三十五発目「アルム村にて」

 

―フィリア視点、帰郷―



 あ……


 また目が覚めた。

 

 あたらしい一日がはじまる。


 ……気持ちいいな。


 背中がふかふかと柔らかい。

 まるでベットみたいだ。

 おかしいな。わたし・・・は牢屋の中で冷たい石の床の上に、眠っていたはずなのに……


 もしかしてわたし・・・は……死んだのか? 

 ここは天国、神の世界か??

 まったく疲れがない。

 おかしいな……

 いつも・・・なら、全身筋肉痛の二日酔いで、意識が曖昧なはずなのに……


 わたし・・・は両目を、ゆっくりと開いた……


 あれ??

 そこは、見覚えのある暗い拷問部屋ではなくて。

 見覚えのある明るい天井だった。

 いつぶりだろうか? 自分の家にいた。

 

 あれ? あれ? なんで??


 わたしの小さな体には、かけ布団がかかっていた。

 ふかふかの、オレのベットだ。

 静かなオレの部屋だ。


 木造建築で、人間語の文字に囲まれた、オレが育った場所である。


 ぽろ……ぽろ………ぽろ………


 視界が涙でぐにゃりと歪んだ。

 涙があふれて止まらない。


 オレは地獄から抜け出したのか?

 助かったのか?

 誰かが助けてくれたのか?


 必死に思い出してみる。

 オレはどうして、家に帰ってきているのだ?

 夢じゃないかと本気で疑う……。


 何も思い出せない。

 思い出せる記憶は、アルコールで泥酔されながらの地獄の記憶だけだ。




 ………誠也せいや


 ふと思い出した。


 ……誠也せいやは無事だろうか??


 オレはベットから起き上がり、自室の窓の外を見た。


 ここは、獣族独立自治区の中央に位置する村、アルム村だった。

 オレの故郷、生まれ育った村である。


 この家は、村はずれの崖の上の、オレの父さんの診療所である。

 オレの父さんの名前は小桑原啓介こくわばらけいすけ

 最高の名医である。


 オレは自室の窓を開けて、身を乗り出し、アラム村の景色を一望した。

 眼科には、なつかしい木造民家がぽつぽつと並んでいる。

 ため池がそこら中に作られていて、大きな畑では、小麦や夏野菜が青々と茂っている……

 東の方の山際からは、朝日がまさに昇ってきており、幻想的な田園風景だった。


 涙が、どんどんと溢れてきて止まらなかった。

 今まで張りつめていた緊張の糸が、一気にほどかれていくように、オレの心は浄化されていった。


 このまま、この美しい自然に溶け込んでしまいたいとさえ思う。

 あぁ、懐かしいなぁ、すごく安心する……


 しばらくオレはそのままで、窓の側から動けなかった。







『フィリア!? 起きたのかっ!?』


 感傷に浸っていると、不意に後ろから獣族語で話しかけられた。

 オレは涙を拭いて振り向いた。

 そこには懐かしい顔があった。

 信じられないという目でオレを見つめる男の子は、オレの幼馴染、ジルクだった。


 ジルクは医者を目指して、オレの父さんの弟子として、この家に住み込んでいる男の子だ。

 年齢は13才、私と同じくらいだ。

 無愛想で要領は悪いけれど、勉強熱心で一生懸命だ。

 ただ、いつもオレをライバル視して、何かにつけて文句を言ってくる。


『フィリアっ!! まったくっ! 心配させんじゃねぇよぉっ!!』


 ジルクはオレを見るなり、凄い顔で驚いて、こちらに駆け寄ると、ギュッと強く抱きしめられた。

 い……痛い……

 ジルクは力だけは強いんだよなぁ……


『良かったぁぁ…… 無事で良かったっ……フィリア……!!』


 ジルクはオレを抱きながら、わんわんと泣いていた。

 あれ……

 それは……なんだか凄く……暖かかった……

 おかしいな? ジルクって、こんなにいい人だったっけ?


『ごめん……心配、かけて……』


『本当だよぉっ! バカ野郎っ……唐突に出ていきやがってっ……!!

