第141話 孤独というものの正体と

 東海道先生に案内されるがまま、彼女の私室に通される。一人暮らしで全部屋が思うがままだろうに、何を気取って「私室」なんて呼んでいるんだと思ったが、中を見ればその理由がよく分かった。


 そこは、広さで言えばリビングの半分程もない空間である。勿論、俺の部屋とは比べものにならないスケールの話ではあるが。


 部屋の奥にはテラスへ出られる大きな窓、右側の壁に沿って作業用の長机が配置されており、デスクトップ型PC、三枚ものモニター、キーボード(文字を打つ方)とキーボード(鍵盤が付いている方)。それと、なんだか俺の知らない機材がごちゃごちゃと線を繋ぎ合っていて、しばらくそのまま放置しているのだろう――うっすらと埃が被っているのが見て取れる。


 汚く書き付けた五線譜の束が崩壊して、机の下の床を覆っていた。


 さっきのリビングじゃ、せいぜい机に放置された空き缶が生活感の全てだった。が、こちらは違う。東海道先生の裏の一面とも言える、ミュージシャン的な趣味が全開ではないか。


 その他にも、くたびれた高級回転椅子の横にはエレキギター(種類は不明)、アームに取り付けられたマイクに、モニタースピーカー……かな? ギターを弾くのに使う小さいプラスチックの板は、ピックと言うんだっけ。それが、机の上から床まで玉石混淆に散乱している。目に付くものはこんなものだが、説明しようのないものはもっと床に転がっていて、足の踏み場に困る。


「……普段の先生の生活が目に浮かびます」


 多分、あの回転椅子に座りながらギターを弾いて作曲しているんだろう。作業空間と衣食の空間を別にしているから、それほど清潔感にも頓着しておらず――


 端的に言えば、汚らしい。


「べ、別にいつも掃除していないわけじゃないのよ? たまたま、先週から忙しかったものだから……」


「で、この部屋の片付けを手伝うんですね」


 まあ、ごちゃごちゃとしているが大した仕事では無さそうだ。散乱しているものは一箇所に集め、広いところから掃除機をかけ、最後に大きな物を移動して裏の埃を吸う。これで終わりじゃん。


「一応先に聞いておきますけど、俺に見られてマズいものは無いでしょうね」


「無いと思いますけれど、……」


 東海道先生は、混沌とした私室を見回して途方に暮れた。検討も付かない、ということか。


「分かりました。もしあれば、知らんふりしておくのでこっそり回収してください」


「な、無いわよ。無いと思うけれど、その際はよろしくね?」


「はい。……で、どこから手を付けましょうか」


「お待ちになって」


 静止を掛けた先生が本棚横の収納扉を開いて、俺はさらに驚いた。


 そこには小部屋のような空間が広がっていて、部屋に出ているものとは別に、多くの音楽機材が納められていたのだ。ギターっぽいものだけでもケースに入った状態で十を超える数が並んでいるようだし、ライブで音を出すのに使うアンプなどは戸棚の下を丸々埋めてしまう程。その他にも大小様々なライブ機材が……。


 幾ら趣味と言っても、目が眩む程の大金が注ぎ込まれているのは肌感で分かる。部屋に出しているギターはいわゆる普段使いだったのか。


「こりゃまた、凄いな」


 一人感嘆する俺の横で、先生は頬に手をあてて困った顔している。


 嫌な予感がした。したが、遅すぎた。


「佐竹君には、まずこれらの機材を運び出すのを手伝って欲しいのです」

  

「は、運び出す? 何で? 綺麗に収まっているものを。え?」


 異論を唱えると、両肩が掴まれる。


「わたくしの音楽趣味を、母に知られるわけにはいかないからよ……!」


「――バンドのこと言ってないんですか!?」


「当然です! 両親はわたくしのことを、有名私立高校の教職を勝ち取った優秀な一人娘だと思っているんですもの。裏でバンド活動に精を出していると知れれば、どんなことを言われるか知れません。もしかすれば、今すぐ実家に帰ってこい――だなんてこともあり得ますのよ? おお、恐ろしい……!」


