十一 佐釜 優子
「良いよ」
彼は言葉少なに自らの死を受け入れた。
(なんでよ……)
私は天使の力で光輝く剣を産み出した。
心なしか剣を持つ右腕が小刻みに震える。
「殺ってくれ。出来れば一発で」
彼はなんともないと言わんばかりに、目を閉じた。
私は彼の首を見た。
この傷一つ無い首を、今から私は切り落とすんだ。
それが一番痛みを感じる事も無く、楽に死ねるのだから。
私は剣を構え、一薙ぎに彼の首を落とせるよう両腕に力を込めた。
本当にやらなきゃいけないのか。
他に道はないのか。
考えれば切りがない。
それでも、やりたくない。殺したくない。
その気持ちが私の中で溢れて、抑えようとしても止まらない。
どうしてだろう。彼はそんなに私にとって大切な人であっただろうか。
彼は私にとってなんであったと言うのだ。
そんなの、今となっては分からない。
殺さなければならない相手と仲良くした私が馬鹿だったんだ。
考えが足りなかったんだ。
関わらなければ良かった。知りたいなんて、暴走させないようにしたいなんて思わなければ良かった。
そもそも、天使になんてならないようにすれば、あの時、帽子を拾わなければ、こんな事しなくて済んだのに!!
また涙が頬を伝う。
それでも、もう時は戻らない。
私は歯を食い縛り、目を固く閉じて、剣を横に振るった。
剣が井砂利くんの首を切り飛ばす、その直前で止まった。
私がおそるおそる目を開けると、そこには赤い両眼を持つ情念がその姿を具現化し、その大きな左腕で剣を固く握っていた。
“己の心に従え”
情念はそう訴えかけてきた。
「それじゃ…駄目なの……私がやらなきゃ違う天使がやってきて、結局井砂利くんは殺される。物凄く痛みを与えられて殺されちゃうかもしれない。いたぶられて、身体中切りつけられて殺されちゃうかもしれない。そんな事をされるくらいなら、私が、痛くないように殺す。痛みを感じないように殺す。それしか、もう私が井砂利くんに出来る事は無いの!」
私は泣き叫んだ。
「もう、井砂利くんの事救えないのよ……井砂利くんが生存する道なんて……もう、無いの……」
私はへたりこんでしまった。腕に握られていた剣はいつの間にか消えていた。
私は余りにも無力すぎる。
でも、仕方がない。相手は人智の及ぶ相手じゃないもの。
(もう、私は諦めたの。貴方を救えないって、割り切ったの……)
自分勝手なのは分かってる。でも、それ以外に出来る事は何もない。
私は小さな子供のように泣きじゃくった。
目元をぬぐう制服の袖が濡れて、頬を流れた涙が乾いて痒くなって、それでもまだ涙は止まらない。
「優しいね。佐釜さんは」
井砂利くんはそう言って、腰を屈め、膝を折った。
「私はさ、そんな風に大切されるの慣れてないんだよね。だから新鮮って言うかさ」
彼は苦しい笑みを浮かべながらそう言った。
私はその笑顔を泣き腫らした顔で見上げた。
「まぁ……なんて言うんだろ。そんな風に自分に優しくしてくれる人に苦しんで欲しくないんだ。だから………私は君には殺されない。殺されたくない。もし、殺されるんだったら、君の居ない所で君の知らない人に殺されたい。そうすれば、君は何一つ苦しむ事は無いんだからね」
なんで、そんな事が言えるの?
さっきまで貴方を殺そうとしていた女にそんなことを言わないで。貴方を殺さないといけないのに、殺せない私は、貴方の敵にも味方にもなれない、ただの弱者なんだよ………?