 お前に死なれる訳にはいかないんだよぉっ!』


 オレが謝ったら、バカ野郎と言われて、さらに強く抱きしめられた。


『なあ……ジルク……オレはどうしてここにいるんだ?』


『……王国軍に殺されかけていたところを……人間の人達が、間一髪で助けたんだ……』


 ジルクはそう言った。

 心底安心した表情で、オレを強く抱きしめながら。

 助けられた、だって?

 直前の記憶を掘り起こしてみるが、アルコールのせいか、はっきりとした記憶は残っていない。

 ただガロン王国軍にされた残酷な仕打ちが、トラウマとして深く脳裏に刻み込まれいる。

 


『人間ってもしかして、誠也せいやのことか?』


 オレがジルクに尋ねると、彼は泣きながら、困ったような顔をした。


誠也せいや? 誰だそれ? 名前だけじゃ分からねぇよ…… お前を助けたのは複数人だ』


誠也せいやは、30才くらいの人間の男だ! 短髪で目つきが鋭くて、ガタイもよくて……』


『あぁ! アイツの事か、確かにいたな。 他は若い人ばかりだったから、よく覚えている』


『えっ……! お前誠也せいやに会ったのか? 誠也せいやは無事なのか? 今どこにいる!?』


 オレは、勢いよくベッドから立ちあがろうとすると、ジルクに押し倒されてしまう。

 オレは身動きをとらせて貰えなかった。

 

『フィリア、とりあえず落ち着け。 全部話してやるからよ。安心しろよ、誠也せいやさんは無事だから……。今は採掘場の旅館で休んでいるはずだ……』


 誠也せいやは採掘場にいるのか?

 なるほど。歩いてすぐに着く距離ではないな。

 とにかく無事なのか……良かった……


『それで、なんでオレはここにいるんだ?』


『まあ焦んなって、一つづつ話すからよ……』

 

 そしてジルクは、事の顛末を語り出した。


 ジルクの話では、オレと誠也せいやはモンスターの餌として、殺されかけていたらしい。

 そこに間一髪で、リリィさんという人間の女の子とその仲間が来て、オレと誠也せいやを助けてくれたそうだ。

 オレは、息を飲んでいた。

 その人達は、オレだけでなく、誠也せいやの事まで助けてくれたというのだ。

 早く会って、ありがとうと言わなければいけない。


 それから、ジルクの話は、スラスラと進んでいった。

 そして最後に差し掛かると、急に言葉が途切れてしまった。

 そして言い淀んで、目を逸らしながら、こんなことを言った。

 

『それで……フィリア。一つ謝りたいんだが……。……俺は昨日、お前にキスをしたんだ……。すまない』


『は??』


 え……? キス??

 ジルクは俯きながら、突然変な事を言いだした。

 突然何を言い出すのかと、オレは呆気にとられた。


『えっと 俺はさ、最近人間語が分かるようになってきて、おととい、白雪姫って本を読んだんだよ……』


『う、うん……』


 話が読めないな。

 しかし、ジルクが人間語の本を読んだのか。

 ジルクは人間語の覚えが悪いのだが、オレが家をあけている間に成長したのだろうか?

 オレも白雪姫という話は知っている。

 アキバハラ公国に古くから伝わる物語である。


『そして白雪姫はさ。王子様にキスされて目を覚ますだろ……? だから俺も真似したんだ。フィリアに目を覚まして欲しかったから……』


 ジルクは、恥ずかしそうに唇を尖らせて、俯きながら謝ってきた。

 

