待ちわびる人-05
* * * * * * * * *
「ど、どこへ連れて行く気だ! あ、アイーイェで罰を受けるんじゃないのか!?」
「アイーイェは屠殺場じゃないけんね」
『貴様の断末魔を、無関係な幼き者に聞かせる訳にもいかぬだろう』
「い、嫌だ、許してくれ! 俺にだって更生の機会をくれてもいいじゃないか!」
レオンはアイーイェを出て、裏手の裾野からそびえる山のガレ場を登っていた。男の肩の骨が折れていようとお構いなしに引きずり、とても軽快な足取りだ。
レオンの足で3時間、人族の足ならその倍はかかる峰の頂上付近で1度休憩した後は、男の片手を掴んだまま、急峻な岩場をよじ登る。
標高は2000メルテ程。アイーイェから1500メルテ程は高いが、高峰という程ではない。
ただ、ここは高緯度であり、おまけに季節は冬。打ちのめされ、引きずられ、ボロボロになった状態で過ごせる環境ではない。歩いている訳でもないのに、男の息は荒かった。
「ジェイソン、この辺りでどうかな」
『手ぬるいのではないか。反対の斜面でも滑り落ちたなら下山出来そうだが』
「うーん。あ、じゃああのちょっと窪んだところは? 片腕が動かないから、抜け出すのは難しいと思うんだ」
『人族の里を見下ろせぬのは絶望感の植え付けに足らぬが、良いだろう』
「じゃあ決まりだね」
「お、おい……こ、殺すならこんな所じゃなくても、なあ、本当に俺を殺すつもりなのか? なあ、もうこんなにボロボロにされたんだ、気は済んだだろう? あんたに人の心はないのか? なあ」
男を引きずっていたレオンの足が止まった。山頂に近い山腹の僅かな開けたガレ場は、途端に無音となる。
「何でお前みたいなヒトデナシに、人の心が分かる。人を騙して人を殺して平気で生きるならず者め、お前に人の心の何たるかを説教される筋合いはない」
「だ、だから何でテメエにこんな事をされなきゃならねえんだよ! お前は関係ねえだろ!」
『貴様がヒトデナシである事には変わりない。ヒトデナシが人として生きていくのはおかしかろう。貴様が誰にどのような扱いをされようが、貴様がつべこべ言える立場ではなかろう』
「ああ、ジェイソンの言う通り。おれは依頼を受けてならず者を始末する、それだけだ。おれは正しき者に頼まれた、そしてお前はならず者。おれがお前を始末する理由は、それで十分」
レオンに何を言おうと、男は紛うかたなき悪党だ。人は殺していないというが、殴り殺した自覚がないだけで、殴って捕らえて村に連れ帰り、放置して死なせた事も1度や2度ではない。
ジェイソンを前にして冤罪や恩赦を訴えても無駄だ。
「クソッ、何で、何で……! 集落を焼いて全員殺したんだから、復讐ならもう気が済んだだろ……」
「他のヒトデナシは関係ない。これはお前の報いだよ」
「だか……ら、って、ここまで」
「ここまで? お前は慈悲を乞う相手に何をした」
「わ、悪かった! 許してくれ!」
快晴の空の下、ガレ場の続く山道に男の声が木霊する。レオンは男を見下ろし、表情を変えることなく淡々と言葉を放った。
「自分のための言葉を謝罪とは言わない」
レオンの言葉に、男は泣き叫ぶのを止め一瞬固まった。
「お、お前だって悪者じゃないか! こうして俺を殺そうとしている! この人殺しめ!」
「悪党のことをヒトデナシと呼ぶだろう? おれはヒトじゃないものを処分しただけさ」
「い、生きてるのを殺すのは一緒のことだろ! お前は動物を殺して楽しむ下衆と一緒だ!」
「ならず者のことを、血が通っていないって言うじゃないか。血が通っていないんだから、動物じゃなくてただのナマモノだ」
「そ、そんな屁理屈……」
「つまりおれはナマモノを処分するだけ。とても喜ばれる仕事なんだ、誇りに思っているよ」
レオンは金色と青の瞳を細め、小さな牙が覗く口だけで笑みを浮かべる。金色の髪がさらりと揺れた後、汗ばんだ褐色のおでこに張り付く。
「わ、分かった! 今すぐ被害者に謝りに行く、どんな償いでもするから!」
「ではこれが済んだらそうしろ。おれは与えられた仕事を遂行する義務がある」
「じゃ、じゃあ俺が今から雇う! 今から俺が雇い主だ! ほら、幾らだ!」
「金貨幣を500枚だ。もちろん紙幣でもいい。依頼主に渡して契約破棄の伺いを立てる。お前からの慰謝料と伝えてもいい」
「そっ、そんな大金……わ、分かった! か、帰ったら必ず!」
レオンはドマとの約束を忠実に守ろうとしている。男を山岳地帯へと置き去りにするのだ。
なんとかなりそうで、絶対にどうにもならない。麓の集落という僅かな希望が見えているのに、絶対に届かない。
悪党仲間は全員報復を受け、男自身もアイーイェの者達から侮蔑の目で見られ、助けに来る者はいない。
絶望しきれず、未練が残り、ひたすら嘆く事しか出来ない。
そんな状況に追い込みたいというドマの願い通りの復讐を成し遂げるため、レオンは相応しい場所を求めてここに辿り着いた。
「帰ったら払う? ならず者の言う事を信用すると思うかい」
「必ず、必ず支払うから! 今手持ちがないのは、あんたも分かってるだろう!」
「ああ、分かっている。で? 信用に値するものを、何か1つでも態度で見せてくれたかい。可哀想な人々の懇願を、1度でも聞き入れた事があったかい」
ジェイソンが懺悔する男の襟首をくわえ、まさかの力で強引に引っ張っていく。あっという間に数十匹にも増殖し、男は抵抗も出来ない。
「あー、忘れてた。依頼主に伝えないといけないんだ。質問を1ついいか」
「な、なんだ」
「虐げた相手から復讐されて、今どんな気持ちかな。聞いてくれと依頼主から頼まれているんだ」
「はっ……?」
レオンの言葉がよほど予想外だったのか、男は口を開けたまま言葉を発せずにいる。
「特にないか。ガッカリするよ、残念だ」
「待ってくれ! 許してくれえ……」
「その旨を伝えておくよ。許されるかどうかはおれの関与するところじゃない」
男は成す術もなく泣きじゃくる。大声で許しを乞う声がどんどん遠くなっていく。
「ジェイソン、慎重にな」
レオンはジェイソンに声を掛ける。それと同時に号泣する男の姿がふと視界から消えた。
数秒滑り落ちる音が続いた後、微かな呻き声が助けを呼び始める。
「こ、殺し屋レオン! こんな事をして、タダで済むと思うなよ……」
「おれは殺し屋じゃない、始末したらならず者が勝手に死ぬだけ。さて、靴はちゃんと脱がせとるね。ジェイソン、偉い偉い。ようやった」
角張った岩や小石ばかりのガレ場を裸足で歩くのはさぞ辛い事だろう。左肩の骨は折れ、柔らかな足の裏ではガレ場に立つ事さえも難しい。
もしも高さ数メルテの窪みから這い上がれても、片腕のみに裸足。おまけに途中で上着からすり抜けて脱走しようとしたせいでコートも羽織っていない。こんな状態では歩いて下りられない。
いつの間にか2匹まで減っているジェイソンの頭を撫で、レオンがそれぞれから靴を受け取る。
言葉使いが変わり、雰囲気も穏やか。仕事モードは終わり、といったところか。
ジェイソンが1匹に戻り、レオンは元来た山道を引き返す。
「あと何人のならず者を始末せんといけんのかな」
『人族と関わる数だけ、ならず者と出会うものだ』
「なんで人族の決まりは、ならず者に従順なんやろね」
『人族の正しき心は、脆く弱いのだろう』
レオンは眼下に広がる平原を見下ろし、空を見上げた。
「……ご主人。エーテルの海、まだ遠いかもしれん」
高い峰からはるか北の海を見下ろす。北方の海は霧に覆われ、ストレイ島と思われる島は見る事が出来ない。
「何で、ご主人の故郷に近づいとるのに、何も明るくないんかな。悲しいことばっかり増えていく」
『恩人殿も同じような道を辿り、あの地の更に先まで行き着いたのだ。この程度で泣き言など口にできぬぞ』
「うん」
ジェイソンを前抱きにして、レオンは岩場を難なく下りていく。
もう男の哀れな叫びは聞こえなくなっていた。
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