第3話 浩和の料理教室

 思っている以上に用意周到な浩和に驚かされながらも、楽しい買い物を済ませた祥順は気分良く帰宅する。

 家へと戻ってきた二人は、一息ついてからシェパードパイの準備に取りかかった。簡単に言えば、シェパードパイとは挽き肉と野菜の炒め物にマッシュポテトを重ねて焼いたものである。浩和の指示で祥順はジャガイモの準備に取りかかる。


「後でやるの面倒だから先に皮は剥いて。

 ゆでるときにでんぷんで鍋汚れるけど、それは許容範囲って事で許してくれるかな」

「わかりました」


 手慣れた手つきで野菜を切りながら口を挟む。祥順は言われた通りに皮を剥き始めた。さすがに浩和も包丁は持ってきていない。祥順の方はピーラーで剥いていく。芽は皮を剥き終わったところで浩和に処理してもらう。

 芽の処理のついでに彼は適当にジャガイモを刻み、鍋へと放り込んでいった。


「菜箸が軽く通るかどうかってくらいで出して潰してください」


 祥順がじっと鍋を見ているのに気がついたのか、浩和が耳元で言う。

「あ、はい」

 祥順が横目で見ると、浩和は野菜を切り終えてフライパンへと移しているところだった。手際の良さに祥順は目を見張る。ジャガイモの処理もしていたのにもう切り終えているなんて、と尊敬のまなざしに変わる。

 浩和が祥順の視線に気がついて頭を動かせば、ぼうっと浩和を見つめる祥順が目に入ってくる。

 ずっと見られていたと思ったのか、浩和は無言で困ったような笑みを浮かべて視線をずらした。


「そんなに男が料理するって珍しい?」

「え、いや。その……」


 祥順は頭に血液が集中していくのが分かった。彼の反応に戸惑うというよりも、じっと見つめてしまった事に対する羞恥心からである。


「俺、何もできないから羨ましいって言うか、格好いいなあって」

「ありがとう」


 やや上の空な返事が返ってきた。浩和はフライパンの中身が焦げないように木べらで転がしている。調子が狂う。そう思ったのは祥順だけではなかっただろう。

 じゅうじゅうと野菜の焼ける音とジャガイモをゆでる音が二人の代わりに会話をしていた。




 しばらく無言で自分の役割に集中する事となった二人は、黙々と作業を進めていた。しかし、そろそろジャガイモがゆで上がるかというタイミングで浩和の指示が入り始める。

 あちこちにセンサーやカメラが仕込まれているのではないかと疑いたくなるくらいに正確である。


 ジャガイモがゆで上がると、祥順はお湯を切ってマッシュにし始めた。

 裏ごしはしなくても良いらしい。ごろっとした触感が微妙に残っているのが浩和の好みなのだそうだ。裏ごしをすると柔らかくてふわふわな食感になると言われて興味が沸いた祥順であるが、残念な事に生憎裏ごしをするのに必要なものがここにはなかった。


 ふわふわマッシュポテトを諦めた祥順は牛乳やバター、塩胡椒を使って味を調えていく。もちろん味の監修は浩和である。

 一方浩和が担当していた炒め物の方は挽き肉が追加されていい匂いを放っている。挽き肉を入れるタイミングで香辛料が何種類も加わっているせいか、何とも食欲をくすぐる匂いである。

 香辛料は浩和持参の代物だった。彼曰く、どうせ購入しても祥順は使いきるまでに駄目にしてしまうのが想像つくからだそうだ。


 言われるまでもない。祥順自身、全くと言っても良いほどに使いこなせる自信がなかったのだから。

 浩和の指示通りに挽き肉と野菜を絡ませたものをオーブン用の耐熱皿へと敷いていく。茶色い絨毯ができあがる頃には、バターの香りが漂ってきた。


「俺流のシェパードパイは、大きめに切ったほうれん草のバター炒めをマッシュポテトの間に挟むんです」


 茶色い絨毯が鮮やかな緑色へと変わっていく。祥順はその様子を興味深く見ていた。

「ほうれん草の層ができたら、今度こそポテトの番」

 そう言ってマッシュポテトを敷き詰めていく。純白――と言うには黒胡椒の粒が見えるから微妙に違うのだが――のゲレンデみたいになった。


「卵黄だけ使うレシピが多いみたいだが、白身が勿体ないから俺は全卵でやってしまうんだ」

 浩和はそう言って勢い良くといた卵で刷毛を濡らし、表面を塗っていく。ほんのりと黄味がかり、艶が出た。


 祥順は鍋を洗う手を休めていた事に気が付き、慌てて自分の仕事に戻る。今回は浩和には気づかれなかった。

 準備の終わった浩和が温めておいたオーブンにシェパードパイを入れ、焼き始める。その様子をちらちらと見ながら祥順は心の中で溜息を吐いた。

 そう何度も見つめている事に気がづかれるのはいたたまれない。大体、変ではないか。それに料理中の同性をじっと見つめているとか、自分がされる側だったら何だか恥ずかしい気もする。


 浩和が魅力的な男なのは、祥順も認めている。ただ、だからといって熱心に見つめてもいいわけはないだろう。

 そんな風に思いながら勢い良く水を流す。

「うわっ!」

 鍋底で跳ね返った水が祥順を濡らした。添え物の用意をし始めていた浩和が驚いた様子で水を止めてくれる。

 祥順の上半身は跳ね返った水でびしょびしょである。頭からかぶらなかっただけ、マシだというものだ。


「……大丈夫?」


 祥順は眉を下げて笑って誤魔化した。何もできないのは否定しないが、さすがにこれは酷いと呆れられたのではないか。

 濡れた洋服を見ていた祥順は、そう思いながら彼を見上げた。

 祥順の考えとは反対に、浩和は普通だった。


「熱湯をひっくり返した、とかじゃなくて良かったよ。

 続きなら俺もやれるし、早く着替えた方が良い」

「ありがとうございます」


 馬鹿にしたり、呆れた様子を見せるどころか紳士的な対応である。自分が女だったらたちまち落とされるなぁ、と彼の紳士力に感心してしまう。

 自分も見習わなければ、と思いながら祥順は部屋へと戻っていった。

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