『ぶっ……! ふふっ……あははははっ!! なんだよそれっ!!』


 それは可笑ししすぎて、オレはゲラゲラと笑ってしまった。


『わっ、笑うんじゃねぇっ!』


『そっかそっかぁ…… おかげで目が覚めたよっ、ありがとうな、王子様! あなたは命の恩人です!』


『てめぇフィリアっ、バカにしやがってっ!!』


 真っ赤に赤面して慌てるジルクを、オレは心ゆくまでからかった。




『それで、父さんの具合はどうなんだ?』


 オレのそんな問いかけに対して、ジルクははぁっと一息ついてから、暗い顔で答えた。


啓介けいすけさんは……今日は夜中から、テラードさんの家に行っている。緊急の用事だ。子供が生まれるんだよ』


『そう……か』


 父さんや村の人の名前を聞いて、オレはまた現実に引き戻された。

 そして、ここは確かに、オレの故郷なのだと実感した。


『あのなフィリア。 啓介けいすけさんはな……、お前の事をずっと心配してたんだぞ。……もう、バカな真似はするな。お前は啓介けいすけさんの代わりになるんだよフィリア。啓介けいすけさんが死んだ後。お前がこの村の医者になるんだ』


『…………バカな真似って、なんだよそれ……』


 ジルクは強い口調で、オレの家出を非難してきた。

 オレはかなりイラっとした。

 バカな真似ってなんだよ。

 オレはただ、父さんの病気を治す薬を取りに行くために、独立自治区を出ただけだ。

 


『頼むフィリア。お前しかいないんだ。俺も頑張ってるつもりだけどよ。悔しいけど、俺よりもお前の方が医者としては優秀だ。だから頼む。お前が啓介けいすけさんの後を継いで……』


いやだ・・・っ!!』


 オレは大声を上げた。

 ジルクはギョッとした顔で硬直をした。

 でもオレは、これだけは譲れなかった。


『父さんの命を諦めろっていうのか!? ふざけんなよっ! 治す方法はあるんだぞ! マグダーラ山脈に行けば、拒魔病を治す薬なんて簡単に作れる!! ジルクお前は、治療法があるのに諦めろって言うのかよっ!! オレは医者だぞっ! 可能性がある限り、どんな手を使ってでもっ!!』


 バチィィッ!!


 頬っぺたを思い切り殴られた。

 ジルクはオレを、涙目で睨めつけてくる。

 ああもう、痛ぇよクソが……

 

『フィリアてめぇいい加減にしろ! そう息巻いて村を飛び出した結果が、今のお前だろ!!

 マグダーラ山脈にはたどり着けず、王国軍に掴まって、あと少しのところで死にかけていたんだぞ!!

 ホントにお前は自分勝手なんだよっ!! お前の父さんと母さんがっ!、そして俺がっ!、どれだけお前の事を心配してたか知ってるか!? 命はもっと大切にしろっ!! お前は医者として、将来この村を支える存在なんだ! 啓介さんや俺にとって、大切な存在なんだよっ!!』


『……………』


 何も言い返せなかった。

 目の前のジルクは泣いていた。

 その涙は、オレの為の涙だった。

 ジルクの言っていることは正論だ。

 間違っているのはオレだ。

 そんな事は分かっていた。


 獣族にとって、独立自治区の外の世界は、命が幾つあっても足りないという。

 出会う人間すべてが敵なのである。


 そして人間の棲む地域の中でも、マグダーラ山脈は、最も危険な場所の一つである。

 世界最強クラスの魔獣や神獣も生息し、一流の冒険者でも滅多に近づかない場所である。


 オレは父さんに、マグダーラ山脈に連れていって貰った事があるが。

 あの父さんですら、魔獣との戦闘は避けていたのだ。

 戦闘スキルのないオレには、危険すぎる地域である。


 でも……でも……


『……父さんが死ぬのは……ぜったい嫌だっ……嫌なんだよっ……!』


 オレは、ボロボロと泣いてしまった。

 ジルクの身体を、よわよわしくポカポカと殴る……

 ジルクなんかに、泣き顔は見せないつもりだったのに、涙が止まらないや……

 まあオレもジルクの泣き顔を見れたから、これは痛み分けだな。


『フィリア……辛いな……お前が一番つらいよな…… ごめんな……俺はなんにも出来なくて……』


 ジルクは、そんなオレを優しく抱きしめてきた。

 なんでだよっ……

 なんでこんな時に限って、優しくするんだよ。

 もっと辛くなるだろうが、泣いちゃうだろうがっ……

 いつもは捻くれた奴のくせにっ……くそっ……

 

