第二十九話 都邑の皇子達


 日輪の国の都邑みやこ――『常陽じょうよう


 その東端にみかどが座す城がある。


 西の正門から外城に入ると政治・軍事の中枢となる宮があり、数多あまたの官吏や正規兵が行き交っている。


 更に真っ直ぐ東へ進むと官吏達が働く外宮、その東隣に帝が政務をる内宮に辿たどり着く。


 ここを抜けると城櫓しろやぐらを含め高さ二十丈(約32m)をゆうに超える見上げる程の大門がある。


 門を潜り内城に入れば広大な敷地が広がっており、中心部には皇族が住まう『上陽しょうよう城』が威容をたたえている。


 城内には数多の宮があり、それぞれを繋ぐ廻廊の一つを天絹の襦裙じゅくんを纏う青年が表情険しく歩いていた。


 第二皇子聆文れいぶんである。


 彼は苛々していた。


 作法を無視して荒々しく大股で歩き、内裳ないもが床を引き摺り足に絡む。それが益々聆文を苛立たせた。


(何故こう上手く事が運ばない!)


 最初は順調だった。


 霊鬼之護れいきのまもりを持つ藍鈴を脅し、堕とした窮奇を操って政敵である第一皇子泰然の直轄邑で暴れさせた。


(常夜の結界も窮奇の責任も全て泰然に負わせる手筈を整えていたのに……)


 更に月門の邑令長や方士院の一部も抱き込み月門付近の結界に穴を開けるよう水面下で動いていた。


「これも刀夜のせいだ!」


 いつの間にか常陽から姿が見えなくなったと思ったら月門の邑に居たのだ。しかも窮奇を調伏し藍鈴と監視に付けた使い魔も退治されてしまった。


 強力な神賜術かみのたまものの恩恵を受け、剣を振り回しては英雄気取りのいけ好かない男。人気取りをして民や雑兵、下級官吏の支持を得ているのも癪に触る。


「泰然の前に奴を――ッ!?」


 突然、聆文は息を呑んだ。廻廊の先で闇のように黒い獣がじっと聆文を見詰めていたのだ。


 それは黒い体毛に覆われた羊とも犬ともつかぬ姿で、額からは長い角が伸びている。


攬諸ランショ!?)


 それは十二獣の一柱で大難たいなでは咎を食うとされている攬諸であった。攬諸は獬豸かいちの一体で理知に富み、善悪を見分け奸邪を憎む霊獣である。


 その公明正大な霊獣にあやかり司法官が頭上に頂く法冠を獬豸冠かいちかんと呼ぶ。


(何故こいつが……まさか窮奇の件で!?)


 さぁっと聆文の顔が青くなる。


(攬諸は咎を食う)


