線を向けた。

 

(啓示というのは分からないけど……黒い髪に菫色の瞳って……僕のこと?)

 

 この辺りは赤みがかった茶色い髪や瞳をした人が多い。レインのような髪色の人間は他に見かけなかった。

 

(啓示か……決闘をやった貴族も、そういうのがあったのかな?)

 

 いきなり食事に招待されたことを不審に思っていたのだ。どこかで、プーラン領の貴族と関係しているのではと疑い、それを確かめたいという気持ちもあって招待を受けたのだが……。

 

「安心しました」

 

 レインは淡い笑みを浮かべた。プーラン領とは関係無いらしい。

 

「えっ?」

 

 ルナが軽く目を見開いた。

 

「だって、おかしいです。平民の僕をいきなり食事に誘うだなんて……おまけに、僕のために決闘裁判をやったんですよね? その理由が分からなかったから気味が悪かったんです」

 

「……そうですね。なんとしても"黒髪の呪術師"に接触をして……と、焦っていたのです。レインさんには迷惑を掛けてしまいました」

 

 ルナが小さく息を吐いた。

 

「それで、僕はどこで治療をすれば良いのでしょう?」

 

 レインは訊ねた。

 

「えっ? え……と、ですが、呪術や治癒の術は使えないのでしょう?」

 

 ルナが軽く目を見張る。

 

「病気が治れば良いんでしょう? 呪術とは違いますけど……たぶん、治りますよ?」

 

 自分一人でやるには限界がある術だから、まだ他人には試していない。ただ、"できる"ことは分かっている。

 

「そ、その……不治の病なのです。高位の聖術も効かず、秘薬と呼ばれる稀少な薬も全く効果がなかったのです」

 

 隠しきれない期待をにじませながら、ルナが念を押すように言う。

 レインのような子供を相手に、ここまで必死になっているのだ。相当切羽詰まった状況なのだろう。

 

「病気の種類は関係無いんです。ただ……難しい病気みたいだから、僕の他に五人、強い人を用意してもらわないといけません。とんでもない魔物と戦っても勝てる……強い人が必要です」

 

 レインは、カップのお茶を口に含みながら言った。

 ミマリから託された秘術"穢魔わいまノ術"なら、理屈の上ではどんな怪我や病気でも完治させることができる。

 

「……詳しくお聞かせ下さいますか?」

 

 ルナが机に身を乗り出すようにレインを見つめた。

 

「その前に……ルナさんは魔物を斃せる強い人を用意できますか? 家柄とか肩書きなんかじゃなくて、本当に強い人でないと困ります」

 

「可能です。必要な武器防具や薬品類を含め、最高の者を揃えることができます」

 

 ルナが即答した。表情を見る限り、虚勢ではなさそうだ。

 

「それなら……あっ、もし僕の話を聞いた後でやりたくないと思っても、この術のことは誰にも話さないで下さい。それだけは約束して下さい」

 

「誓って……約束致します」

 

 ルナが頷いた。


「じゃあ、説明します」


 レインは、飲み干したカップを皿の上に戻した。


「術の名前は"穢魔わいまノ術"……使用するのは、その中の"穢魔祓わいまばらい"という術技です」

 

「初めて耳にします。どういった術なのでしょう?」

 

穢魔わいまとは、怪我や病気のことです。穢魔祓わいまばらいは、怪我や病気を魔物と成して取り出す術なんです」

 

「……よく分かりませんが?」

 

 ルナが首を傾げた。

 

「えっと、理屈は僕にも分かりません。なので実演します。見てもらった方が早いと思うので……あっ、えっと……」

 

 そう言って、レインはイセリナという侍女頭を見た。

 

「なにか?」

 

 後ろに控えていた侍女のイセリナが静かに移動して、レインの近くに寄る。

 

「今から、ここに弱い魔物が出ます。僕は術に集中しているので……」

 

 レインは部屋の中を見回した。

 部屋には、分厚い厚板の食卓が置かれているだけで、他に調度品などは置かれていない。ここなら、ちょっとした戦闘くらいは大丈夫だろう。

 

「その魔物を、私が仕留めればよろしいのですか?」

 

 イセリナが訊ねた。

 

「お願いします。瘴気から成る魔物ですから、床が血で汚れることは無いです。あと、瘴気ははらいの術が成った時点で消えるので、部屋に残ることはありません」

 

 説明をしつつ、レインはミマリから与えられた術理を脳裏で反芻はんすうした。

 

(……大丈夫かな。やれると思うけど……)

 

 霊力は回復している。"穢魔祓わいまばらい"を使用しても、まだ霊法をいくつか使用できるくらい霊力が残るはずだ。

 

「今、僕の手には傷がありませんよね?」

 

 レインは、左手をルナとイセリナに見せた。

 

「……ええ」

 

「少し切ってくれませんか?」

 

 レインは、左腕をイセリナの前に突きだした。

 

 イセリナが無言でルナを見る。

 

「……レインさん?」

 

「あっ、少し血が出るくらいでお願いします。あまり深くやらないでください。手は一本しかないので」

 

 レインは冗談めかして言った。

 

「イセリナ、言われた通りに」

 

「はい」

 

 主人に命じられて、イセリナが袖口に手を入れるなり、剃刀カミソリらしきものを抜き出して軽くレインの手の甲をいだ。

 わずかな間があって、切り口から鮮血が滲み出てくる。

 