 あぁ……やっぱり嫌だよっ……オレは父さんのことが大好きだ。死んで欲しくないんだ。

 もっと医学の事を教えて欲しい。

 オレが彼氏を連れて来て、結婚して、子供を作って育つまで……

 もっともっと、ずっと未来まで、オレは父さんに見届けてほしいんだ。


 ねぇ父さん。オレさ、はじめて好きな人が出来たんだ。

 誠也せいやっていう、優しい人なんだ。

 誠也は32才だがら、オレとは18才くらい離れてるけど……

 でも、恋心に年の差なんて関係ないよな……

 父さんは34才だから、誠也せいやとは二才しか変わらないんだよな。

 どうかな? オレと誠也せいやはお似合いだと思う?

 

 あぁ……誠也せいやにも早く会いたい。

 謝らなきゃいけない。

 オレが誠也せいやを巻き込んだせいで、誠也せいやは王国軍に数々の拷問を受けた。

 許してくれるだろうか?

 きっと、許してくれないだろう。憎まれているかもしれない。 

 それは本当に辛いな。

 でも、精一杯謝ろう……



 そんな中でも、ジルクはオレの身体を強く抱きしめて、頭をすりすりと撫でまわしてくる。


『痛いよ……』


 そう言って、オレはジルクの身体を、両手で押し返した。


『ごめん……』


 ジルクは申し訳なさそうに、固まったままオレを見ていた。

 オレは、ちょっと気まずくなって、ジルクから目を逸らした。


『ちょっと、外出てくる……』


 オレは涙を隠しながら、一人部屋を出て、随分と懐かしい気のする、家の庭へと出た。

 晴れた夏の朝の爽やかな冷気にあたりながら、オレはぼーっと放心していた。

 この庭には思い出が詰まっている。


 昔のオレは、わがままでヤンチャな女の子だった。

 まぁ、それは今も変わらないかもしれないけどな、

 オレは、家出いえでしてたんだから……












 このアルム村は、貧しい村だ。

 乾季に入ると多くの死者が出る。

 そもそも作物が育ちにくいのだ。 

 この土地には魔石の成分が多く含まれているから、大気中の魔力濃度は他と変わらないくせに、普通の食物は育たないという特殊な土地だ。


 そんなオレは、村で一番裕福な家に育った。

 オレの父さんは小桑原啓介こくわばらけいすけ

 「生きる救世主」と、崇められている男である。


 だけどオレは、父さんの本当の娘ではない。

 拾われたのだ。七年前に。

 戦争孤児だったオレを、啓介けいすけは助けてくれた。

  

 そんなオレは、同年代の子供たちから嫌な顔をされた。

 なぜならオレは、他の子達が生きるか死ぬかの瀬戸際で必死に働いている時に、自分の部屋でのんびりと本を読んでいたからだ。

 オレは人間語の勉強ができたけれど、他の子達には人間語を勉強する余裕なんてなかった。


 オレの家では、お父さんもお母さんも忙しかった。

 いつも朝から晩まで家を開けて、医者として働いていたからだ。

 オレは寂しくて、連れて行ってくれと何度も頼んだ。

 でも「危ないからダメだ」と言われた。


 オレはずっと、裕福な大きな家のなかで一人ぼっちだった。

 もう我慢できなくて、父さんに尋ねたのだ。


『どうして父さんは、仕事ばっかりするんだよっ。オレともっと遊んでよっ。オレのことが嫌いなのか? オレが本当の娘じゃないからかっ!?』


 オレが父さんに泣きつくと、父さんは困った顔をした。


『そうだな、ごめんなフィリア…… 俺はダメな父親かもしれない。でもっ、オレは医者なんだよ。目の前に苦しんでいる人がいれば助けたいんだ。少しでも、誰かの幸せを守りたいんだよ……』


