第122話 イツコちゃん
ようやく一息吐いたタイミングの郁の強襲は、流石の甲塚にとっても意表を突いたものだったらしい。「わあっ!」と分かりやすい反応を見せて、ポトンと受付の椅子に座り込んでしまった。
それから、郁、俺と順番に眺めて、俺たちが何をしていたのか察したらしい。すぐさま見慣れた顰めっ面に戻ってしまった。
「あんたたち、一体何をしていたのよ!! 私に客の相手なんかさせて!!」
郁は笑いながら、教室後方に固めている椅子を引っ張ってきて受付席を増築する。隣に座られた甲塚は尚もブスッとして天井を睨み付けている……。
こう並んでしまうと、女と女の横に俺の席がある形になってしまうので、立ったままの方が居心地が良いな。
「そんなに怒らなくたって良いじゃ~ん。立派にお客さんの相手してるとこ、見守ってたんだから」
「……佐竹! 宮島はともかく、なんでアンタまで見物決め込んでるわけ!?」
突如、甲塚が怒りの矛先を俺に向けてきた。
「別に見物にして笑ってたわけじゃないぞ。大体、様子を見る限りあの人たちはお前の客じゃないか。俺たちの配慮にも気を掛けて欲しいもんだね」
「そうだそうだ!」
「お前は滅茶苦茶ワクワクしてただろうが。……で、イツコちゃんっていう新キャラは誰なんだ?」
「……イツコ?」
何故か甲塚の方が分からない、という顔をする。
「さっきの爺さんが言ってただろ。『イツコちゃんによろしくね』ってさ。……生徒会の一ノ瀬と仲を深めていたのにも驚いたけど、俺が名前も知らない女子の知り合いがいるとは思わなかったぞ。一緒に取材に行ったのか?」
改めて謎のイツコちゃんについて問いただすと、スッと真っ直ぐな眼差しで俺を見つめてから、
「馬鹿じゃないの?」と怜悧かつシンプルな罵倒が飛んできた。
「……なんで、質問しただけで罵倒されるんだ……?」
「その名前とあんた達が関係なさ過ぎて、聞き違えたかと思っちゃったじゃない。私に質問をするときは具体的に聞くことを心がけなさい」
「それじゃあ、私達の知らない甲塚さんの友達ってこと?」
甲塚は面倒臭そうに頭の後ろで手を組むと、ぐっと背中を伸ばした。
「はあ……。『イツコちゃん』ってのは私のお祖母ちゃんのこと」
「……お祖母ちゃん!?」
甲塚のお祖母ちゃんというと――シンドウ理事長!? 新キャラなんてとんでもない。甲塚の謎を握る超重要人物の名前が、なんでこんなところでちゃん付けされているんだ。
「へ~。あのおじさんたち、甲塚さんのお祖母ちゃんと知り合いなんだ」
衝撃を受けている俺をヨソに郁は純朴な反応で質問を掘り下げている。当然だ。彼女は甲塚のお祖母ちゃんがこの学校の理事長だなんて知らないだろうし、甲塚の父親であるシンドウ先生が失踪したことなんぞ、もっと知らないだろう。
「そうゆうこと。若い連中が運営するボランティアサークルなんて、一体何を考えて働いているのか分からないし、闇深そうで怖いでしょ。だからお祖母ちゃんの伝手であの人たちに取材させて貰ったってわけ」
「偏見に溢れてる気がするけど……。なるほど、そういうことかあ。あ~あ。私はてっきり、謎に包まれた第四の部員『イツコちゃん』が人間観察部に加入していたのかと思ったよ」
「現実はアニメみたいに愉快な出来事で溢れかえってるわけじゃない。このつまらない学園生活は地平線まで退屈な大地が拡がっているのよ」
「それ、人間観察部立ち上げた甲塚さんが言うことじゃないよね」
郁が突っ込むと、二人はそれきり「あ~あ」と気怠げな調子で、会話を終えようとしてしまう。
「あっ、おっ、お祖母ちゃんと仲良いんだな!!」
