金貨
内心舌打ちする。こんな時に、昔の恨みに足を引っ張られるとは思わなかった。
「命令は私から出す。それでもか?」
オーリが尋ねるが、ケルコスの顔は晴れない。
「恨んでいるのは、カタラクタもだから。姫巫女個人に、じゃなくて。勿論、命令には従うだろうけど、熱意はないと思う。それに、口が固いかっていうのは、本当に約束できないよ」
「そんな!」
プリムラの、咎めるような視線が三人に向けられる。
「どうする。マノリア隊に頼むか?」
「いや、テナークスがいないところで、俺が命令はできない。何より、人目につくだろう」
ロマに動いてもらうしかないのだ。できる限り、熱意のある状態で。
必死に考えこんでいたアルマが、ゆっくりと視線をケルコスへと向けた。
「……なあ。お前、あの時、相手が俺じゃなかったら、金を貰えれば道案内をしたのか?」
「え?」
一瞬、何を言っているのか判らなかったように聞き返すが、すぐに察したのか、ケルコスはばつの悪そうな顔をする。
「うん、それは、したよ。おれたち、理由もないのに金を奪ったりしないから」
「そうか」
色々掘り下げたいことはあるが、またの機会にする。アルマは、次に顔をオーリへと巡らせた。
「オーリ。フルトゥナの執政所で見つけた金貨、まだ持っているか?」
「え? うん」
こちらも、きょとんとして頷く。
「それ、貸してくれないか。返す当ては今のところないけど、何とかする」
「アルマ……?」
戸惑った呼びかけは気にせず、続ける。
「レヴァンダル大公子、アルマナセルが、風竜王宮親衛隊に依頼する。ペルルを救け出してくれ。報酬は、金貨一袋だ」
意図を飲みこんだ三人が、ゆっくりと頬を緩める。
「いや、でもそれは全部私がした方がよくないか?」
気遣う言葉に、しかしアルマは頷かない。
「いい加減、俺もこの状態にはうんざりしてるんだ。どんなきっかけでもいい、フルトゥナの民には少しだけでも好意を持って貰わないとな。……お前が金貨を貸してくれればだけどさ」
決断を伺う視線を向けられて、オーリは笑う。
「あの時、君にあげるって言っただろう。渡すのがちょっと遅くなっただけだよ」
◇ ◆ ◇ ◆
イェティスは非常に事務的だった。
事情を聞き、推測を告げられるや、五名の部下を呼び立てる。
現在使える兵士たちを班分けし、砦の南側の街区を割り振り、最大限の極秘活動を強いた。
アルマからの金貨の報酬も、たっぷりと強調して。
結果、風竜王宮親衛隊の司令部へ足を踏み入れて三十分もしないうちに、彼らは報告を待つばかりとなってしまった。
廊下や練兵場で騒ぐ声が漏れてくる。
そして、青年は注意を子供たちへ向けた。
「ご苦労だった、ケルコス。傷の手当をしてきなさい。それから着替えを」
「あ、はい」
普段は彼の元で動いている少年は、背を伸ばして返事をする。
「そちらの娘は……」
もの問いたげに視線を向けられて、プリムラは首を振った。
「着替えは部屋に行かないと。あたし、ここにいたい。ペルル様がどうなってるのか判らないとか、我慢できないもの」
「しかし、最低でも一時間は何も動きはないだろう。その間に充分戻ってこれるはずだ」
「嫌」
イェティスは、判断を仰ぐようにオーリを見つめる。
「実際、ペルルがいないことを問い詰められれば、プリムラがどこまでごまかせるか判らない。ここにいて貰った方がいいだろう」
おそらく、現実的な理由よりもプリムラの心情を考えての決断に、それでも部下は頷いた。
「では、せめて服の汚れを叩いて、顔と手を洗ってきなさい。ケルコス、案内を」
はい、と答え、ケルコスとプリムラは連れ立って部屋を出て行く。
「……あのやんちゃ坊主が大人しくなったもんだな……」
感心したように、アルマが呟く。
「あの程度の子供、従えるのは簡単なことです」
飄々とイェティスが返す。
「いつかコツを教えて欲しいもんだよ」
軽口を叩く。だが、彼の神経がぴりぴりと張り詰めているのは手に取るように判った。
◇ ◆ ◇ ◆
ペルルはソファらしきものの上で、居心地悪げに身じろぎした。
目隠しをされ、手首と足首を縄で縛られている。肌に擦れて少々痛い。
馬車に乗せられて、しばらく走った辺りで下ろされた。その時にはもう身体は拘束されていたために、場所がどこかも判らない。ある建物の、二階以上の部屋だということぐらいしか。
そして一人きりで置き去りにされている。何時間経ったのかすら、判らなくなってきた頃に。
「……どうしてお前はそう身勝手なんだ! 忙しいから何だと? 私の仕事は姫巫女を見張ることじゃない!」
くぐもった怒鳴り声が耳に入る。
同じ部屋の中ではないだろう。廊下か、隣の部屋か。
「言っておくが、彼女を生かしておくのには賛成できない。さっさと首を掻き切ることを勧めておこう。……ああ、お前がお前の手の中で姫巫女をどうしようが、私の知ったことじゃない。存分に楽しむなり何なりするがいい。だが、ここに長時間置くのは止めろ。危険だ。……私を巻きこむな、と言っているんだ。こんな余計な厄介ごとに手を貸すつもりはない」
相手の声は全く聞こえない。独り言のようにも思えてしまう。
「だから何だ? ……お前の、手下だ。私のじゃない。責任を持つつもりなんて、……ああ、そりゃあお前は情に篤くていらっしゃるからな。……褒めてないぞ」
何だか楽しそうなお話をしている、と思う。少しばかり寂しくなって、ペルルは溜め息をついた。
そこで、扉が開く音が響く。そちらの方に顔を向けると、相手は小さく息を飲んだようだ。
「……一度切る。しばらくは結ばない。あ? 別に何もないさ。……どうしてお前はこういうときばっかり粘着してくるんだ? 忙しいんじゃなかったのか」
冷静だった声が、次第に苛立ちを増してくる。
「何もなければ話す必要はないだろう。……ああ、悪かったよ。とりあえず後でな」
一方的な会話を切り上げて、気配が動いた。ペルルの前に立つと、目隠しの布を外しにかかる。
閉じていた目を開いて、眩しさに瞬く。至近距離に、見覚えのある顔があった。
「ごきげんよう、エスタ。お元気でしたか?」
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