「この通り、傷がつきました」

 

 レインは、ルナの方に手の甲を見せた。

 

「この傷に"穢魔祓わいまばらい"を仕掛けます」

 

 レインは、目を閉じると自分の手の甲に意識を集中した。

 

「……健やかなるをねたみ、むしばむ、哀れな穢魔わいまに告げる」

 

 呪言を唱えるレインの足下に黒い八角形の魔法陣が出現した。

 奇っ怪な文字に埋め尽くされた魔法陣がゆっくりと回転を始め、陣の数を増やしながら幾重にも重なっていった。

 

 陣が増えるに連れて、膨大な量の霊力が吸われてゆく。

 

「我が名はレイン! 哀れな妖物に滅びを告げる者なり!」

 

 低く呟くレインの声に呼応するように、足下の黒い魔法陣から白銀の光が立ち上り始めた。

 俯いて目を閉じたままのレインの眉間に皺が刻まれる。

 

「告げる! 汝、血肉を喰らいし怪異である! 汝、病を楽しむ狂魔である! 汝、光に怯えるけがれである!」

 

 レインの双眸が静かに見開かれた。その額に黄金色の紋章が浮かび上がり、見つめる先で左手の甲にある傷が光に包まれる。

 

穢魔わいまよ、我が前に醜き姿を晒せ!」

 

 レインは、少し離れた床の上を指さした。

 

穢魔わいま招来っ!」

 

 レインの声と共に、傷から黒々とした小さな粉のようなものが噴出し、床の上へ降り注ぐと凝縮しながら矮躯わいくを形作っていった。

 

緑小鬼ゴブリン!?」

 

 小さく声を上げたのは、ルナだった。

 直後、イセリナの短刀が一閃した。

 

 

 ギッ……

 

 

 短い苦鳴を残し、緑肌の小鬼が白く光る粒子となって崩れていった。

 

「これで……成りました」

 

 レインは、左手の甲をルナとイセリナに見せた。

 手の甲からは、傷口はもちろん流れ出た血すらも消え去っている。わずかな傷跡すら残っていなかった。

 

「つまり……つまり……その術は、怪我や病気を魔物にえて取り出すのですね?」

 

 訊ねるルナ・ゼールの声が抑えきれぬ興奮に震えている。"穢魔わいまノ術"を理解したのだ。

 

「はい」

 

「そして、その魔物を退治すれば怪我や病気が消えると?」

 

「そうです」

 

 レインは頷いた。

 

「先ほど、強い者が5名必要だと仰ったのは?」

 

「小さな傷だから小鬼でしたけど、傷や病気が酷ければ酷いほど、強い魔物が出てくる……そういう理屈なんです。難しい病気を祓おうとすると、僕一人では絶対に勝てない魔物が出てくると思います」

 

 取り出す怪我や病が重ければ重いほど、形成される魔物は強大なものになる。

 

「あぁ……分かりました! よく理解しました! そうか……そういうことなのですね!」

 

 ルナが興奮に顔を染めながら立ち上がった。

 

「しかし……どうして、5名なのでしょう? 強敵に備えるなら、もっと大勢を用意すべきだと思いますが?」

 

 イセリナが当然の疑問を口にした。

 

「理由は分かりません。ただ、この術を使うとき、術者である僕が味方として招くことができるのは5人が上限だと……そう決められているみたいなんです」

 

 "穢魔祓わいまばらい"に参加できるのは、"穢魔わいまノ術"を使った術者と5人の協力者だけだった。

 もしかすると、レインの力が増せば、もっと味方の人数を増やせるようになるのかもしれない。

 

び出した穢魔わいまとは、閉じた結界の中で戦うことになります。この結界は、僕か魔物のどちらかが死ぬまで消えません。僕が負けて死ぬと、穢魔わいまが病気や怪我に戻ってしまいます」

 

「理解できます。その仕組みは、決闘裁判とよく似ています。戦闘を行う領域には、レイン殿と5人の協力者しか入れないのですね? そして、どのような戦闘が行われようと、戦闘領域の外には影響が無い……そういう理解でよろしいでしょうか?」

 

 イセリナが訊ねた。

 

「その通りです」

 

 レインは頷いた。2人とも理解が早くて助かる。

 

「不治の病がどのような魔物と成るかは……」

 

び出してみないと分かりません」

 

 レインは首を振った。

 恐ろしく強い魔物が出るだろうとは思うが、準備に時間を掛けることができるから、事前に聖光檻に似た領域を用意することで瘴気の力を弱めることが可能だ。"穢魔祓わいまばらい"は、術者にとって優位な状況で行うことができる。

 

「……なるほど、よく理解致しました」

 

 ルナが、双眸をきらめかせながら席を立つと、足早にレインの近くへ来て深々と頭を下げた。

 

「最高の武人、最高の装備を用意致します。どうか、ナーガ家の当主をお救いください!」

 

「本当に強い人を用意して下さいね? 負けたら……たぶん、もっと酷い病気とか怪我になってしまいます」

 

 レインは念を押した。最悪の場合、レインは遁走するつもりだ。

 

「お任せ下さい。当家が誇る最高の戦力を結集してご覧にいれます」

 

 ルナの美貌に、凄みのある笑みが浮かんだ。

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