『…………』


 なにも言えなかった。

 オレだって、父さんに助けられた立場の人間だ。

 ズルいよ。大人はずるい。

 そんな正論を、苦しそうな顔で言うなんて、反論できないじゃないか……。


『ねぇ……父さんは、どうして医者になったの?』


 オレの問いに、父さんは切なそうに、懐かしそうに、にっこりと笑った。


『小さい頃、ずっと昔にな。ある医者さんが、オレのお姉ちゃんの命を救ってくれたんだ。オレはその人に感謝して、憧れて、医者を目指して勉強していたんだ……』


『そうなんだ……』


 その時、オレの胸の中がカッと熱くなった。

 今まで父さんに抱えていた不満が、嘘のように溶けて行った。

 オレは今まで、父さんが理解できなかった。

 どうしてそんなに働くのか、なぜオレに構ってくれないのかと。

 でも……今、全部理解できた。


『ねぇ父さん。オレも、医者になりたい! 父さんみたいに、カッコいい医者になりたいんだっ!』


 気づいたときには、オレは叫んでいた。

 オレは父さんに憧れていた。

 父さんは、オレと同じく裕福な立場だけど、オレとは違って友達が沢山いる。

 多くの人に尊敬されているのだ。嫉妬する人なんて少ない。

 

 部屋の中に、逃げてばっかじゃダメだ。

 引きこもって目を背けるのはダメだ。


 オレは皆とは違う。

 勉強の才能もあって、環境にも恵まれている。


 だからオレも、父さんと一緒に働きたい。

 この獣族の村から、苦しむ人を減らすために……。


 それからオレは医者を目指して、父さんの手伝いをした。

 同い年の子供たちに、頑張って話しかけた。

 最初は煙たがられたけど、頑張って、頑張って、少しは仲良くなれた。

 

 10才になって、ジルクという男の子が、隣町からやってきて、この家の門を叩いた。

 ジルクは激怒していた。


『どうして、オレの母さんを見捨てたんだっ!』


 って叫んで、オレの父さんの顔をガンガンと殴りつけた。


 父さんは、時折みせる死んだような顔で、すまない、すまないといい続けた。

 ジルクのお母さんが死んだあの日、父さんは、他の患者の手術に追われていたのだ。

 だから、ジルクのお母さんの容態の急変に、駆けつけられなかった。


 その後数日が過ぎて。

 ジルクは再びこの家の門を叩くと、オレの父さんに頭を下げた。


「弟子にしてください」


 と、土下座して頼んでいた。

 オレは、「何があったのだ?」 と衝撃を受けたが、ジルクは、

 

『医者になりたい……あなたのような立派な医者に……』


 と、涙を流して、父さんに「医学を教えてくれ」と、頼み込んでいた。

 ジルクは、オレの家で暮らすことになった。

 オレやオレの母さんと一緒に、父さんの医者の仕事を手伝うようになった。


 ジルクはオレに対して、常にライバル心を燃やしていて、よくオレに嫌がらせをしてきた。

 昔はよく、殴り合いの喧嘩に発展していた。

 そしていつの間にか、喧嘩は口喧嘩になって、今では冗談で揶揄いあう間柄だ。

 長い年月を経て、少しは仲良くなれたと思う。

 




 そして、悲劇は訪れた。

 オレの父さんが、拒魔ひま病をわずらったのだ。


 拒魔ひま病とは、読んで字の如く、


「体内に魔力をまったく吸収できなくなる難病」である。


 それは、水が飲めなくなるとか、ご飯が食べれなくなるとか、それほど深刻な問題なのだ。


 水や食料ほどの緊急性はないけれど、魔力は人間の生命活動に必須なエネルギー源である。

 拒魔ひま病にかかり、魔力が吸収できなくなった人間は、徐々に魔力を消耗して衰弱し、半年も経たずに死に至る。


 そして恐ろしいことに、魔力が取り込めないせいで、回復魔法や解毒魔法が全く効かないのだ。

 つまり、他の病気にもかかりやすくて、非常に治りにくいのだ。


 でも、治す方法はある。

 薬の大ダンジョン跡地、つまりマグダーラ山脈へと向かい、「ギルギリスの骨」を入手するのだ。

 それを元に、魔力の受容体を人口的に作って移植すれば、父さんの命を助けられる。


 オレは父さんを救うために、この村を飛び出した、はずだったのに……


 何も出来ず、誠也せいやの事を巻き込んで、両親とジルクに心配をかけて、

 ただ心と身体に、深く傷を負って、ここまで帰ってきてしまったのだ……

 