そんな私に出来るのは…………
「………死なないで」
「え?」
「死なないで!!」
私は叫んだ。泣き腫らした赤い顔で、井砂利くんを見据えて、思いの丈をぶちまけた。
「死んじゃ駄目!死んだら、もう本読めないよ?!もう、誰ともお喋りできないし、本について語る事だって出来ないよ!!だから、とにかく、なんでも良いから!生きて!生きて……!生きてよ………!死にたいほど辛くても……私が貴方を支えるからさ!!」
頬を伝った涙が顎から滴り落ちる。
私の言葉に井砂利くんは少し困ったように頭をかいた。
「…まぁ、そこまで言われちゃあ、そう簡単には死ねないなぁ……」
そう言って彼ははにかんだ笑顔を見せた。
「本読めないのは嫌だし、本の話できないのも退屈だし、第一、地獄に落ちても天国に行っても、本の感想や解釈の話を出来る人なんて、私には一人しか居ないしね。佐釜さんも生きてよ?少なくとも、私よりかは長生きしてよね」
彼の言葉に私は鼻をならした。
「あたぼうよ」
その時、私も不思議と口角を上げていた。
「今日さ、一緒に帰る?」
井砂利くんの言葉につい甘えたくなる私が居る。
「いや、良いよ。たぶん、今日天使の人と会うだろうから。その天使に目の前で殺されちゃうかもしれないし。そしたら約束守れないでしょ?」
実際今、この瞬間にも井砂利くんを殺そうとする天使が近くに居るかもしれないのだ。私が殺さないと言う事は違う天使に殺されると言う道しか井砂利くんには用意されていない。
私以外の誰かに殺される時に私が居てしまっては先程の約束を守れなかった事になる。そんな事は避けなければならない。他ならぬ彼の最後になるかもしれない願いなのだから。
「まぁ、そうだけど、ワンチャン守ってもらえないかなってさ」
「私、まだ正式な天使じゃないから弱いと思うし、なんの役にも立たないよ」
「そっか~、ま、もしそんな事をしても佐釜さんの立場が悪くなるだけだから止めた方がいいか」
彼はまた頭をかくと「それじゃあ、さいなら」と言って階段を下っていった。
そんな彼の影から赤い両眼が見えた。
彼の去り際、影は先程のようにぼうっと姿を現すと、こちら側にまるでお辞儀をするかのように頭を下げた。
私も反射的に頭を下げたが、私が頭を上げる頃にはもう、井砂利くんは見えなくなっていた。
これで良かったのだろうか。
私はこの後どんな責め苦を受けるのだろう。実際、こんな事になるとあの天使は想像していなかったのだろうか?
そんな事は無いだろう。向こうはこうなる事くらい予想してたはずだ。
(じゃあやっぱり、帰り道狙われるかな、井砂利くん)
「下手なラブコメは終わった?」
そんな私の思考にぴしゃりと冷や水をかけるがごとく冷たい言葉が浴びせられた。
声のした方を向くと知らない女子生徒がそこにいた。
「敵を逃がすなんてどういうつもり?」
どんなに鈍い人でも、その発言から天使だと察する事が出来るだろう。
「な、何か用ですか?」
私の問いかけに答えず、女子生徒は私に近づいてくると平手打ちをした。
バッ!
かなりの痛みが頬にほとばしる。
「何をやってるのよ?!あの人間がいつ情念に身体乗っ取られて人を殺すか分からないのよ?!爆弾で殺すかもしれないし、ナイフで滅多刺しにするかもしれない!情念がそれなりの力を得ていたら、それを使って人智を越えた犯罪を起こすかもしれない!なんでそんな事を考えられないの?!」
飛んでくる怒号と正論。
分かってはいた事だ。
殺した方が世のため人のためになると言うのも一理あると思う。
「それでも…殺せません!彼でなくとも、情念に乗っ取られる可能性があるってだけで……」
「可能性じゃない!百パーセント乗っ取られるの!!」
私の反論は怒りの込められた叫びに遮られる。
「そもそも、感情やら思いやらが姿形を持てるほど蓄積する事が出来るから、それらが力を持って、身体を乗っ取られるのよ!体質的な問題と言えば、体質的な問題で、仕方の無い事なのよ!!彼らのために毎年何人の人間が犠牲になってると思ってるの?!あんたみたいなあまっちょろい奴のせいで何人死ねば良いのよ!!」
私はもう反論できなかった。
返す言葉が見つからなかった。私は身勝手だ。理性的に考えれば、目の前の天使が言っている事は正しい。
しかし、それでも、私は、人を殺したくなかった。
(正しい決断じゃなかったのかな………)
今更ながら私はそう思う。
もう起きてしまった事だから変える事はできない。
事実として、私は彼を、井砂利くんを殺せなかった。
(てことは……この子が、井砂利くんを殺すの……?)
私がそう思った瞬間だった。
「あああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
雄叫びともうめき声ともとれるそんな叫びが階下から聞こえてきた。
聞き慣れていた声だった。
「ほら、もう爆発したんじゃない?あんたがさっき見逃したからこんなこ……」
天使が軽蔑する視線を向けながら皮肉を言った。
それが言い終わらぬうちに私は階段を駆け降りていた。
「なめてんの?怪物予備軍に情なんて持ちやがってさ」
天使はそれを見ながら悪態をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます