待ちわびる人-03




 * * * * * * * * *




 数日降らなかった雪は、気温が低いながら日差しによってすっかり溶けていた。高い山だけが帽子のように雪を被り、谷に沿って白い雪の筋が浮き上がっている。


 復讐日和だと努めて明るく語るドマは、大人1人を背負って颯爽と走るレオンによって、積年の恨みを果たせると意気込む。

 足場は岩と石、こげ茶のボロボロと崩れやすい土で歩きやすくはない。この調子ならもうすぐ追いつく。


 レオンがそう言った時、はるか前方に人影が見えた。


「見えた」


『吾輩にも見せてくれぬか」


 ジェイソンの視点では遠くまで見渡せない。ジェイソンはレオンの体に駆け上がり、腕に抱かれた状態でしっかりと先を見据えた。

 豆粒どころか、胡麻粒よりも小さなものが歩いている。ドマには全く見えていない。


『ほう、一晩ゆっくり休んだおかげか、随分と軽快に歩いておるな。山羊を1頭連れておるが、売ったのか』


「ああ、今回も売った。儂は今までそれが目的だと思っておった。それにしても、猫の視力であれば色の判別も出来ず、はるか遠くまで見えるわけでもないと思ったが」


『吾輩を畜生と一緒にするな』


「そういえば、ジェイソン大きくなったよね。なんか重くなった」


『フン。今に2本足で立てばレオンを追い越す程になろう』


「肩に乗れなくなるね」


 復讐に行くとは思えない程に和やかな会話。確かにレオンだけでなく、ジェイソンも成長している。気付けばもう肩に乗って可愛いと言われる大きさではない。


「どうやって成敗するんだ」


「んー、どうしたい? 依頼人の要望は聞くよ」


「わ、儂は……依頼料を払える程の蓄えはない。そうだ、山羊を全部渡してもいい! あいつをどうか、絶望の底に突き落として欲しい!」


「絶望の底?」


「自分の努力次第で助かりそうだが、ギリギリのところで絶対に助からない。見捨てられ、侮蔑の目線を向けられ、己の怒りと後悔をどこにもぶつけられない、そんな最期を」


「わかった、それでいこう。ちょっと殴るけど大丈夫?」


 ドマを背負う時にどうするか悩み、結局右手に持っている山形鋼。レオンはティアからの物騒なプレゼントを嬉しそうに振る。


「依頼の達成手段は任せる。本当は誰に何を言われようが儂の手で殺したいところだが」


「被害者じゃないひとがやり返すのは、いろいろ問題あるみたいやけんね。おれが代わりにする、大丈夫。それと」


 レオンは速度を落とし、足音で気付かれないよう立ち止まった。


「おれ、ドマさんからは何ももらわんよ。始末屋は被害者じゃくて加害者から報酬分を奪い取る」


『貴様はもう十分に傷つき、悲しみを貯め込んだ。その解決の為に更に金品を奪われては損しかないではないか。加害者が払うのが筋というもの』


「……会った事はなかったが、成程。獣人族が畏れられ、正義の代行人と崇められる理由が分かった気がするよ」


 レオンは少し考え込んだ後、悪党に追いつくのはスヴロイの集落跡を目視できる地点に着いてからと決めた。


 ここではスヴロイにもアイーイェにも遠過ぎる。かと言って近過ぎてもまずい。スヴロイの状況を把握された後、更に南下などされては追うのが大変になるからだ。


 レオン達は適度に休憩を取りつつ、悪党が気付かない距離を保って後を付ける事になった。


 レオンは4日と半日で追い付き、そこから更に1日。悪党がドマの集落を出て8日。

 火を使えば見つかるかもしれず、着込む事で寒さを乗り越えた夜が過ぎると、とうとうスヴロイのある小さな半島が見えた。


 レオン達は悪党と500メルテ程の距離を保って歩いていたが、そろそろ頃合いだ。


「あいつが連れてる山羊が気付き始めてる。ドマさん、ちょっと手前で下ろすけん、そこからゆっくり付いてきて」


『吾輩が傍におれば獣を恐れる必要はない』


 レオンは再びドマを背負うと、今までよりももっと速度を上げて走り出した。それにピッタリとついて走る事が出来るジェイソンもなかなかのものだ。


 足音に気付いた山羊が振り向き、そわそわとし出したところで、ついに前を行く悪党がレオン達へと振り返った。

 まだ数百メルテあるため、一瞬で分かったわけではない。野生動物、特に肉の味を覚えた熊であれば、どこまでも執拗に追ってくる。


 悪党は山羊を強引に引っ張り、速足でなだらかな坂を下り始めた。しかし、後方の動きは気になるのか、何度も振り返る。

 そのうち、とうとうそれが人だと判明し、悪党は足を止めてレオンを待った。


「ドマさん」


「ああ!」


 レオンはドマを下して、男に近づいた。スヴロイはもう目と鼻の先。悪党はまだスヴロイが廃村になった事に気付いていない。


 ジェイソンの分身を連れ、数百メルテの距離をあっという間に詰めた後、レオンはわざと息を切らしたように見せかけながら声を掛けた。


 尻尾を後ろ手でコートの中に押し込み、ニッコリと微笑む。


「ごめんください」


「ど、どうしたんですか。物凄い速度で走って来ましたけど……」


「前方に人の姿が見えたから、嬉しくてつい」


「ああ、そうですか。確かに1人旅は寂しくて心細いですからね」


 悪党もニッコリと微笑み、人の良さそうな応対に徹する。しかし、レオンの身なりや持ち物を値踏みしているのは丸分かりだ。


 顎髭はもみ上げまで繋がり、当日の朝に宿を経ったにしては、服装を含め随分くたびれて見えた。小柄な男はややレオンを見上げる形で、会話を続ける。


「内陸から通って来たんですけど、もし知っていたらこの周辺の村を教えてくれませんか? 地図をなくしてしまって」


「ああ、そういう事ですか。俺が時々寄る集落があるから、そこで地図を貰うといいですよ。あの半島の先です、霧でちょっと見え難いですが、いつもはこの辺からも家が小さく見えます」


「有難う」


 レオンがドマを手前で下ろしたのは、この悪党が人々を騙してスヴロイに連れて行ったかどうか、それをドマに伝えるためだった。


 ドマが一緒にいたなら、自分の嘘を隠すために2人をアイーイェに連れて行くかもしれない。


 一方、オロキの存在は知らないが、無事だと言っておけば格安で山羊を売ってくれるため都合がいい。そう思って騙していただけの可能性もある。

 つまり、ここでもしレオンだけの状態でも「スヴロイは駄目だ、アイーイェまで行くように」と言ったなら、少なくとも悪党は嘘つきとしての罪しか背負っていない事になるのだ。


 しかし、悪党はレオンをスヴロイに連れて行こうとした。

 ドマは事前に覚悟していたものの、ジェイソンから報告されるやり取りに愕然とした。


「その村はどういうところですか」


「ん~、まあ、この辺ならどこにでもありそうな、村ほどもない寂しい集落ですよ。でも住民は穏やかで優しいから。俺も1晩泊めてもらう事があるんですよ」


「へえ」


「俺はプーキン、あなたは?」


「おれはレオン。こっちは相棒」


「ほう? こりゃあ大猫ですな」


 目の前にある10メルテ程度の丘のせいで、スヴロイの惨状はまだ見えない。

 岩と小石で歩きづらい足場を抜け、土がむき出しになった道を進み始めた所で、ついにプーキンがスヴロイの異変に気付いた。


「え、えっ? ど、どういう事だ!」


 プーキンは村まで数百メルテの所で持ち物を落とし、山羊も放置したままスヴロイだった集落跡へ駆けていく。


 レオンは道を戻ってドマを背負い、ゆっくりとスヴロイへ歩み始めた。


「あいつ、やはり何も知らない旅人を……!」


『吾輩も心と考えを読んだぞ。あいつは畜生以下のクズだ』


「うん。その報いとして足りるか分かんないけど、あいつ以外のならず者の始末はあれでいい?」


 レオンが指したのは、黒焦げになって崩れ落ちた家々。それと、何だったのかも判別できなくなった焼死体だった。嫌な臭いがまだ残っている。


「……本当に、仇を、討ってくれたんだな」


「もしかしたら形見のものがアイーイェにあるかも、運んであるよ。じゃ、あいつを始末する前に、何かアイツに言いたい事はある?」


「ああ、あるとも!」


「じゃあ、行こうか」


 レオンは山形鋼のカバーを取りながら、静かにプーキンの背後へと近づいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る