第118話 はじめてのびこう
甲塚は受付の席を窓辺に引っ張ってくると、ドスンとエラそうに座った。もう一つ目の前の空にバチバチと花火が上がると、満足そうに鼻から息を吐く。
「見なさい。これぞ人間観察部の特権ってものよ! 佐竹も、うちの部に入って良かったでしょ」
「恩着せがましく言ってるけど、別に俺を誘ってくれたわけじゃないよな。……それに、下から見上げる花火っていうのも乙なもんだと思うけど」
「分かってないわね。平場で見る花火よりも、上から見る方が間抜けな連中の顔を見渡せるでしょ」
「はあ……」
甲塚に言われてグラウンドを見下ろすと、確かに夜空を見上げる連中の顔が、花火が光る度にぼんやりと見える。
「なんというか、お前は生涯独身でも楽しく暮らしそうだな」
「なんとでも言いなさい。一人は慣れているんだから」
甲塚も立ち上がって、俺の隣からグラウンドを見下ろす。
「それに、こういう人間の見方が一番色んなことが分かるんだから。……あ、ほら。例えばあの男」
そう言って指差すのは、集団から少し離れた位置に立っている男子生徒だ。辛うじて男と分かるくらいで、何年何組の誰かとかは検討が付かない。
「どうも、あっちの女子に気があるみたい。花火そっちのけで、視線を飛ばしているのが見えるでしょ」
言われて見ると、本当にその通りだった。男子生徒の顔が向いている方向に立っている女子は一人では無い、隣に誰か立っている。
「けど、報われない恋をしている。群れから外れて立っている男女は大体カップルが出来上がっているからね」
なるほど。
「よくもまあ、こんな神様みたいな視点で下界のことに一々考えが及ぶな」
皮肉交じりに褒めると、甲塚は意外にも素直に笑ってチッチと舌を鳴らした。
「私が本気を出せばこんなものじゃないよ。人が集団になって集まると、一人一人のカーストから性格までハッキリ分かる。分かりやすいところで言えば、ほら」
次に甲塚が指差したのは、人口密度が高い辺りの中心だった。俺の目からは、せいぜい女子比率が高いらしい、ということしか分からない。
「見えない? あれ、宮島よ」
「ええ? 郁かあ?」
「宮島よ。あいつは一見あの群衆の中に含まれているようだけど、実は違う。よく観察すれば、宮島が移動した先にじんわりと群れが動いているのが分かるでしょう。つまり、宮島があの群衆を作っているのよ。周りにいるのは宮島に近い層からカースト上位層。次に遠い層が中位層ってところかな。人の群れって言うのは、誰かが誰かの周りに集まることが端まで続いているのよ」
そう言われると、そんな気がしてきた。
「お前、随分視力良いな……」
俺は本気で感心して呻いた。
「それはそうよ。佐竹みたいに日柄一日中エッチな絵を見て過ごしてるわけじゃないし」
「それを言うならお前だって、部活の間はずっとパソコンの画面を……いや、そういえば休日にスクランブル交差点を見に行くのが趣味なんだっけ?」
そんな情報を思い出して笑ってしまった。観光客が渋谷に来てまずやるようなことを、休日にやる女なんだった。甲塚は。
甲塚は笑う俺を一睨みすると、ばつが悪そうに呟く。
「趣味って言われると……何か気分悪いんだけど」
「ははは。悪い悪い。すけべな絵を描いている俺が笑うようなことじゃないか」
「大体渋谷に行くのは趣味というか、ライフワークみたいなものだし。別にそれが愉快だからやってるってんじゃないの。習慣なんだから、やらないと落ち着かないのよ」
「そういうものか? 楽しくないってんなら、家でゲームをするとか、誰かと遊びに行くとか色々すれば良いのに」
「佐竹はそうしている?」
「……いや、しないけどな」
見事な言い返しをすると、甲塚は満足そうに鼻で笑った。
それから少しの間、花火を見たり人を見下ろしたりしていると、「あっ」と思い出したように甲塚が喋り出した。
「でも、面白くないこともないかも。毎週スクランブル交差点を見下ろしていると、異常な行動をしている人がすぐに分かるのよ」
「……それはまた。人間ウォッチャーの境地ってやつか」
「あれは確か、小学校六年生の頃のことなんだけどね――」
「ちょっと待て」エピソードトークに入ろうとしていた甲塚を慌てて止める。「小六だって? 小さい頃からそんな習慣があったのか?」