 



 

 

 







 久しぶりに帰ってきた故郷。


 庭の土手に腰掛けて、感傷にふけっていると、

 下の小道から足音が聞こえた。

 

 それは、数か月ぶりに見た、オレの両親の姿だった。




 ドクン、と、心臓が跳ね上がる。

 胸の奥が熱くなって、全身に鳥肌がたつ。

 勝手に涙がこみ上げてきて、視界がぐにゃりぐにゃりと滲んでいく。


「フィリア!? フィリアっ!!」


 父さんに名前を呼ばれた。

 もう駄目だった。

 全て決壊した。


「お父さんっ!! お母さんっ!!」


 オレは土手を滑りおちて、父さんと母さんの胸の中に飛び込んだ。


「うわぁぁぁぁぁんっ!!!」


 村じゅうに響き渡るほどの大声で、わんわんと泣いた。

 父さんと母さんの胸の中は、温かくて大きかった。


「フィリアっ!! よく帰ってきてくれたっ!! うぅぅぅっ!!」


 泣いている父さんをみて、複雑な気持ちになった。

 オレが帰ってきたということは、薬の入手に失敗したという事。

 父さんの死ぬ運命は変わらない。

 父さんはまだ元気そうだけど、あと一か月ぐらいで寝たきりになって、死んでしまうのだ。


「……父さんっ!! ……死んじゃ嫌だよぉぉ……!! なんでこうんなるだよぉぉっ!!」


 オレが泣き叫ぶと、父さんは困ったような泣き顔をした。


「……フィリア。すまない……。オレは言い忘れていた。お前に大事な頼みがあるんだ……」


 父さんは、そんな事を言った。


「オレの最後の頼みだ……」


 ………いやだ。

 何を、言っているんだ? 父さん。


「フィリア、お前もう一人前の医者だ。オレがお前に教えられることは、もう残っていない」


 ………うそだ。

 オレはまだ、父さんの足元にも及んでいない……


「どうか頼む、オレが居なくなった後は、お前が獣族達の医者になるんだ。……身勝手でワガママな願いだが、オレの後を継いでほしい」


 ……いやだ。

 いやだいやだいやだ……

 やっぱりオレは、受け入れられないよ。

 諦めるなんて無理だ。

 オレは父さんが大好きだ。

 この世で一番大切な人なんだ……。


「ふっ……ふざけんな父さん。遺言なんかいらねぇ。オレは……父さんの事が大好きなんだよっ!!

 父さんには命を救われた! オレに医者の生き方を教えてくれた!! 今のオレがあるのは、全部ぜんぶ全部っ!! 父さんのお陰なんだっ!!

 だからっ!! 今度はオレがお前を助けるって言ってんだろっ!! 恩返しぐらいさせろよっ!! 勝手に逃げてんじゃねぇ!!

 オレは医者だっ!! この世で一番大切なものは、死んでも助けてやるっ!!」


 オレは父さんと母さんを突き放して、小道を全速力で駆け下りていった。

 追いかけてくる気配はなかった。


 走る、走る、走る……

 とにかく走る。

 早く、もっと早く、風よりも早く。

 ずっと遠くへ、青空の上まで……







「あぁああああっ!!!」


 泣き叫びながら、呼吸を乱して走る。

 すぐに、身体に疲れが押し寄せてくる。

 当然だ。

 つい昨日までオレは、王国軍の駐屯地の地下に監禁されて、

 毎日毎日、朝から晩まで、男どものオモチャにされていたのだから。

 

「はぁ……はぁ……あぁ、あぁ……!!」


 オレは、限界がきて、近くの草むらへと寝転がった。

 全身から汗が噴きでてくる。

 喉も乾いてきた。

 お腹も空いたな……。


水素アクア


 ごくっ、ごくっ……

 オレは水魔法で、喉の渇きを潤した。


「はぁ……はぁ……ふぅ……」


 家から飛び出したままの勢いで、オレはアルム村の端っこまで、走り抜けてきた。

 日の出から時間は立っていないから、起きている人は少なかったのが幸いだ。

 泣き顔なんて、見られたくないからな……


「ふぅ………」


 朝の大空を見上げる。

 鳥の音や草の音、虫の声が入り乱れて、心地のよい風がオレの身体を優しくなでて、目じりの涙を乾かしていく。

 帰ってきたんだな……オレの故郷……


 家に帰る気は起きなかった。

 しばらく、この草むらで寝ようかな……気持ちいい……

 なんて事も思ったけれど。

 オレは立ち上がった。


誠也せいやに会いに行こう……)


 オレはアルム村を出て、山道を歩きだした。

 二つの山を越えた先に、誠也せいやが休んでいるという採掘場の旅館がある。

 まぁ、歩いていくには骨が折れる距離だ。

 今から歩いても、着くのは正午を過ぎてからだろう。

 

 一歩一歩、オレは歩みを進めていく。

 オレの心の中は、ぐちゃぐちゃだった。


 誠也せいやに会いたい。

 誠也せいやなら、また笑顔で「私にまかせろ」なんて言って、オレの手を強く握って。

 オレの悩みを全部、解決してくれるかもしれない。


 誠也せいやは、オレの本当の意味での、はじめての友達だったのかもしれない。

 オレは今までずっと、貧富の差のせいで、他の子達からは距離を置かれていた。

 オレの一番の友達は、いつも医学の勉強と小説だった。 


 誠也せいやは、オレをマグダーラ山脈に連れていってくれると約束した。 

 父さんを絶対に助けるって、オレの手を握ってくれた。


 オレは……誠也せいやを愛してる。 

 年の差なんて関係ない。


 オレは父さんを助けたい。

 そして誠也せいやと結ばれたい。

 それで全部ハッピーエンドだ。


 はやく誠也せいやに抱きしめられたい。

 あの時みたいな、甘くて濃いキスをしたい。


 そんな妄想にふけりながら、オレは山道を登っていった。 





 ★★★★★★★★


 ★★★★★★★★


 カットシーンを以下に置いておきます。

 本当は、この話の冒頭に置くつもりでしたが、残酷すぎたかもしれないので、カットしました。


 フィリアが王国軍に拷問される描写です。


 読みたい方だけどうぞ。

 

 ↓↓↓









★★


 わたし・・・は、地獄の中にいた。

 生まれたままの姿で身動きとれず、男どもに便器として使われた。


 首輪をつけられて、森の中を四つん這いで散歩させられた。

 朝ごはんは排泄物だった。 泥酔させられて、寝かせてもらえなかった。

 一人称は、わたし・・・へと強制させられた。


 男達のどす黒い欲情で、絶え間なく押しつぶされて、わたし・・・は何度も死にたいと思った。

 どんなに痛くても、疲れていても、苦しくても、臭くても、死にたくても。

 わたし・・・は必死に笑顔を作らなければいけない。 そして、心の底から誠意を込めて・・・・・・・・・・・、叫ぶのだ。

 だいすきです。きもちいいです。おいしいです。

 うれしいです。ありがとうございます。もっとください。

 

 ちゃんと心を込めて、何度も笑顔で伝えなければ、吐くまで殴られてしまう。

 わたし・・・は必死で、自分を騙す。


 これがわたし・・・のしあわせなのだと。これはきもちいいことなのだと。


 どんどんどんどん、わたし・・・が壊れていく。

 アルコールが回ってバカになる、もう何も考えられない。

 心がどんどんと死んでいく。

 ずっと寝不足、休みなんてない。

 朝早くに叩き起こされてから、夜遅くに気絶するまで。

 たとえ夢のなかさえも、わたし・・・は悪夢に犯された。


 


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