「それは、由々しき事態な気がしてきました」


「気がしてきた、じゃありません! 由々しき事態なのよ、佐竹君……!」


「訂正します。由々しき事態ですね」


「そうです! そのためには、週末までにこの私室からわたくしの趣味の匂いをさっぱり消さないとなりません。手伝ってくれるわね?」


 俺は肩に掛かった先生の手を払って溜息を吐いた。


「心配しなくても、ここまで来てやっぱり帰る、なんてことは言わないですって。……でも、この収納の機材を地下に運んで、掃除して……って、一日で終わるとは思えないですよ」


「そうねえ。幸い、まだ時間はあります。佐竹君、明日明後日の予定は大丈夫?」


 俺は明日明後日の放課後に予定があるかを考えた。


 当然、無い。


 ……人間観察部の部長が何と言うのか知らないが、とにかく喫緊の用事は無い。郁のデートは、どうせ週末だし。


「大丈夫です。多分……」


「それは結構」髪を掻き上げ、腕に通していたヘアゴムで長いウェーブヘアを引っ詰めた。「さあ、早速始めましょうか!」


 *


 俺たちはまず、精神的な安定のためにデリケートな楽器類から運び始めた。東海道先生の言うことにゃケースに納めていても、物によってはちょっとした衝撃で調子を崩すのがあるらしい。一本一本を、壁にぶつけず床に置かず、丁寧に丁寧に地下の倉庫に運んでいく。


 ……その最中で、俺が部屋の鍵を開けないのが非常に不便だ、ということが発覚して暗証番号と合鍵を賜った。不用心な気はするが、合鍵は返せば良いし、暗証番号は後で変更できるんだろう。


 そんな感じで、私室からギター類がさっぱり無くなる頃には夜八時を回っているのだった。普段の部活であれば、もう一時間前には解散している。


 高級な楽器を運んでいるという緊張感で、そんなに時間が経過しているとは気付かなかった。収納には、手つかずでいる他機材が静かに運ばれるのを待っているが。


 ……こりゃ大変だ。引っ越しするときはどうするつもりなんだろう。


 万が一実家に帰る、ということになったら――きっと、これらは全て処分することになるんだろうな。第一、西原さんたちとも離れるわけだからバンドは解散せざるを得ないし。


「ふう」


 収納の小部屋で一人溜息を吐く。


 図らずも俺は「きたはいずこに」の命運を左右する仕事を仰せつかっているわけだ。責任重大だな……。


「大変、大変!」東海道先生の慌てた声が背後から近づいてきた。姿を見せた彼女は、いつの間にやら白いTシャツとスウェットという動きやすい格好に着替えている。


「佐竹君、もう八時を回っていますわ! きっとご両親が心配なさっているでしょう……」


「前にも言ったと思いますけど、両親なんて今の時間は家に居ませんし、俺が帰っていないことにも気付いてないと思いますよ。母親が夜勤で、父親は遠くに出向。普段の生活でも顔会わせること無いんですから」


 家庭事情を説明すると、先生は目尻を下げた。


「まあ。大変なご家庭なのね」

 

「別に大変ではないですけど。……ま、腹も減ってきたし。そろそろ帰りますよ」


 リビングに荷物を取りに戻って、はたと気付いた。


 今が八時ということは、作業を開始した四時頃から少なくとも三時間は経過している。時給に換算すれば九千円分の働きだ。精神と体力の消耗の割に合っているのかは知らないが、贅沢出来る金額に違いはない。


「あら、いけない。晩ご飯を食べるのも忘れていたのね、わたくしたち」


「先生も、これから食べるんですね」


「ええ、そうね……」


 その返答を皮切りに、何かが起こるのを待つような、そんな時間が俺たちの間に発生した。


 思いを馳せたのは、このまま家に帰って、一人で啜るカップラーメンの味。それと、この広いリビングで東海道先生が一人食事をする情景。


 一人に広すぎる部屋というのは、家というより施設という感じがするから不思議だ。そこに居るべき人間が他にいるのに、どうしてか自分一人が迷い込んでしまった感覚。勿論先生と俺じゃスケールが違うけど、もしかして同じような感覚は先生も感じたりするのだろうか?

 

 以前、郁の家庭で食事をした後に一人で食べた朝食が――物寂しく感じた。それが、孤独というものの正体だったのか?


 だとすれば、そういう感情を持った同士が一緒であれば、孤独は遠のくのか。


 ……俺は、それを確かめてみたくなった。


「なら……、あの……。一緒に食べませんか?」

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