第6話 へんぴな農村
茶髪少女とともに、山を下っていく。
彼女の示す農村は早くに見つかった。瓦屋根の家が幾つも点在し、家の隣にはサッカーグラウンドほどの大きさを誇る田んぼがある。
村付近には川も流れており、人が生きていける程度の生活は確保されているようだ。
しかし、その味気ない風景は千年前の生活様式と何ら変わり映えのないものだった。
千年の年月を経て誕生した心躍るようなニューテクを期待していたテュランにとって、この現実は不都合である。
けれど、ここはヘンピな農村。
市街地に出れば、状況は変わるかもしれない。
そう思い、村の敷地内に侵入しようと足を踏み入れた瞬間――。
「——ん?」
なにか、壁のようなものに阻まれる感覚が、テュランを襲った。
(これは……”結界”か!)
目を凝らしてみると、村の敷地内には半球型の半透明な膜があった。若干、青白い気もするが、テュランには膜の色彩などどうでもよかった。
「あれ——? もしかして、入れませんか?!」
すんなりと結界を通り過ぎた少女が目を見開く。
「オレを通せ」
「えっ……あッ、パ、パパを呼んできます!!」
「チィ——」
焦ったような態度を取りながら、少女は慌ててその場を去ってしまった。
その姿がテュランの逆鱗に触れる。
しかし、それ以上にテュランの興味を惹いたのは、彼を弾いた結界であった。
(この結界、物体そのものを拒むのか? 面白い……ぜひ、習得したいな)
未知なる魔術について驚異的な執着を示すのがテュランの性である。
今、彼の心を埋め尽くすのは眼前に広がる”強力な結界”の習得。
だが、この結界を作動させている仕組みが分からなければ、習得など不可能に近い。
そのため、どんな手を使っても良いから、この村に入りたかった。
すると、一人の男が茶髪少女とともに現れた。
その男は眼鏡をかけ、牧師のような服装を纏っている。右手には数千ページにも及ぶ魔導書が握られている。
「パパ、この人を中に入れてあげて」
少女は問う。だが、男の顔には暗い影が差していた。
(この牧師、この女の父親か。身にまとっている服装や装飾から考察するに、こいつが村長か?)
「きみは、何者だ?」
「テュランだ。山で暮らしていた」
答えると、男は「山で……?」と意味深に呟いた。どんな返答をすることが最善か見当も付かなかったテュランは、いっそのこと村ごと破壊しようか悩んだ。
本気を出せばこの結界も壊せると思っていたのである。
しかし、もしそうなれば結界の仕組みを解明するチャンスを失うかもしれない。
テュランはもう少しだけ粘る。
「先程の地震で小屋が倒壊し、住む場所がなくなったのだ。そんな時、お嬢さんに出会った。その辺の話は娘さんから聴いたかな?」
「聞いたとも。その節は、本当に感謝している」
「ならオレを——
「だが、断る」
その時、テュランの怒りが喉の奥で詰まった。今にも、手を出しそうになる。
「どうしてだ?」
「君が結界に阻まれている事が、何よりの懸念点だからだ。この結界は『魔の者』と判断した生物や物体を自動的に弾く力がある。もし君が普通の人間なら、とっくに村に入れているはずだ。だが、そうでないということは君自身がこの村の脅威だと、結界が判断したからに違いない!」
(なるほど……そんな機能が)
彼の話を聴いて、テュランは確信を摑んだ。
千年間、魔王の血液に身をゆだねていたテュランの心身は、この上なく魔人や魔物に近づいていた。存在自体が、人智を超えていたのである。
だから結界に阻まれた。
けれど、包み隠さずこの話を村長にするわけにもいかない。
(よし、皆殺しだ。こいつだけ生かして、結界の仕組みを訊き出せばよいな。ついでに茶髪の娘を人質にしよう)
テュランの覚悟が、決まった——その時。
「ま、待って!! この人は命の恩人なの!!」
少女の悲痛な訴えが、テュランと彼女の父を呑み込んだ。
「薬草採取中に、人攫いが私を……襲っ……それで、もうダメだって時に」
「アリシヤ、喋らなくていい。辛かっただろ」
テュランを庇おうとしたものの、トラウマがフラッシュバックして、その茶髪少女は声を閉ざしてしまった。
彼女の父親が、娘を優しく抱きしめる。
彼女はルビーの瞳から小粒の涙を流していた。
(なんだ、こいつら。演劇か?)
テュランには、一連の流れが理解できない。
父が娘を抱きしめる理由と、娘の泣く経緯とが。
彼にとって、襲われて抵抗できなかった彼女の無力さのほうが”悪”だった。
テュランは、弱者の力不足を嫌う男だから。
ゆえに、拍子抜けだった。
ところが、茶髪の父親には彼の態度が別口に見えたのだろう。
突然、神妙な趣を取りながら、娘の経緯を話し始めた。
「いつもは村付近の場所しか採取に行かせないのだがね……地震が起きたせいで、随分遠くに行ってしまったようだ。これは、私の責任なんです。娘一人に行かせた、私の怠慢」
その牧師は、娘の肩を何度も何度も優しく摩っていた。
文脈が読み取れずテュランは戸惑う。
だが、この状況は自分にとって有利だとテュランは本能的に感じ取った。こうして心が弱っているうちに、最後の説得を試みようと思ったのだ。
「オレは……娘さんに感謝しています。地震で家を失い、途方に暮れていたところを助けていただいたのです。そのうえ村にまでお邪魔するというのは野暮ですよね。
すみませんでした。オレのような山の民が、人の暮らす世界に馴染めるわけないのです。分を弁えます。失礼しました」
反省した素振りを見せて、テュランは村に背を向けた。客観的に評価して、出来るだけ不幸人に見えるように。
ゆっくりと重い足取りで村から離れていく。
後ろから声を掛けてくれるのを待ち望みながら。
(目前に控えたあの木々を通り過ぎても反応がなかったら、全員殺すか)
そんな下衆みたいなことを考えながら、テュランは歩く。
彼が印とした木々まで、あと十歩程度で届いてしまう。
なかなか声が掛からない。
「殺そう」そう決心した直後――。
「あんた、なにやってんの?!」
突然、女性の甲高い声が響いた。
振り返ると、村長の隣に銀髪の背の高い女がいた。
「ママ、あの人は命の恩人なの。村に入れて!」
女が、突如として現れた長身の女に嘆願した。少女の「ママ」というワードを聴いて、ようやく自分達の間に割って入ってきたこの侵入者が少女の母親なのだとテュランは理解した。
「あら、そうなの?! だったら早くお招きしなきゃ」
「で、でも……あいつは結界に阻まれた男だぞ?! もしかしたら村に災いをもたらす魔人か——
「なに言ってんの!!! 無礼にもほどがあるわ!」
随分と気の強い奥さんだった。先程まで村長としての威厳を保っていた父親が、為すすべなく黙っているだけである。反論しようにも、奥さんの圧倒的な威圧がそれを許さない。
(いつの時代も、夫は嫁に尻を叩かれる存在なのだな。これが、千年経っても変わらぬヒトの文化か……)
テュランは、夫婦の姿を神妙な気持ちで眺めていた。
「あなた、名前は何と言うのですか?」
「テュランです」
「テュランさんですね。分かりました分かりました。いま、結界の加護を解きますのでお待ちください」
少女の母親は嬉しそうにそう答えた。
テュランにとっても、この女の行動は都合がよい。久方ぶりの興に目覚めていたのであった。
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