【待ちわびる人】
待ちわびる人-01
北に向かい続け、7日が経った。内陸にはもう幾つかあると聞いたが、レオンは最短距離を貫いた。
極夜の地帯に近づくにつれ、陽は昇りきることができずに海へと溶けていくようになった。視界の端には常に薄暗さが付きまとい、低い雲がいっそう暗さを助長する。
「地図にはこんなにいっぱい島なかったのに」
『地形を詳しく記してはおらぬようだな。まだあの在って無いような街道を進んだ方が早かったかもしれぬ』
「地図にある集落が実際にはなかったりしなけりゃ、信じて進んだかもしれないけど」
風は強く、地面に雪は積もっていない。西岸地域は暖流のせいで氷点下にはなっていない。雪深くて進めない事態だけは避ける事が出来た。
沈水地形にありがちな小さな島々は、地図に描かれていない。縮尺の都合で省略されたか、記せなかった部分も多い。
そのうえ、氷河の跡がフィヨルドと呼ばれる複雑な地形を生んでいる。もしこれで雪深かったなら、レオンは雪を踏み抜いて崖下に叩きつけられていたかもしれない。
「海沿いなんだから、1つくらい港のある集落があってもいいのに」
『海から数十メルテは高そうだぞ。こうも崖ばかりでは、仮に集落があったところで生活において海などあってないようなものだろうな』
レオンが岬だと思っていた場所が島であったり、余計な時間も掛かってしまった。ただ、そんな道中も天候には恵まれた。
おかげでレオンは大した疲労もなく1つの集落へと辿り着いた。
「ごめんくださーい」
集落と言っても、小屋が6,7つ。背の低い石垣は途中で放棄されている。地図には描かれていないが、ここまで小さな集落はさすがに省かれたのも無理はない。
「誰もおらんね」
『その割にはこの一帯だけ枯れ草が積まれ、小綺麗になっておる』
「内陸より寒くないって言ってたから、この辺りでも牧畜が出来るのかもね」
レオンは小屋の扉を1つ1つ叩き、誰かいないかと声を掛けていく。しかし、6つの小屋は廃屋だった。小屋の中は荒れ果て、もう住めそうにない。
「廃村、じゃないよね」
『あの小屋で最後だ。壊れてはないようだぞ』
集落内を山羊が我が物顔で闊歩し、猫などの人につく動物がいない。誰もいなければ小屋の中で一晩を過ごそうと思い、レオンは扉を叩いた。
「ごめんくださーい」
数秒経っても返事はない。レオンは落胆しながら扉に手を掛ける。その時、内側で靴底が床を擦る音がした。
「誰だ」
声が返ってくると思っておらず、レオンは尻尾をぶわっと膨らませる。しわがれた老人の声は警戒心を隠そうとしていない。
「旅のひとです、レオンと言います。この集落は、何という集落ですか?」
「……こんな所に旅人だと? 嘘をつくにしてももう少しマシな事を言え」
「ここに旅で来るのはおかしいんですか? おれ、ストレイ島に行きたくて海沿いを歩いてたらここを見つけました」
『他所者を警戒するのは分かるが、集落の名前も明かさぬとは』
小屋の扉が開く様子はない。レオンはため息をついて小屋から立ち去る。
「この北にも1個集落あったし、そこまで行こうか」
『構わぬ。この寂れた集落もどきも、どうせあると思ってはいなかったのだからな』
「誰も住んでなかったら、あの山羊1頭食べても良かったのになあ。1頭売って下さいって言ったら売ってくれるかな」
レオンとジェイソンが会話しながら歩いて集落を抜けようとする。その背後で何かが動く音がした。
「お前ら、本当に旅人か」
音は小屋の扉がスライドする音だった。出てきたのは小柄な老人。老人は険しい顔でレオンを見据え、問いの返事を待つ。
「うん、旅の者」
「2人分の声がしたが」
「ああ、ここにいるよ。ジェイソン、魔族のジェイソン。おれは狐人族のレオン」
『不躾な奴だ、吾輩を人として数えるでない』
警戒心丸出しの老人とは正反対に、レオンには警戒心がまるでない。しっかりと自身の名と素性を明かすと、老人は驚きの表情で固まった。
レオンが帽子を取ってぺこりと頭を下げるのを見れば、レオンが嘘をついていない事は分かる。
狐人族は嘘や悪事を嫌う。こんな小さな集落にもそれが伝わっていたのか、老人の態度は変わった。
