招集

 ペルルは椅子に座って物思いに耽っていた。

 砦の居室は宮殿に比べれば無骨ではあるが、それでも快適であるために最善を尽くしている。

 火竜王宮ほどではないが、水竜王宮もそれなりに清貧を旨とする。クッションが絹ではなく綿でできているからといって、不満はない。

 放り投げた時に飛距離が変わる訳でもないのだし。

 床に散らばるクッションを見つめて、プリムラが戻ってくるまでには片づけないと、と意識の片隅で考える。

 ペルルは、控えめな、大人しい少女だった。

 幼くして水竜王の高位の巫女に選ばれ、周囲の思惑に翻弄された。時にないがしろにされ、飾り物の巫女として扱われても、忍耐強く立ち振る舞った。

 カタラクタ侵攻をその身をもって止め、そして反乱軍の決起者としてつ彼女を、もう水竜王宮の者はおざなりに扱ったりはしない。

 しかし、そんなことは嬉しくなどなかった。

 アルマが、自分に婚約者がいることを話してくれていなかった。

 騙そうという意図ではないことは判っている。彼は、決してそんなことはしない。

 だが、それでは何故話してくれなかったかは、単純に話す必要がある相手ではなかったから、という以外には考えられない。

 彼にそれほどないがしろにされていた、と思うと、酷く悲しく、苦しく、そして怒りが胸を焼く。

 オーリは、諦めろ、と言っていた。

 だけど、諦めたくない、と思ってここまで彼と来ていたのに。

 彼にとって、自分はそれほど取るに足りない相手だったのか。

 俯き、幾度も湧き上がる衝動をどうすればいいか持て余している時に、扉が叩かれた。


 プリムラはいない。兵士には邪魔をしないように、とは伝えてある筈なのだが。

 どうしようか、と迷ったところで、また扉が叩かれる。

 無視することもできず、ペルルはのろのろと扉に近づいた。

「どうしました?」

「お寛ぎのところ、申し訳ありません、姫巫女。迎えの者が参っております」

「迎え?」

 今日は夜まで予定は入れていなかった筈なのだけど。

「火竜王宮より、グラナティス様の元へおいでくださいとの要請がきているようで」

「グラナティス様の?」

 何か、自分がいなくてはならない事態が起きたのだろうか。

 高位の巫女としての義務が、一瞬で彼女の意識を覚まさせる。

 だけど。

「……アルマナセル、と、オリヴィニスは?」

「別の者が呼びに行っております。が、ご一緒するには時間が」

「一緒に行く必要はありませんね。先に出発しましょう」

 きっぱりと告げて、扉を開ける。言葉を遮られた兵士が、きょとんとした顔で立っていた。



「こっちが第三厨房。午後になると、甘いパンを焼いてくれる人がいるの」

 プリムラが扉の外から中を示しながら告げる。

 小姓というのは、主に使い走りが仕事だ。居住している建物内部を知り尽くしていなくては、務まらない。

 でも、こういう情報はちょっと違うんじゃないかなぁ、と思いながら、ケルコスはプリムラについて城塞内を歩いていた。

 戦闘を考慮している城塞は、機能的ではあるが、内部は意外とごちゃごちゃしている。

 敵に侵入された際、簡単に奥まで入られないように、わざと迷いやすくしているのだ。

 しかしそれだけに慣れるには難しく、ケルコスは頭の中で必死に地図を構築していた。

 二階から一階へ降りようと階段の踊り場へ差し掛かった時だった。

「あれ」

 壁に空いた小さな窓から外を覗きこんで、ケルコスが呟く。

「どうしたの?」

「あそこ。水竜王の姫巫女様じゃないか?」

 プリムラが隣から窓を覗く。

 人気のない裏庭に、一台の馬車が停められていた。兵士に手を取られ、一人の人物が乗りこもうとしている。

 ここからは後姿しか見えないが、小柄な身体に、長い、亜麻色の髪といえば、今この城塞にはペルルしかいない。

「今日は出かけない、って言ってたのにな……」

 不思議そうに呟いて、プリムラが声を張り上げる。

「ペルル様ー! 外出なら私もご一緒します!」

 その声が届いたのだろう、きょろきょろとペルルが周囲を見回す。こちらは建物の中で、しかも階段は薄暗い。窓がもっと大きくても、外からは彼らを見つけられなかっただろう。

 ペルルが何か兵士に話しかけた。が、相手は首を振って、馬車を示す。更に口を開きかけたところで、乱暴に少女は馬車に押しこまれた。そのまま兵士も中に乗り、扉を閉める。

「ペルル様!」

「プリムラは巫子様たちに知らせて!」

 流石に只事ではない、と一瞬で判断する。プリムラに指示を出しながら、ケルコスは窓に手をかけた。

 窓、と言っても、有事に外を覗くことができるように作られただけのものだ。窓枠もガラスも嵌っていない、ただの石壁の間の隙間である。

 そこに、強引に頭から身体を突っこんだ。大人の、武装した男であれば、侵入は無理だろう。しかしまだ成長期に差し掛かってもいないケルコスは、腕に擦り傷を作りながらも何とか通り抜けられた。

 踊り場、というのが幸いして、高さはさほどでもない。城塞は階高が高いが、それでも三メートルほどだ。体勢が悪く、転がり落ちるような格好だったが、すぐにケルコスは跳ね起きた。

 馬車は、真っ直ぐこっちへと向かってくる。

 真正面に立つのは危険だ。通り過ぎる時に飛び移れないか、とタイミングを計る。

 その時。

「ケルコス、どいて!」

 頭上から声が響くと同時、影が視界をよぎる。どん、と音が響き、馬車の屋根に何かが飛び乗った。

「プリムラ!」

 思わず悲鳴を上げる。幼い少女は必死に屋根にしがみついていたが、馬車は速度を上げる一方だ。

 やがて建物の角を曲がるところで、プリムラはとうとう振り落とされた。

「怪我はない!?」

 走って追いかけていたケルコスが少女を覗きこむ。

「大丈夫。これぐらい、今までもよくやったもの」

 きつい目で馬車の行く先を見つめながら、プリムラは呟く。

「無茶だよ、走ってる馬車に飛び乗るなんて!」

 土埃に塗れてはいるが、どうやら少女に怪我はないようだ。ほっとして、ケルコスは彼女を咎めた。

「大丈夫だったら。それよりも早く、オーリとアルマに知らせないと」

 プリムラは立ち上がり、服の汚れを落すこともなく走り出す。

「……だからそうして、って言ったのに」

 呆れた顔で呟くと、ケルコスはその後を追った。

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