理想のすがた

@Opisthoteuthis_depressa

眼鏡型ARデバイス

 僕には子供の頃からの夢があって、それはもうすぐ叶おうとしている。

 僕は9年前、眼鏡型のARデバイスを開発した。見た目はスポーツ用のサングラスに似ているが、レンズの部分は内側が液晶画面で、外側は金属で覆われている。このデバイスをスマートフォンにリンクして装着すると、同じくデバイスをかけた人に自分の実際の姿ではなくアバターを見せることができるのだ。もちろん相手の姿も、相手が好きに選んだアバターに見える。相手の位置は、互いのスマホの位置情報とARデバイスのカメラからの情報を合わせて判断している。この技術を実用化するのは大変だったが、苦労の甲斐あって製品化したデバイスではほとんど誤差がない。周りの景色は本来レンズの向こう側に見えるものが寸分違わず、より鮮明に映る。

 理想の姿になれるARデバイス。どんな美男美女にもなれるし、デフォルメされた可愛いネコや、クールなドラゴン、半透明のファンシーなおばけになることもできる。他の人とぶつかったり不要に場所を取りすぎたりしてはいけないから、大きさだけは元々の自分の肉体に準拠するけれど。全国の家電量販店で売り出されたこの製品は瞬く間に普及していった。みんな自分の理想の姿になりたかったし、現実なんてたいして見たくもなかったのだ。街を歩くとき、目に入る景色は随分と夢に溢れたものになった。

 朝食のパンを齧りながらニュースサイトで新着の記事を見ると、ちょうど眼鏡型ARデバイスの普及率が全国民の90%に達したと報じられている。残りの10%の人々は、ほとんど外を出歩かないような老人や幼児たちだ。ここまで長い道のりだった。ようやくだ。僕は朝食を終えて立ち上がり、テーブルの上のARデバイスを手に取った。このデバイスには1つの欠陥がある。使用者がスマートフォンとデバイスを連携した後で、デバイス内のアバターのデータと着脱を検知するセンサーが同時に破損すると、使用者のアバターは完全に透明な直方体になってしまうのだ。この状態の使用者がスマホを携帯しているとき、他者が装着したARデバイスの画面からは誰も居ない場所の僅かな映像のズレにしか見えなくなる。もっとも、メモリーやセンサーが入っている部分は防水性で、丈夫に作られているし、ソフト的にも厳重に保護されているから、こんなことはそうそう起こらない。僕は自分のデバイスを電子レンジにかけた。600Wで40秒。マイクロ波が回路を発火させ、バッテリーを溶かし、メモリーとセンサーを破壊する。

 古い電子レンジの扉を開けてみようとは思わなかった。僕はスマートフォンをポケットに入れて、異臭の漂うマンションの一室を出た。こうして僕は誰にも認識されなくなった。子供の頃に想い描いた通り、透明人間になったのだ。

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