慌てて口を挟むと、二人が変な顔で立ったままの俺を見つめる。
「……何? 急に」
この部室で、甲塚の口からシンドウ理事長の話が出ることなんて滅多に無い。甲塚の秘密を探るのに、これほど格好な機会はないだろう。
逃すわけにはいかない。
「え。いや、……仲、良いんだなーって。甲塚の口から家族の話が出るの珍しいだろ?」
「は? 言い出したのはあんた達でしょ?」
「あ、あれ。そうだっけ……」
「でも、確かに甲塚さんのお祖母ちゃんって気になるかも」
「何よ、宮島まで急に……。私のお祖母ちゃんのことなんて、あんたたちが聞いてなんの得があるわけ?」
おおっ。良い感じに郁が食いついてくれたぞ。こういう時は、郁の無闇な好奇心がありがたいんだ。
「だって、近場のボランティアサークルを紹介してくれたんでしょ? ということは、お祖母ちゃんもこの辺りに住んでるってことだよね。一緒に住んでるの? どんな人なの?……そうだ! 今日は人間観察部に来たりしないの?」
ちょっ――
郁のやつ、ホップステップジャンプで絶妙に地雷っぽい質問を全部踏み抜きやがった。
額に浮かんだ冷や汗を、慌てて袖で拭う。
しかし、郁が甲塚の家庭について一切の事情を知らないのは重要なポイントだ。既に色々探りを入れている俺には、あんな純粋な瞳で尋ねることはできないだろう。
甲塚は、どう答えるか……。
平静を装って甲塚の表情を見ると、特段まずいことを聞かれたような顔はしていない。さっきまでの気怠げな雰囲気をそのままに、眼を細めて面倒臭そうに口を開く。
「お祖母ちゃんとは一緒に暮らしていない。けど、近場に住んでいるのはそう。仲も、まあ悪く無いかな……?」
「ええ? あんまり会ったりしないの? 近くに住んでるのに」
「会うわよ。あんたたちだって、お祖母ちゃんとの仲がどうとか聞かれても困るでしょ。――そうね。私が頼み事をすれば快く快諾してくれる人ではあるし、品行方正には厳しいけど、その分周りから尊敬される人ではある、かな」
「品行方正に厳しいんならなんでそんな見てくれのお前に優しいんだ」――という言葉は、寸でのところで呑み込んだ。今は彼女の話を黙って聞いた方が良いだろう。
「うちの展示は見に来ないと思う。あの人忙しいし――こういうの、あまり興味ないと思うから」
「えーっ? 私、甲塚さんのお祖母ちゃんと話して見たかったなあ」
「人のお祖母ちゃんと話してどうすんのよ。……ま、でもそのうち紹介する機会はあるかもね」
……ここまでの話を聞いて、分かったことが一つある。
それは、甲塚は理事長にはさほど悪い感情を抱いていない、ということ。
理事長と言えば、俺の認識が間違っていなければ学校の裏のボスだ。学校生活を破壊しようとしている甲塚が、そんな裏のボスに対して怒りを抱いていないというのは意外な事実じゃないか。
俺の想像だが、甲塚はお祖母ちゃんが桜庭の理事長だからということで半ば無理矢理にこの高校へ入学させられた可能性が高い。その推測から、俺はてっきり甲塚は家族全員と不仲なのだと思っていた、けど……。
甲塚は、シンドウ理事長を恨んでいない。だとすれば、恨みの矛先は――別の高校で教師をしているという母親か。それとも失踪した父親か。
「……そうそう。そういえば、あんたたち午後から用事ある?」
「ん?」
甲塚が俺たちの用事を聞いてくるときは、大抵碌でもないことが起こる気がする。身構えて返事をすると、彼女の口から意外な提案が出てきた。
「学祭の打ち上げよ。どうせ暇なんでしょ」
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