第120話 残念なハンサム

 明くる朝、自室で眼を覚ますと、ちゃちゃっと身支度を済ませていつもの時間に外へ出た。


 今日は学祭二日目の土曜日。クラスの用事も特に任されていない俺は、実は朝に登校する必要なんかないのだった。しかし、郁と喋るチャンスといえばこのタイミングしか思いつかないわけで。


 郁はいつものように家の前の路上に立っていた。悪化した関係で、もう帰りは別だと言うのに朝はこうなのだから不思議だ。思えば今年の夏頃に郁との仲が復興してからは、まず朝の登校を合わせることから始まって、同じ部活に入り、帰り道を共にするようになったんだ。


 謂わば、この習慣は俺と郁の関係性からあれやこれやを抜きにして、最後に残るラインなんだろう。


 ……それは、逆に言えばまだ希望はあるってことだよな?


「おはよう。郁」


「うん。おはよ」


 声を掛けると、割にあっさり挨拶を返してくる。


 まあ、ここまではいつも通り。問題はこの後で、会話らしい会話がヤマガク学祭以来一切無いということなんだよな。


 ……喋らねば。俺の方から。


「あ、あのさ」


「ねえ」


「……」


 のっけからしゃべり出しが被ってしまった。どうして今日に限って彼女の方から話を振ってくるんだ。


「なんだよ」


「れ、蓮の方こそ。何か話があるんでしょ?」


「いや、俺の方は大したことじゃないんだけど」


「別に私も……そっちから話してよ。若干私より早かったし」


「あ、そう。昨日、校舎裏のテントで俺たち目合ったよな」


「昼?」


「そう。で、俺が汚したテーブル、掃除してくれたのって郁なのか?」

 

「そうだよ。小さな子がわたわたしていたから、助けてあげたってだけだけど」


「千里な……絵画教室の知り合いだよ。でも、そうか。悪かったな」


「……あっははははは!」


 突然郁が爆笑し始めるので、俺はびくりと驚いてしまった。……郁のテンションって、高度差が激しいんだよな。そして、所によっては予測不能でもある。

 

「な、なに笑ってんだよ」


「だって、……あはは! 鼻血出す瞬間の顔思い出しちゃって……ふふふふ。真顔の蓮の鼻から、赤いのがトローって……」


 言われて、郁が笑っている光景が目に浮かんだ。人間が鼻血を出す瞬間っていうのは意外と見難いものなのかもしれない。陰キャの間抜けな様子はデート中の会話に一花咲かせただろう。


 そう考えたら、気分がすんと落ち込んできた。


「はあ……。なんだよ。どうせショウタロウとの間でも俺の顔をネタに笑ったりしたんだろうな」


「ん? 臼井君?」


 郁は濡れた目尻を擦りながら聞き返してきた。


「昨日、ショウタロウとデートしてたんだろ?」


「あ~……。うーん……まあ、デートと言えば、デート?」


「随分歯切れが悪いな。昨日の様子を見る限り、結構満喫していたように見えたけど」


「蓮は、そんな私を見て鼻血出しちゃったわけだ。ふっふふふ」


 未だに郁が喉を震わせているので、呆れてしまった。こいつのツボって鼻血を垂らすような昭和の笑いにあるのだろうか。


「もういい加減にしろよ。……で? 昨日ショウタロウと学祭を回ってどうだった? 楽しかったか?」


「あ~、う~ん……」郁は視線を泳がせながら言葉を探しているようだ。「学祭を回ると言ってもなあ。確かに、臼井君と一緒にあちこち歩いたりはしたけど、歩いただけと言うか……」


「――うん?」


「だって、臼井君の方から誘ってきたんだから行きたい場所があるのかな、って思ったら特に無いって言うし。だったら目に付いたお化け屋敷行く? って聞いたら『そういうの苦手なんだよね』って断られるし。メイド喫茶は『恥ずかしい』って言うし」


「ええ……」


「で、結局お腹空いたね、って話からようやく外の出店で食べたりできたけど、その後も地味な展示を見ては校内をうろうろして……で、ようやく花火大会が始まったと思ったらどっか行っちゃうし。……これ、デートって言っていいのかな?」

 

 ――ショウタロウ。


 ショウタロウ君よお……。


 思わず俺は頭を抱えてしまう。「彼女いない歴イコール年齢」というあいつの言葉を俺は話半分に流していたが、いくら何でもこれは深刻すぎる。女子を誘っておいて、華のある展示を悉くスルーするとは……。


「それは……どうなんだろうな。俺もデートの経験は無いからコメントのしようがないんだけど」


 突然、郁が二の腕を抓ってきた。一瞬血の気が引いたが、殆ど摘まむくらいの力なので痛くは無い。彼女が本気を出せば肉を捻じ切るくらいはするはずだ……。


「嘘つき。蓮は飯島ちゃんとデートしてたでしょ。ヤマガクの学祭と……私が行きたいって言ってたとこ。そうやって無かったことみたいに言うの、飯島ちゃんが傷つくよ」


「傷つかないよ。事実、あれはデートじゃないんだから。あくまで美取から話を聞き出すためで――というのと、オフ会がてらちょっとそこら辺を歩こう、ってなっただけなんだって。……行き先についてはマジでごめん。咄嗟のことで、男女で行くとこが思いつかなかった」


 郁の指がふっと離れる。だが、細めた横目で俺を睨んだままだ。もうこうなると俺がどう説明しようと信じない、という感じだろうな。


 ――と、そんなことを話しているともう校門前の大通りに出てしまった。


 ゴオウとトラックの忙しく走る音で気付いたが、思えばもう十一月も後半。師走も走る大忙しの十二月は目前なのだ。


 甲塚は、人間観察部の役割は八割方終えていると言った。ショウタロウの秘密の、検討が付いたとも。だとしても、今年中に決着が付くかどうか……それに、甲塚の方にも気になることがある。


 ショウタロウの秘密、甲塚の秘密、人間観察部の行く末に郁との仲か。


 こんなに問題を抱えてしまって、平穏な年末なんか迎えられるのかよ。


 暫く黙って歩いてから、風化しかけた話題に郁が噛みついてきた。


「あくまで、デートじゃないと、言い張るわけだ」


 平坦な声で、何処となく俺を責める風にそう呟く。


 俺はこっそりと長い息を吐いた。郁も郁で結構変なとこで頑固なんだ。


「まあ、デートだのなんだのは置いといて、ショウタロウが花火大会で姿を消したことは許してやって欲しいな。色々、あいつなりの考えがあってのことなんだから」

 

「何で蓮がそんなこと知ってるわけ?」


「こっちはこっちで色々あったんだよ。それで、そっちの話は?」


「……ああ。昨日の花火どこで見てたのかなって」全然疑問が消化できていない郁は、固い表情のまま答える。「全然見かけなかった気がしたんだけど」


「部室だよ。グラウンドから抜け出して」


「部室? 何で部室?」


「ショウタロウに呼び出されたんだ。大した話じゃなかったけどな。その後はグラウンドに戻るのも面倒なんで、部室から花火を見ていた。……そうそう。あそこ、結構花火を見るのに良いんだぞ」


「ふ~ん。臼井君が、蓮にねえ。二人とも、仲が良いのか良くないのかよく分かんないんだけど」


「お前の方こそ、ショウタロウとはどうなんだよ」


 さっきの話を混ぜっ返すと、分かりやすく困った顔になる。


「分かんないよ。臼井君って話した感じは良いんだけど、いざ遊んでみるとつかみ所が無いというか……趣味も好きな食べ物もよく分かんないし。また遊ぶ約束しちゃったけど、結構不安なんだよね」


「ああだこうだ言っても、デートの約束は付けてんじゃん」


 俺は内心舌打ちをしながら言った。


 ところが、郁は渋い顔でとんでもないことを言い出すのだ。


「うーん。昨日は流れでオーケーしちゃったけど、やっぱり断ろうかなって思ってる」


「……は!?」

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