第119話 破滅の運命

「つまり、甲塚少女は知らず知らずのうちに本業を尾行していたってことなんだな。バレなかったのか?」


「くくく。バレないわよ。あんたも経験している通り、尾行している人間を尾行するのってすっごく簡単なの。私は、その男がカップルを撮影するところまで見たんだからね」


 俺が郁と一緒に東海道先生の秘密を探っていたときは、丁度そんな具合で尾行しているところを甲塚に尾行されていたのだ。あの時は、たまたま俺が甲塚の変装(?)を見破ったような形で尾行に気付くことができたが、これが赤の他人だとすれば話は別になるだろう。


 なるほどな。


 小学六年生の時点で、スクランブル交差点の人混みから探偵を見分ける程の観察力がある甲塚であれば、将来の希望が探偵というのは結構現実的なプランなのかもしれない。


 ……問題は、コミュニケーションに難があることか。


「確かに面白い話だけど、観察するならともかく人を尾行するなんて趣味は止した方が良いと思うぞ。お前は気付かれない自信があるかもしれないけど、女子がホテル街をうろつくっていうのがそもそも危ないだろ」


「心配は結構。私が他人を尾行なんてするときはよっぽどのことだもの。今までせいぜい三、四回くらいかな」


「よっぽどのことって?」


「……それは、よっぽどのこと」


 ……ん?


 相槌代わりの何気ない質問だったが、何故か甲塚の喉元を引っかけた感触がある。


 考えてもみれば、普通の女の子がわざわざスクランブル交差点まで出張って人を観察しようと思いつくのも突拍子の無い話ではあるのだった。何故、甲塚少女はそんなことをしようと思ったのか。


「……」


 甲塚が尾行した探偵は、カップルを尾行する三十代、男。


 三十代、男なのか。


 考え事をしていると、花火が打ち上がるテンポが上がった。そろそろフィナーレだ。


 ……そうそう。花火と甲塚の話に夢中になっていたけど、俺には聞いておかなければならないことがあるんだった。


「ところで、さっきのショウタロウとの話は聞いていたな?」


「もちろん。告白の件に関しては大体あんたと同意見」甲塚は指先で唇の端を撫でながら言う。「理想を言えば色々あるけど、まあ私もデートの回数よりは時期を意識して欲しい方かな。ただし、いきなり告白は絶対ナシ!」


 うっ。


「やっぱりダメなのか、いきなりは……って、違う違う」

 

「ん?」


「告白どうこうじゃなくって、もっと前の話!――おい」


 俺は肘で甲塚の脇腹を突いた。


「ショウタロウのやつ、郁のこと好きなんだぜ」


「そんなこと知ってるわよ。……いや、知ってるというか、大前提でしょ。宮島が臼井のLINEを無視した。そこからこの話は始まっているわけだし」


 甲塚が脇腹を迷惑そうに撫でながら呻くので、俺はまたも「うっ」とたじろいでしまった。女子ってのは、どうしてこうも恋愛に淡泊でいられるのだろうか。客観的に見て好意を察するのと、「あの子が好きだ」と自分で告白するのとは全く別のことだというのに。


「いや……あの……でも! あの眠れる巨人だったショウタロウが、いよいよ宮島に告白するとまで宣言したんだ! お前はショック受けたりしないわけ?」


 俺の熱量を微塵も気にせず、蝿をを払うように手を振る


「別にショックなんか受けないわよ。佐竹と美取の仲が勘ぐられるっていうのはSNSでバズった時点で予想はしてたし、宮島の相席が空席になったと勘違いした臼井が行動を起こすのも織り込み済み。すっごーく自然な流れよ」


「な、なんだよ……それじゃあ結局甲塚の掌の上ってわけなのか?」

 

「そういうわけでもないけどさ。……強いて言えば、こんなに私に都合良く展開することに驚いてはいるけど。私が意図したことなんて、佐竹を部活に引き込んだくらいでしょ。それでアンタの幼馴染みがおまけでくっ付いてきたと思ったら、その幼馴染みが臼井の気を引いているっていうんだもの。あんたと飯島美取のことにも驚いたけど、こうなってくるといよいよ運命っていうものの存在を信じそうになる」


「運命。……それじゃあお前は、郁とショウタロウがくっ付けば良いと思ってるわけ?」


「くくく。佐竹、あんたは――」


 甲塚は一旦言葉を切って、唇をむごむごと動かしてから続けた。


「宮島のことが、好きなのね」


「……はっ!?」


 俺は驚きのあまり、花火を見るのも忘れて甲塚を数秒見つめた。


「何でそうなるんだ?」


「自分の好きな女子が、学校一のイケメンに告白される。だからあんたは動揺しているんでしょ」


「それは違う。……いや、そうなんだけど、違う。郁は幼馴染みだからさ」


「あんた達は、何かとあっちゃその『幼馴染み』っていう言葉を連発するけど、私からすればイコール『友達以上恋人未満』よ。別に恥ずかしがって否定することじゃないでしょう。それに、人間観察部にとっても宮島と臼井が付き合うことは悪いことじゃない。臼井が特定の恋人を作ることで学校が大きくざわめくことは確かだけど、相手が身内ということなら奴の弱みを探ることなんて思いのままだしね」