 獬豸は悪人を角で刺し殺すと聞く。怖くなった聆文は踵を返し急ぎ逃げ出した。その後ろ姿を見送った攬諸は興味を失くしたのか歩き去っていった。


「聆文も愚かな真似をしたものだ」

「ええ、十二獣がいなくなれば我が国は常夜の森に飲み込まれてしまいます」


 その一部始終を見ていた二人の男が柱の影より姿を現した。第一皇子泰然と刀夜である。


「奴は皇族でありながら知らないのでしょうか?」

「いや、知ってはいるのだろうが、それ以上に悪を許さぬ窮奇を恐れたのだ」

「ああ、だから先程は攬諸に怯えたのですね」

「十二獣は皇族を傷つけない。攬諸は警告に現れただけなのだがな」


 窮奇の一件で十二獣は聆文を警戒している。同じ手は二度と通じないだろう。


「今回の件、刀夜には助けられた」

「邑令長だけではなく方士院にまで奴の手が伸びていたのは驚きました」


 白翰鳥で連絡を受けた儀藍から泰然に連絡が入り、刀夜が常陽へ戻った時には既に調査も済んで邑令長も方士院も更迭されていた。


「それにしても役優の緊圏呪が施されている窮奇が妖魔あやかしに堕ちるとは……」

「蘭華の話では完全に堕ちていたのではなく緊圏呪の力が弱まっていたようです」


 数百年の時を経て緊圏呪に篭められた役優の魔力も擦り減っていたらしい。再び蘭華が魔力を付与して事なきを得た。


 その話に泰然が難しい顔をする。


「それでは他の十二獣の緊圏呪も?」

「その可能性は高いかと」


 攬諸のように元が霊獣であれば大きな問題にはならないが、窮奇のように役優に調伏されて十二獣に転じた妖魔あやかしは枷が外れて暴れ出すかもしれない。


「早急に対応したいが、今の方士院の実力では役優の緊圏呪に及ぶまい」

「蘭華なら申し分ない実力ですが……」


 権威主義の方士院が爵位の無い蘭華に面目を潰されたと騒ぎ出すのは容易に想像がつく。


 泰然の口から溜め息が漏れた。


「ここでも爵位か」

「爵位もですが、神賜術かみのたまものにしても人の優劣を測る指標にはなりません。二十等爵の制度は改正しなければ日輪の未来は暗いでしょう」

「同意はするが爵位も神賜術も管轄は地官長の栄冉えいぜんだ」


 雅栄は九候家第二位の紅月家当主で、がちがちの神賜術至上主義者なのだ。


「だからこそ兄上に帝位を継いで頂きたいのです」

「簡単に言ってくれる」


 苦笑いする泰然に刀夜は朗らかに笑う。


「その為なら俺はどんな協力も惜しみませんよ」


 刀夜は以前より泰然が二十等爵と神賜術の意識改革の為に根回しをしているのを知っている。刀夜はその意味がまるで分からなかったが、蘭華と出会って泰然が目指しているものの一端を理解した。


(やはり兄上こそ帝の器)


 普段から市井に下りている刀夜よりも、宮にいながら泰然は国情を正確に捉えている。


 泰然が即位すればきっと蘭華への想いを遂げる道が開けるだろう。だから、刀夜は薪水しんすいの労も厭わないつもりだ。


「兄上が帝位に上るまで俺は兄上の剣となり盾となりましょう」

「ふふふ、頼りにしている」


 からりと笑い泰然は去って行った。


 その背中を見送っていた刀夜の側に鉛色の髪の中年がスッと立つ。


「刀夜様、例の件の裏付けが取れました」


 儀藍ぎらん


 刀夜の懐刀にして剣の師。もう五十手前だと言うのに、その体躯はがっちりとして衰えを知らない。


「蘭華の申した通りでした……残念ながら藍鈴の二親は既に……」


 窮奇が齎してくれた情報に藍鈴の両親の事もあった。どうやら娘を人質にされた藍鈴の両親は聆文の命で窮奇を襲い返り討ちにされたらしい。


「聆文め、窮奇を堕とす為の生け贄に子を思う無辜の民を犠牲にするとは……」

「そして、その事実を伏せ既に亡き親を人質と称して藍鈴に窮奇で人々を襲わせたのです」

「これは藍鈴には教えられないな」


 妖魔あやかしと心を通わせる優しい少女を思うと刀夜の胸が痛む。


「それから蘭華の素性についてですが……」

「分かったのか!?」

「二十年程前に紅月家当主栄冉えいぜん様から女児の死亡届が出ておりました」

「それが蘭華だと?」

「その可能性が高いかと……紅月家は地官の家系。戸籍の改竄はお手の物ですし」


 地官は民政に関わる役職で、戸籍、爵位、教育などに携わる。


「ここでも栄冉か……」


 身分制度改変の壁となっている栄冉が蘭華の父親。


 それは何と皮肉な事か。


(いつか対決の時がくる)


 刀夜にはそんな予感がした。


「ところで、先日その蘭華の元へ行かれたとか?」

「ああ、未払いになっていた工賃を届けにな」


 月門の方角を見上げれば雲が陽に染まり蘭華の瞳のように紅かった。


「贈り物は気に入ってもらえただろうか?」


 常夜の森に報せもせず訪問したら驚き目を丸くした蘭華を思い出して刀夜はくすりと笑った。

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