第15話 観賞用ペットに昇格した寛茂
じい、と寛茂は千誠を見つめた。千誠の方は軽く首を傾げて見せる。普段よりも低い位置にあるせいで、意図せず上目遣いになってしまっている。思いの外可愛らしい動作とその構図に寛茂の声は上擦った。
「俺……俺、栗原さんには秘密にしてたんですが、最近ジムに通ってるんです」
「へぇ」
思っていたよりも平然とした態度に寛茂はひっそりと肩を落とした。ぜんっぜん驚いてないし、感心してもいなさそう……。
「秘密にしなくても良かったのに」
「えっと、それはちょっと恥ずかしくて。見せられる体になってから言おうかと……」
尻すぼみになってしまい、最後の方は自分でも何を言っているのか分からなかった。
寛茂は顔に血が集まっているのを実感する。変なところに集中するよりはマシだが、これはこれで恥ずかしい。意識すればする程、逆効果になると分かっていても、その気持ちを捨て去る事はできなかった。
顔が真っ赤になってしまっているという自信がある。寛茂は今すぐにでもベッドの中に潜り込んでしまいたくなった。
変な事を言い出した寛茂とは真逆で全く動じていないのか、千誠が右足を丁寧に拭く動きは変わらない。
「鍛えたら俺に見せるつもりだったのか?」
「あ。はい。努力の成果は見せたいじゃないっすか」
千誠はとても寛茂を理解してくれている。千誠の言葉に寛茂はあっさりと頷いた。何でもないような千誠の態度がますます寛茂を素直にさせていたとは、寛茂自身気が付きもしなかった。
誘導尋問だと気が付いたのは、千誠がくつくつと笑い出し、からかうように話し始めてからだ。
「ヒロ……俺はお前に筋肉質な体を見るのが趣味だと思われているのか?」
「へ?」
「それとも、ヒロが人に裸を見せて喜ぶ人間だったのか? なら、今の状況はヒロにとって最高の状況じゃないか」
寛茂はなんて答えれば良いのか、一つも思い浮かばなかった。むしろ混乱する一方である。下着一枚、ほとんど無防備な姿を晒している寛茂は右足を人質に取られたまま口をぱくぱくと動かした。
「この足が終わったら、局部を拭くか聞いて部屋から出るつもりだったんだが、そこも面倒を見てあげた方が良いかな……?」
千誠がそう言いながら足指の間をゆっくりと意味深にタオルで拭うものだから、寛茂は声にならない悲鳴を上げ、先ほど思い浮かんだ“ベッドに潜る”をすぐさま実行するのだった。
パンツ一枚で潜り込んだ寛茂は、視界が暗くなって少しだけ気持ちが安らかになった。シーツカバーのさらりとした感触が気持ちいいかもしれない。
「悪かった。からかいすぎたな……くく、とりあえずバケツは後で取りにくるから残りの部分を拭くかどうかはご自由に」
「うう……」
寛茂の口からは、もはやうなり声しか出なかった。千誠は最後まで笑っている気配がしていたものの、静かにドアを開けて出て行ってしまった。それから少しの間、寛茂は小さな暗闇に包まれたままぎゅっと身を縮こませていたが、そろそろと顔を出した。
部屋の明かりがまぶしく感じ、手のひらで影を作る。せっかく千誠が用意してくれた湯である。彼がいつ戻ってくるとも分からない緊張感をはらんだまま寛茂はそそくさと身を清める。
千誠に世話してもらい、体がさっぱりとした割に精神が疲れ切ってしまった寛茂は着替えるなり再びベッドの中に潜り込む。慣れない高温のせいて体は疲れているようで、寛茂は先ほどの千誠の言動を思い出したりして興奮する事もなくすうっと寝入った。
寛茂の部屋を出てからおおよそ一時間後、千誠はそろりと寛茂の部屋を覗き込んだ。部屋の電気は常夜灯に変わっており、ドアから見る限りは寛茂は寝入っているように感じられる。
ゆっくりと中へ入り、バケツを持ち上げる。あれから湯を使ったのだろう。バケツの縁に引っかけたはずのタオルが湯の中でたゆたっていた。
一瞬、千誠は寛茂の寝顔を確認しようと思ったが、見てはいけないような気がして目を閉じる。小さく頭を振ってその意志を固めてから水が跳ねないように気を付けながら退室した。
バケツの処理ついでにシャワーを浴びる事にしていた千誠はバケツを浴室に置いて自室に戻る。寛茂の体を清めてから私服に着替えてもすぐに脱ぐ事になると考えていた千誠は、スーツを着たままだった。
どうせ裸同然で歩き回ったところで寛茂は眠ったままである。自分の世話をするのが面倒だった千誠はスラックスを脱ぐと着替えを持って浴室へ向かう。
さっさと裸になった千誠はほとんど常温になったぬるま湯を捨て、タオルを絞る。バケツを軽く洗い、絞ったタオルをとりあえず引っかけた千誠は寛茂の裸体――とは言え下着一枚は身につけていたが――を思い出した。
千誠に隠れてスポーツジムへ通っているのは知っていた。その理由が筋肉を付けて体を引き締める事だというのも。だが、実際にその鍛えた体をじっくりと鑑賞する機会はなかった。
先ほどその機会に恵まれたが、その時に思ったのは「鍛える前の体もじっくりと見ておきたかった」であった。
寛茂の体を鍛え始める前、ほんの少しだけ見た事がある。あの時の彼は全裸で股間を手で隠していた。ちらりと隙間から本体が覗き見えてしまっていたが、肉体にふさわしい雰囲気をしていた気がする。
しっかりと全貌を見たわけではないから、実際とは異なる可能性も無きにしも非ずである。
寛茂の大切な部分に思いを馳せるのはそこそこに、熱めのシャワーを浴びる。最初から良い筋肉のつき方をしていたが、それが良い具合に成長していた。実に、鑑賞に足る肉体であった。
もう少し鍛えるつもりなのだろう。千誠の問いかけに答えたくなさそうであった。野性味のあった筋肉は、スポーツジムで鍛えるという弊害のせいでやや均等になり始めていたが、だからといって魅力が損なわれたわけではない。
今まで使われる事のなかった部分が増強された為、寛茂をより筋肉質に見せていた。更に少しばかり柔らかな部分がありそうだった腹部はしっかりと絞られ、魅力的な波を描いており、千誠は心の中で「ご馳走様」と呟いたくらいである。
水の無駄遣いをしながら、千誠は何度も脳内で今日の映像を繰り返しなぞるのだった。
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