「そうよ。流石に、その頃の私は人間のどこを観察するかとか、勝手がよく分かって無かったと思うけどね」
……マジかよ。
この世代で、俺という男は結構変人の部類に入ると思っていたが……小学生の頃から人間観察を習慣としている甲塚には負けるかも知れない。ナチュラルボーンの人間ウォッチャーというわけだ。
「……まあいいや。それで?」
「渋谷のスクランブル交差点って、混沌としているように見えて案外人間の動きは決まり切っているのよ。知ってた? 例えば、大抵の人間は交差点中央まで来て引き返したりしないし、毎日同じ方向に歩く人間はやっぱり同じ方向にしか行かない。こう……」甲塚は腕を交差させて、難しいことを説明しようとしている。「異なるベクトルの人の動きが、何本も重なっているだけなのよ。それが中央に向かって密集しているから、混沌しているように見えるわけ」
俺は頭の中で、交差点の上を貫く複数本の矢印を想像した。そういう大きな流れを意識して見れば、異常な動きをしている人間は見つけやすいのかも知れない。
「そういうものか。たしかに、あんまり交差点で急に方向転換することってあまり無いかもな」
「そうでしょ。つまり、あの交差点を観察するにはその人の流れを俯瞰して見ないといけない。……あの日、私が見つけたのは、とある男女を尾行しているらしい三十代くらいの男だった。その男が妙に思ったのは、まさしく交差点で方向を転換することを繰り返したりしていたからなの」
「……なんだ、面白い話ってストーカーを見つけたって話か」
「それがね。別の日の交差点でもその妙な男を見かけることがあったんだけど、いつも違う男女を尾行しているようなのよ。普通のストーカーだったら同じ人間を尾ける筈でしょ? しかも、あるときは若い男女。またあるときは四、五十くらいのカップルを追いかけていることもある。不思議だと思わない?」
「うーん」
三十代の男……。あるときは若いカップル、あるときは壮年のカップルを追跡しているストーカー? どういうことだろう。
俺は結構話にのめり込んで考えてしまった。
「尾行が趣味の人間――ってのは違うよな。というか、流石にそれ答え分からなくないか?」
「分かるわよ。確かめたから」
「確かめた!?」
「尾行したの。その男を見た数度目の渋谷で、奴を待ち構えていたのよ」
ええ……。
甲塚という女の子は、小学生の頃から俺を驚かせるために生きていたのか? 普通、知らない男を尾行しようなんて発想にはならないだろ。
しかも、一人ぼっちで。
「どこから現れる可能性が高いのかは、いつもの観察で大体分かっていた。交差点に入るちょっと前の通りで奴を見つけた時は流石にドキドキしたわね。……ただ、上から見るのと下から見るのとじゃ、まるで違うってこともその時始めて知ってね。不審な動きをしている筈なのに、同じ目線だと全然違和感が無いのよ。尾行するのに苦労したわ」
あの人混みの中で観察に尾行とくれば、今の甲塚の密偵スキルというのはその辺りから鍛えられていたんだろう。奇妙な習慣であっても、数年やっていれば何某かの役には立つということか。
「……それで、ストーカー男の正体は突き止めたんだな?」
「まあね」甲塚は目の前で開いた花火を、素直に瞳に映して笑う。「くくく。何だったと思う?」
「ここでクイズかよ。……分からん。ヒントは?」
「そうねえ。その時奴が尾行していた人間はやっぱりカップルだった。で、見下ろす視点じゃ交差点の後の動向は知らなかったんだけど、道玄坂の方面に向かっていたのよ」
「道玄坂……」
そこら辺は、普段行かないエリアだ。道玄坂というのは渋谷の中でも治安の悪さで知られていて、子供の立ち寄らない夜の街でもある。カップルがそこら辺に向かっていたとするとまず想像するのは――
「ホテルか?」
「正解。カップルの向かう先は渋谷のホテル街だった。ということは?」
不審な男はホテル街に向かう様々なカップルを追跡していた。……そういうことか。
「探偵、だったんだな。男が何組ものカップルを尾行していたのは、それが浮気調査だったからなんだ」
甲塚は人差し指を突き立てる。
「正、解」
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