 ……どうやら、甲塚は郁とショウタロウの仲が進展することを歓迎しているらしい。


 何故だか俺は、物凄くがっかりしてしまった。甲塚の態度にも、甲塚の言う運命ってやつにも。


 二人が付き合ったとして、郁に幸せな未来が待っているとは、どうしても思えない。だったら――という言葉から始まる代案を出せないことも、俺には歯がゆい。

 

「くくくっ。しょげてるしょげてる」


「うるさいなっ!……でも、お前の言うとおりかも知れない。賛成はしないけど、納得はできる……。くそっ! じゃあ、なんだ!? 俺たちは諸手を挙げて二人が付き合うのを万歳斉唱でもすれば良いわけ!?」


 甲塚はゆるりと腕を組んで、ゆとりのある表情を見せた。


「ま、私はどっちでも良いんだけどね」


 またとんでもないことを言い出すので、煮詰まってきた頭がまた激しく泡立ってしまう。


「どっちでも、良い!?……って、え? どゆこと?」


「だから言葉の通り。どっちでも良いのよ、私にとっては。宮島と臼井が付き合うのでも付き合わないのでも、どっちでも良い」


「……あの、まじで意味が分からないんだけど……。さっきは郁とショウタロウが付き合った方が人間観察部にとっては得って言ったよな?」


「言ったわね」


 俺は激しく顔を擦って息を吐いた。


「頼むから説明してくれ……。もうさっきから頭を使いすぎて……」


「説明しても良いけど。先に私が種を明かしたら佐竹の決断にバイアスが掛かりそうだから止しとく。だから、あんたが先に決めなさい。あんたがどうしたいか」


「俺がどうしたいかって?」


「臼井の恋を応援するのか、邪魔するのか。あんたはどうしたいの」


「そっ、その二択!?」


「当然でしょ。応援をするのが嫌というなら、邪魔をするに決まってるじゃない。世間に中立の立場というのは存在しないのよ。で、どうなの?」


「……」


 俺が、俺たちがショウタロウと郁の仲を応援する? 邪魔する?


 甲塚は天使なのか悪魔なのか……人間観察部の部長が言うことだ。どちらを選択するにしても、とてつもないやり口で行動を起こすに違いない。


 ……まあ、俺の腹は決まっているんだけど。


「邪魔したい、かな」


「ん~? 何ですってえ~?」


 にやついた甲塚の顔が眼前に迫ってきた。こいつは、全く……。


「じゃ、邪魔したい、です。はい。俺は郁とショウタロウの仲を――邪魔したいんだけど」


 菩薩のような笑顔に切り替わると、慈しみ深く俺の頭を撫でてくる。女子どころか誰かに撫でられるという経験は殆ど無いので、なんだか多幸感に包まれてしまった。……これって、一種のプレイとかじゃないよな?


「よく言えました。それでこそ人間観察部!」


「大切なものを決定的に失った気がする」


「偉い偉い。私もあの臼井って男がいけ好かないと思っていたのよ。奴に宮島の心を奪われるのは癪だし、あんたもあいつの邪魔をしたいってんなら丁度良いじゃない」


 甲塚の優しげな手を払って首を回した。


「んだよ。お前も結局こっち側? だったら、俺を余計に悩ますなよな」


「だって、いっつも私の計画にあんたを巻き込んでばかりだし。たまには私が佐竹の思いつきに乗るのも悪くないでしょ。これで私とあんたは共、犯」


 気付けば、俺が悩んでいる間に花火は終わっていたらしい。今真っ暗な部室に立っているのは暗闇を気にしない二人である。夜は、俺たちと同じ匂いがする。


「それで、どうしてお前はショウタロウと郁の仲に拘らない。人間観察部にとって得なのは付き合うことなんだろ?」


「……」


 甲塚は、暗闇に戻った窓から離れて教室を出て行こうとした。自然と彼女に付いて、闇に包まれた廊下を正門へ歩き始める。


「簡単な話。人間観察部の役割は、もう殆ど終えているから」


「えっ?」


「確かに宮島が臼井と付き合えば秘密を探るには良いかもしれない。……けれど、既に臼井の秘密を掴んでいる場合は意味がない、でしょ?」


 不意に足の力が抜けて、歩き続ける甲塚をよそに立ち止まってしまう。数歩進んでから彼女が振り向いたので、ぐっと力を入れて追いついた。


「――まさか!」


「臼井の秘密、分かったかも知れない」


 再び歩き出そうとする甲塚の腕を掴んで止めた。甲塚はさして不快に思った風でも無く、言い聞かせるような口調で説明を続ける。


「あんたたちのさっきの会話でね。それに、私の推測が正しければ臼井が宮島と付き合おうと付き合わなかろうと、もうじきボロを出す筈よ」


「ほ、ほんとう、なのか……?」


 急に喉から水分が消えて、ざらついた声で俺は呻いた。


「さっき、私は『運命』という言葉を使ったけど――多分佐竹が想像しているような幸運のフォーチュンとは違うのよ。私が言っているのは、臼井の破滅の運命なんだから」


 くっくく――


 甲塚の不気味な笑い声は、悪意の底のような校舎に小さく響いた。

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