「やっと、来た」
「ん?」
「もう諦めておったが、ようやく祈りが天に通じた……」
「どういうこと?」
老人は表情を変えないままレオンの傍まで駆け寄り、レオンの手を引いて小屋へと連れて行こうとする。
「ちょっと、どうした」
「待っておった、ずっと待っておったんだ」
「何を?」
老人が何を言いたいのか良く分からないまま、しかし敵意は感じない。戸惑いながらも小屋に案内されたレオンは、老人に言われるがまま、囲炉裏の傍に腰を下ろした。
「あのー」
「スヴロイだ、スヴロイの連中を消してくれ! あいつらは人じゃない、女子供を攫い、近隣の集落の者を攫い、ここから抗議に行った者も殺した!」
『スヴロイはもう無いぞ。我らが焼き尽くした』
「焼き、尽くした?」
「スヴロイの悪事はもう知ってるよ、アイーイェのひとに聞いた。攫われて子供もおったけん、アイーイェに連れて行ったよ」
スヴロイはもう存在しない。それを聞いた老人は、その場にへたり込んだままレオンに手を合わせた。
「ああ……有難う、有難う! 儂はそれを、それだけを願ってここに住んでおった!」
老人は震える手を合わせたまま、何度も何度も頭を下げる。レオンが宥めると、老人はポツポツと身の上を語り始めた。
* * * * * * * * *
『スヴロイの凶行で息子夫婦を失った、か』
「どうしてスヴロイの仕業と知っているんだ?」
「その時、後ろには村長と儂がおったんだ。孫を抱いた嫁が撃たれ、続いて息子が撃たれた」
老人は様子を見てくると言って先に行った息子夫婦を見ていた。岩に腰掛け、6人が水筒を片手に一息ついた時、急に発砲音が響いた。
村長が隠れろと言ったのを合図に、皆が頭を低くした。それから暫くして、老人が頭を上げて息子夫婦の方へと目を向けた時、夫婦は村へと引きずられていく所だったという。
人の少なくなった集落を放棄し、南の過ごしやすい土地に移ろう。そう決めて歩いた末の出来事だった。
「その時、その集落が悪名高きスヴロイだと知ったのだよ。せめて孫だけでも救い出す。どうせ村長も残り4人も、集落に逃げ帰る体力はないと。そう言って5人はスヴロイに向かった」
「おじいさんは?」
「村で待っていろと。全員殺されては、孫が天涯孤独になるからとな」
その後の展開は容易に察しが付く。5人はきっと殺され、孫はどうなったのか分からずじまいだ。
それでも、老人はいつか帰って来るのではないかと信じ、この集落でたった1人、孫を待ち続けていた。
「もう13年も前の事だ。だが、諦めきれなくて13年間ずっとここで待っておった」
『……すまぬが、貴様の孫の名は。場合によっては我らが焼き殺してしまったかもしれぬ』
「だとすれば孫も悪に堕ちたという事だ。悪人になった姿を見ずに済んだのは良かったかもしれないな」
そう言って、老人は歪んだ棚の引き出しから1枚の写真を取り出した。
「これが息子のジャン、こっちは嫁のロイスだ。この時は儂も若かった、孫の……」
「……もしかして、オロキ?」
老人がバッと顔を上げ、レオンを見つめる。
「なぜオロキを知っておる、オロキはどこに!」
『まさか、こんな所で繋がるとはな』
スヴロイの中で見極め、アイーイェに逃がした青年、オロキ。老人は彼の祖父だった。
「スヴロイで出会った。大丈夫、おれ達がアイーイェに送り届けたよ」
『奴は悪の手伝いはさせられたが、人を殺してはおらぬ、強盗もしておらぬ。心は正しい、安心しろ』
老人の目から涙が溢れる。老人はレオンの手を握り、何度も何度も礼を繰り返した。
「半年に1度だけ、この集落を通る商人がスヴロイの様子を見に行ってくれておった。無事だと聞いて何度か救出を試みてくれたようなんだが」
「え? そのひと、スヴロイと交易してるって事?」
『スヴロイに出入りする者などおらぬぞ。出来たのはスヴロイの者だけだ。その商人、本当の事を言っておるのか?』
「た、確かな話だ! 3日前にも来て、無事だったと教えてくれた!」
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