第2話 浩和は準備万端

 身支度を整えてテーブルにつけば、普段よりも豪華な朝ご飯が待っていた。実のところ、祥順の朝ご飯はパンにバターを適当に塗りたくったものとコーヒーだけ、といった正に“食べないよりはマシ”という内容である事が多い。

 そんな普段の朝食とはうって違い、ふわふわのスクランブルエッグにこんがりと焼き目のついたソーセージ、レタスとトマトの簡単なサラダが乗っている。

 酔いつぶれた日の翌朝に、祥順が珍しく頑張って作ってみた朝食と比較しても大きな差がある。


 何でも器用にこなす目の前の男が、祥順には別の世界の生き物であるかのようにすら見えていた。

「素材が少なかったから、あるもので作ってみたんですが」

「十分過ぎます」

「そ? 良かった」

 今後は食材をもう少し在庫にしておかなきゃいけないな、と頭の中にメモをする。別に用意をしていなくても浩和は気にはしないだろうが、祥順は気になる。ある種プレッシャーのような感覚である。


 素材が少ない、というのは実質ダメ出しである。祥順はダメ出しを放置し続けるのは苦手なタイプだった。私生活を知られる事は今までになく、ダメ出しする人間はいなかった。

 自分のこの性格が仕事以外にも発揮されるとは考えてもいなかったが、どうやら適応されるようである。祥順にも新たな発見であった。


 目の前の男はにこにこと爽やかな笑みを張りつかせ、祥順が食べるのを見ている。少しだけ居心地の悪さを感じ、緊張気味で祥順は食べ始めた。

 一口、味わってみればこの前に出した祥順の朝食とはだいぶ違っていた。この前振る舞った朝食が恥ずかしいくらいである。

 数秒前までの居心地の悪さは全て吹き飛んでしまう。


「おいしいです……」


 祥順はそれしか言えなかった。ふわふわのスクランブルエッグはわずかな塩気が卵の甘みを引き立てている。ウインナーも外側の皮がぱりっとしていて触感が良い。

 自分が作った目玉焼きはちょっと固くなってしまっていたし、ウインナーは歯ごたえがすごかった気がする。ああ、あと目玉焼きと一緒に焼いたベーコンはちょっと焦げていたか。などとこの前の失敗と比較しながら咀嚼していく。

 ちょっとしたサラダを付け加えるといった気の利いた事もしていなかった。祥順の反省点はまだまだ多いようである。


 もう、浩和の視線は気にならなかった。




 浩和がちょこちょことこっそり片付けてくれていたおかげか、片付けは祥順が考えているよりもスムーズに進んだ。

 予想外だったのは浩和のてきぱきとした仕事ぶりである。家政婦――いや、家政夫か?――にでもなったのか、と言うほどに効率の良い的確な指示を飛ばしてくる。


 彼の指示に従って動くだけで、どんどん進んでいく。身近にいる人間で完璧人間と呼べる者が一人いる。もしかしたら彼に匹敵するのではないか。

 効率よく片付けは進んでいき十一時を迎える今、ここは良く片づいた綺麗な家になっていた。


「このくらいで良いか」

 浩和の一言が終了の合図となり、祥順はコーヒーを入れ始めた。すぐにコーヒーの香りが室内を満たす。

 完成したコーヒーを祥順が差し出すと浩和はそれをすすり、満足そうに笑んだ。


「カジくんのコーヒー、俺好きですよ」

「昔コーヒーの専門店でバイトしてたんで、これくらいしか仕事以外にまともにできるのないんです」

「どうりで!」


 合点がいったと言わんばかりに頷かれた。

 浩和の中でも「なぜ、コーヒーだけ……」という気持ちがあったのだろうか。祥順は他の事も自慢できるくらいまでできるようになりたいな、という思いをコーヒーと一緒に飲み込んだ。




「うわ、さすがですね!」

 祥順の浩和を誉め倒す声がにぎやかな店内に混ざる。昼食は外に行き、そのまま食材探しをする事になった。

 レストランで食事を取って、今は近くのスーパーに来ている。豪華にする、と宣言した浩和は迷うことなくどんどん食材をカゴに入れていった。

 祥順が何を作るのかと問えばシェパードパイだと言う。祥順は食べた事がなく、携帯端末で調べる事になった。


 シェパードパイとは、イギリスの料理らしい。写真を見ても、似たような料理を食べた記憶はなかった。

 そもそもこれは自分の家で作れるものなのか。器もないぞ、と調べながら祥順は段々不安になっていく。


「あの、滝川さん。

 これ作る容器って……」

「ああ……足りないものは俺の家から持ってきたんで問題ないですよ」

「へ?」


 思わず祥順が立ち止まると、浩和も合わせて立ち止まった。振り返った浩和はにんまりと愉快そうな笑みを浮かべている。

「この前キッチンにお邪魔した時とかに、入り用なものがないかチェックしたんだ。

 俺の荷物多かったでしょ?」

 言われてみれば、と祥順は彼の荷物を思い出す。大荷物だった。そこまでして作りたいのか。


「カジくんは美味しく食べてくれるだけで良いんだよ」

「……うん」


 心の声が聞こえたかのような言葉に、祥順は思わず顔を赤くする。

「カジくんって可愛い系だよね」

「えっ」

 目を丸くする祥順であるが、浩和はもう食材選びに戻ってしまっていた。

「仕事もきっちりこなすし、絶対女の子が放っておかないと思うんだけどな」

 何でもできる浩和に、そんな風に言われる魅力があるとは思えなかった。頬が熱いまま言い返す。


「俺が女の子だったら自分みたいな男より滝川さんの方についてきますよ!」

「はは、カジくんおもしろーい」

 おもしろいと言う彼の顔は、後ろを歩く祥順には見えなかった。

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