第16話 世話焼き飼い主の小さな疑問

 翌朝、普段よりも少し早めに起床した千誠はお粥を作っていた。昨日の様子から朝食は食べられるだろうと見込んだからである。千誠は鍋の中でくつくつと泡を立てながら踊る米粒を一別すると、自分の朝食の準備を始めた。

 鮭を焼き、だし巻き卵と味噌汁を作る。それに炊き立ての白米を添えれば立派すぎる朝食だ。味噌汁の具は適当に火の通りやすいものを選んでいる。今回は小松菜だった。


 重湯を作る時ほどには煮ないが、粒が割れる程度にはしっかりと粥を煮る。こちらの具は迷ったものの、卵だけにすると決めた。昼には先ほど焼いた鮭のほぐし身を入れてもらう予定である。それ用に取り分けた後の鮭が千誠の朝食となる。

 鮭のほぐし身は薄い調味液を加えた状態で冷蔵庫にしまう。これで寛茂のちょっと豪華な昼ご飯の準備は十分だろう。


 鍋を見守る傍らで少し冷めてしまった自分の朝食を口に運んだ。

 お世辞にも行儀の良い食べ方ではないが、寛茂の朝ご飯だけに集中していたら絶対に仕事へ間に合わなくなる。

 食べ終わる頃には粥の状態もちょうど良くなった。あつあつのお粥を食べようと奮闘する寛茂の姿を思い浮かべながら、千誠は煮詰まった粥へ溶き卵を加えた。

 余熱で固まるのを見越して深皿へよそう。さて、ご飯の時間だ。


「おはよう、朝だから起きて」


 ドアをノックしてから声をかける。寛茂の部屋に侵入すると、彼はまだベッドの中に沈み込んでいた。完全に掛け布団を頭までかぶっており、起きる様子はない。

 だが、そのまま放っておく気はない。千誠はサイドテーブル代わりに置いてあるテーブルに深皿を置いてから目の前の布団に手をかけた。


「起きないと、俺特製の粥はなくなるが……良いか?」


 ゆっくりと布団を剥く。瞼を閉じて丸くなっている寛茂の眉間に皺が寄った。

 まだ起きたくないらしい。ぐずるような様子を見せる寛茂は珍しい。千誠はとりあえず体温計を寛茂の頬にぺちぺちとあてた。


「仕方ないな。熱があるかだけでも確認させろ」

「んうー……」


 電子音を鳴らしながら声をかければ、もぞもぞと千誠の手から体温計を受け取り自分の脇に挟んだ。しばらくしない内に体温計が鳴る。

 まだ瞼が閉じたままで、寛茂の意識がまどろんでいるのだと分かる。体温計を取り出すそぶりがない寛茂が悪いのだと千誠は割り切った。


「んひゃぁい!?」


 千誠が寛茂の服にずぼっと手を入れ体温計を奪うと、彼は突然の暴挙に悲鳴を上げた。三十七度四分。まあ、寝起きなのを考えればほぼ微熱だろう。

 寛茂の体温にほっとする千誠とは裏腹に、服の中に手を突っ込まれた当人はうたた寝状態からすっかり覚醒してしまっていた。


「おはようございます……服に手を突っ込むのは心臓に悪いです」


 普段は無遠慮な行為をする事のない千誠がとった行動は、寛茂をとてつもなく驚かせたようだ。悲鳴の後、がばりと腹斜筋に力を入れて体を起こした寛茂の瞳孔は今も開いたままである。


「起きないヒロが悪い」

「うぅ……心臓がばくばくしてる……」

「起きたなら朝食だ。ヒロがこれを食べ終えてくれないと俺は出勤できない」

「えっ!」


 急いで食べなくても良い事を伝えながら食べる姿勢になった寛茂に卵粥を与える。寛茂は一緒に持ってきていた水を口に流し込んでから粥に手をつけた。

 食べ始めたのを確認した千誠は出勤の支度を整えるべく、部屋を出る。扉を閉める直前に寛茂が「んふぅーおいしいー」と満足げに呟く声が聞こえた。

 リビングのソファに鞄を立てかけ、背もたれにジャケットをひっかけて寛茂の部屋に戻る。


「栗原さん、ごちそうさまでした! おいしかったっす」

「それは良かった。昼は冷蔵庫へご飯と具を用意しておいたから昨日みたいにして食べて」

「分かりました。ありがとうございます」


 元気が戻ってきているのか、声に張りがある。さっと皿を片づけて家を出た千誠は、今日はポトフ等のスープ類が良いだろうか、と今晩のメニューを考えながら会社へ向かうのだった。




 二日連続の休みは、寛茂の同僚達の動揺を誘っていた。確かに二日連続で休むのも珍しい事だが、それが寛茂であるという事が彼らを余計に心配させているのだろう。

 仕事ではない寛茂の体調を心配する人間からの内線に半ばうんざりしながら過ごす事になった千誠は、昼食を外で食べて戻ってきた途端に現れた新婚カップルを見るなり溜息を吐いた。


「……邪魔をしました?」


 おそるおそる聞いてきたのは祥順である。待ち構えていたくせに、と思いながら首を横に振って答えた。

 浩和は祥順の半歩後ろに控えるようにして立っている。一昔前の主従、あるいは夫婦のようである。それを見ているだけで笑ってしまいそうな予感を抱き、さっさと席に座るよう案内した。


 こぽぽぽ、と紙コップに煎茶がそそがれていく。抹茶入りのそれは、葉を蒸らす時間が短くても誤魔化せるから、急いでいる時や短時間でお茶を用意したい時に便利な為、千誠は好んで使用しているものだ。

 千誠が用意している間に席に着いた二人へ渡し、向かい側に千誠も座る。


「ヒロだけど、だいぶ熱は下がったよ。朝起きた時は微熱だったから、大事をとって休ませた」


 午前中から何度も説明していた話で、千誠としては何度目なのかもはや分からなくなった話をする。熱が下がらなかったわけではないと分かったからか、二人の目元が和らいだ。

 周囲をこんなに心配させるなんて、罪な男だ。千誠は小さな笑いを漏らす。この場に寛茂がいたら、さぞかし喜んだ事だろう。


 寛茂は、なぜか千誠の介護を喜ばない。むしろ戸惑いの雰囲気が強く、恐縮とも遠慮とも言い難い顔をする。

 彼の反応が「やってくれるんですか? わーい!」であれば良いと千誠は思うが、実際は「ええっ、そんな事しないで良いです!」と言わんばかりである。


「明日は多分出勤できるよ。それより二人に聞きたいのだけど」

「何でしょう?」

「答えられる事なら」

「ヒロ、私が世話を焼こうとするとあまり嬉しそうにしなかったから、どうしてかなと思って」


 千誠が二人に問えば彼らは互いの顔を見合せ、それから同時に「あー……」と生温かく崩れた笑みを千誠に向けた。

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