第14話 ペットへのご褒美は介護
キノコ雑炊を食べながら明日の話をした。千誠が勧める通り有給をとる事になってしまったが、それは仕方のない事だろう。汗をかいたからシャワーだけでも浴びたいと言ったら、「だめだ」と認めてくれなかったのは不満だが。
寛茂は渋々と部屋に戻って横になった。片づけをするから横になっていなさいと千誠に言われたからである。首もととかが特にべとついているような気がして気持ち悪いなと思っている内に眠くなってきた。
このまま眠ってしまいたい、そうしてしまおうか、と眠気に身を委ねようとしていると扉が開いた。
「ヒロ、寝たか?」
「……いや、その手前っす」
「そうか。なら、ご褒美をやるから体を起こしなさい」
ご褒美って何だろう。寛茂はぼんやりし始めていた頭を小さく振って目を覚ました。
千誠がご褒美と言うくらいなのだから、寛茂にとって良い事に違いない。デザートとか? 香りがしないからアイスかな。寛茂の頭の中では様々なデザートが舞っていたが、実際は食べ物ではなかった。
千誠が歩く度にちゃぽちゃぽと水の跳ねる音がする。何だかおかしいぞと寛茂が気が付いたのは、千誠が目の前にバケツを置いた瞬間だった。
「体拭いてやるよ」
「へ?」
バケツからはゆらりと湯気が上がっていて、その中にはタオルが浸してある。それを使って、という事だろう。
「ちゃんと着替えも用意したから、パンツ以外脱ぎなさい」
「えっと、あの?」
「ああ、看病され慣れていないのか。ほら、早く脱げ。脱がすぞ」
千誠が寛茂の体を拭く、というのは決定事項らしい。寛茂が状況を把握しきれずにおろおろとしていると、呆れたような声で催促された。千誠の手で脱がされるなら自分から脱いだ方がマシだ。
もたつきながらも動き始めれば千誠の関心が逸れる。彼はバケツの中にあるタオルを絞り始めていた。
今まで鍛えているのが分からないように、なるべく見せないようにしてきたのが無駄になる。もう少し鍛え上げてから見せたかったのに、と残念な気持ちでいっぱいになるが、ここまできたら脱ぐしかない。
そもそも、脱げ、という千誠の善意による命令に寛茂が逆らえるはずがなかったのである。
寛茂がトランクスだけを身につけた状態になるのをじっと待っていた彼は、特に何の感想もなしに寛茂の体を拭き始めた。褒めて欲しかったような、筋肉には触れて欲しくなかったような。
まずは顔を拭かれた。別に顔くらい……と思わなくもないが、丁寧にやってくれる千誠に文句を言う気は起きない。
「熱さは大丈夫か?」
「大丈夫です」
腕、胴体、背中、と余すところなくしっかりと拭っていく。時折タオルを湯に浸して温め直す事も忘れない。腰部がぞわぞわと変な感じがして少々困ったものの、何も疚しい事などないのだと何とか気持ちを蹴散らした。
「あっ、栗原さん」
「何?」
「足……」
片膝をついた姿勢になった千誠の太股へ寛茂の足が乗せられた。これ、映画か何かで見た事あるぞ。中世のお姫様がやってもらってた奴だ。現実はすね毛の生えた良い年した男がやってもらっているわけだが。
寛茂は自分が着ているスーツよりも値段が高いのを知っている。なんて言ったってブランド品のセミオーダーだ。
寛茂もブランド品を身に着けるようにしてはいるが、量販されたスーツ止まりである。営業は多少無理をしてでもグレードの良いスーツを着るべきだ。そんな考えは一応持ち合わせている。が、そのスーツよりも彼が身に着けているものはお高い。
視覚的にもよろしくないが、精神的にもよろしくない。寛茂は自分では買えないランクのスーツを足蹴にしているという事実に眉尻を下げた。
「スーツか? まあ……ヒロは昨晩風呂に入っているし今日はほとんど寝ていただけだから、そんなに汚くはないだろ」
そう言いながら千誠は温かいタオルを太股に添えた。本当に千誠は聖人のようだ。寛茂はその言葉に甘えてなるべく気にしないよう、別の事に気を向ける事にした。
考えやすいもの。それはやはり介護されているこの状況だった。
まだ一日中暑い日が続いていると言っても、じんわりと響いてくるタオルの温かさは寛茂の筋肉を緩ませる。筋肉が緩むと別の感覚が鋭くなる……。
千誠の拭き方は丁寧で一定のリズムだ。いっそすばらしく事務的でこなれているとも言える。夏用スーツのさらりとした質感が足の裏ですべる感触、タオルが移動した後にすうっと熱が引く感覚、そういった普段は気にしないだろう物事が意識に上る。
寛茂はどうやら背面が弱いらしい。太股の裏や足の付け根付近を拭かれる時に、腰部の時に感じたようなぞわりとした何とも言えない感覚がせり上がった。
鳥肌は立っていない、と思う。だが、鳥肌が立ってもおかしくないようなこの感覚は、再び自身の誤作動を起こしそうで怖い。
まずい、スーツとこの状況の他に何か気を逸らすのに良いものはないか……!!
「ヒロ、前よりも筋肉質になったね」
「ひゃいっ!?」
足の裏、指を念入りに拭いながらの発言に、色々と耐えていた寛茂は噛んだ。千誠がくつくつと堪えきれずに笑っている。その笑うリズムで寛茂の足が揺れた。
うう、恥ずかしいし、くすぐったいし、びっくりした。
「ははっ、そんな変な声どこから出て……くく」
「ぼうっとしてたから、噛んだだけっす!」
介護してもらっただけで元気になりすぎたりしないよう、少しでも気を紛らわせようと頑張っていただけだ。とは正直に言う事もできず、間抜けな返事しかできなかった。
だが、幸運な事にこの出来事のおかげで変な感覚はどっかに吹き飛んでいった。残り足一本分くらいは問題なく終わるだろう。
後は話題だ。この話題に乗ってしまえば誤作動は避けられる確率は格段に上がる。
「俺、筋肉質っすか」
「ああ。鍛え直しているのか?」
何気なく放たれた千誠の言葉にぎくりとする。寛茂は迷った。正直にジム通いを告白するなら今かもしれない。
寛茂は自分を落ち着かせる為、一度深呼吸をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます