第8話 夜焚と心象図1

 待ち合わせ場所に指定された市役所に着くと、人混みの先に亜紗の姿を見つけた。

亜紗もこちらに気づくと手を振って、人の波を縫うようにして駆け寄る。

神輿が毎年この場所から出ることもあり、いつも閑散としている駐車場も祭りに来た人々で賑わっている。一体この町のどこに、こんなにたくさんの人が隠れているんだろうと、不思議に思うくらいだ。

「さっき神輿、出ちゃったよ」

 約束の時間に遅れて来たふたりに、亜紗が言う。

「遅くなってごめん。ちょっと出る前にいろいろあって」と、颯が両手を合わせる。

 割られた窓は、まだ職員室に残っていた教師に報告をして、応急処置だけして、修繕は明日以降ということになった。対応してくれた教師には、石が投げ込まれたことは伝えたが、それを包んでいた紙とそこに書かれていた内容については話さないでおいた。

「いろいろって何? もしかして、圭介さんが探してる手紙のこと……?」

「いや、そのこととは関係ないよ」

亜紗に聞かれ、颯が歯切れ悪く答える。

「でも、今日ふたりで探してくれてたんでしょ? 明日は、わたしも一緒に探すから」

「それは、ダメだ」

 思わず、凛太郎が口を挟む。

「……その、夏期講習があるから。俺も颯も一緒にいてあげられないし。それに、在学生以外が校内にいると、結構うるさいんだよ。ほら、こんなご時世だし」

 凛太郎は、とっさに嘘を並べた。

部室に石を投げ込んだ犯人が、また危害を加えてくるとも限らない。そんな人間がいる場所に亜紗を連れて行くのは気が引けた。窓が割られたのは、桜の下を調べ回っていることへの警告だ。一緒になって探していたら、亜紗まで狙われてしまう。

亜紗は眉をひそめ、凛太郎をじっと見つめる。凛太郎は嘘がバレたのではないかと冷や冷やしたけれど、やがて亜紗は諦めたように息をついた。

「……それなら仕方ないね」

亜紗は気を取り直して、屋台が並んでいる通りを見てから言う。

「じゃあ、焼きそば食べに行こう」

 亜紗が当たり前のように告げる。凛太郎と颯は、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。

「ふたりは覚えてないかもしれないけど、昔食べ損ねた焼きそばがあるの」

「ああ、食べに行こう」

 そう颯が答えて、3人で焼きそばの屋台を探しに、賑わう通りを歩き始めた。

あの頃、食べられなかった焼きそばを食べ、数年ぶりにかき氷の冷たさに頭をキンキンさせた。金魚を掬おうとしたけれど一匹も掬えなかったし、たこ焼きをうっかりひとつ落としてしまったけど、そんな失敗がどうでもよくなるくらいには楽しかった。

祭りの内容は、3人で来た夏とほとんど変わらないままだ。あまりにそのままで、そこを歩く3人も何も変わっていないのだと錯覚しそうだった。颯は射的が得意だが、凛太郎は的を掠めることすらない。凛太郎は型抜きが得意だが、颯はやりたがりもしない。亜紗は、ふたりが何かする度に隣でずっと笑ってくれていた。

 しばらく祭りを楽しんだところで、ふと亜紗はスマホを取り出した。

「圭介さんに、お土産なにがいいか聞いてみる」

 そう言って、亜紗は電話をかけ始めた。

「なあ、凛太郎」

 颯は亜紗と距離を少し取り、聞かれないように声を落とす。

「あのこと、亜紗に……」

おそらく部室での一件のことを言おうとしているのだろうと察する。

「亜紗には言うな」

 凛太郎は、颯の言葉を遮った。

「だって凛太郎、探し続けるつもりだろ?」

「もちろん。だから、亜紗には言わない。言ったら止められる」

「当たり前だろ。危うく凛太郎、怪我するところだったんだ。さっきは窓が割れただけで済んだけど、次はどうなるかわからない」

「そうだね、颯はもうやめた方がいい。また怪我でもしたら、部活に戻れなくなる」

「そういうことじゃないだろ。俺だって……やめるつもりはないよ。凛太郎が探すなら、俺も続ける。でも、亜紗には本当のことを話そう。事件かもしれないことも、それを探られたくない誰かが妨害しようとしてることも」

「ダメだ。止めても聞かないってわかったら、亜紗はそれなら自分も絶対に一緒に探すって言い出す。危険があるってわかってて、そんなことさせたくない」

「それは、亜紗が決めることだ。俺たちが今一緒にいるのは、小4の亜紗じゃないんだよ?何も知らないまま、怪我でもしてみろ。そんなことになったら結局、亜紗は傷つくんだよ」

「だからって、颯は亜紗に何かあってもいいのかよ」

 颯が引かないので、凛太郎もついムキになってしまう。

「そんなこと言ってないだろ」

「言ってるようなものだろ。何かあってからじゃ遅いんだよ。そんなことも、わからないのかよ」

「わかってないのは、凛太郎の方だろ。凛太郎こそ、亜紗の気持ちを……」

 颯が言い返そうとしたそのとき、どっと人の波が押し寄せた。

とっさに亜紗を探したが、話に夢中だったせいか、いつの間にか距離が開いている。亜紗がスマホを耳に当てたまま振り返るが、その手からスマホが零れ落ちた。あっという間に、人混みにのまれて、その姿を見失う。颯が地面に落ちたスマホを拾い上げようと手を伸ばしたのが見えたが、それも人の影になってしまった。押し出されるようにして、凛太郎はそのまま颯ともはぐれてしまった。

 ひとまず、なんとか人混みから抜け出したところで、ポケットに入れてあったスマホが震えた。颯からの電話だ。

「凛太郎、今どの辺? 亜紗、そっちにいないよね?」

 どうやら3人ともバラバラになってしまったようだ。

「いない、見失った」

「亜紗のスマホは拾ったんだけど、これじゃ連絡が取れない」

「手分けして探そう」

「そうだね。俺たちは連絡取り合えるし、見つけたら電話するってことで」

「わかった」

 話は終わったものの、凛太郎も颯も電話を切らなかった。

「……さっきはごめん」

 先に謝ったのは、颯だった。

「いや、俺こそごめん。ムキになった」

 お互いに亜紗のことを想って言い合いをしていたつもりが、こうやって見失なってしまっていることが、なんとも情けなかった。成長していない自分にほとほと嫌気がさす。

「……でも、さっき言ったことを変えるつもりはない。手紙は探し続けるけれど、亜紗には言わない」

 存外、自分もかなり頑固なのかもしれいないと、凛太郎は思う。

「じゃあ、先に亜紗を見つけた方の言うことを聞くっていうのはどう?」

 さっきよりは明るい声で、颯が持ちかける。

「いいけど、それ俺に分があると思わない?」

「思ってて言ってるんじゃん。亜紗も不安だろうし、早く見つけてあげよう」

 そう言って、今度こそ颯は電話を切った。



 凛太郎は、祭りの会場を離れて、いくつか路地を抜けた。つい先日、亜紗と再会したあの神社までの近道をするためだ。

 石段を上りきると、境内の片隅に座り込んでいる亜紗を見つけた。

「亜紗」

名前を呼ぶと、亜紗が顔を上げる。少し驚いたように目を瞬いたけれど、すぐにほっとしたように表情を和らげた。

「凛太郎……ごめん。スマホもなくしちゃって、連絡できなくて……」

「スマホなら颯が拾ったみたいだよ」

「そうなんだ。お礼を言わなくちゃ。颯は?」

「手分けして探してる。たぶん、市役所じゃないかな。はぐれて連絡も取れなくなったら、待ち合わせ場所に戻るだろうって考えるだろうし……」

「そっか、その手があったね」

それから颯に電話をかけ、見つけたことを報告した。「早っ」と驚きつつも、すぐにそっちに行くと言って颯は電話を切った。

凛太郎も亜紗の隣に腰を下ろして待つことにする。

「凛太郎は、どうして神社にいるってわかったの?」

「なんとなく……亜紗、何かあったら神社に来るから」

「そうかも。神社に来ると、不思議と落ち着くんだよね……」

「……亜紗は、いつまでこっちにいられるの?」

「そんなに長くはいられないんだ。明後日には、もう東京に戻る予定。お父さんとお母さんにはちゃんと挨拶してから帰るよ」

「そっか。もうすぐだったな……」

あと数日も経てば、亜紗の両親の命日だ。お墓参りをしてから、東京へ戻るのだろう。それまでに、できることは全てしておきたいと凛太郎はこっそり考えた。

「お父さんとお母さんも鳥居に思い出があるんだって、よく話してたんだ。だから、わたしも神社が好きなのかも」

 亜紗は眉を下げて微笑んでから、ふと真面目な顔になった。

「……ねえ、凛太郎。わたしに何か隠してない?」

 いきなり突きつけられた問いかけに、凛太郎は小さく心臓が跳ねた。

「別に、何も隠してないよ」

 できるだけ平静を装って答える。自分でも、さり気なく返せたつもりだった。

「嘘だ。絶対に何か隠してる。凛太郎と遊んでたのはもうだいぶ前だし、そこまで長いこと一緒にいたわけじゃないけど、わかるよ。だって凛太郎、嘘つくの下手だもの」

 凛太郎は表情に出さないように気をつけたが、内心かなり慌てていた。そして、迷っていた。本当のことを言うべきか。

 はぐれる前、颯はなんて言おうとしていただろう。「亜紗の気持ちを」そう言いかけていた。それに続く言葉は、きっと『考えろ』だ。

「何かあるなら、教えて欲しい」

 亜紗が強い眼差しで、凛太郎を見つめる。

 すべて話そうと思った。亜紗が望むなら、一緒に探せばいい。

 それでも、部室でのことが頭を過ぎり、首を横に振った。

「……いや、何も隠してないよ」

 そう告げると、亜紗の瞳がわずかに揺らいだ。

もし、危険なところに足を突っ込んでいたと後で知って亜紗が怒ろうが、亜紗の身に何かあるよりいい。

少なくとも、後悔しない選択をしたつもりだった。

「……そっか、そうだよね」

 亜紗はそれ以上問い詰めることもなく、微笑んだ。けれど、その表情はどこか寂しさが滲んでいた。目の前の亜紗の微笑みが、この町を離れる日に見せたものと被る。

 石段を上ってくる足音が聞こえ、亜紗が腰を上げた。

「颯、来たかも」

 すると、すぐに颯が現れた。

「……凛太郎。わたし、これで最後にするから」

「最後って?」

「凛太郎に見つけてもらうの、最後にする。だから、もう探さなくて大丈夫だよ。凛太郎が探さなくても大丈夫なように、頑張るから」

 亜紗はそう言って、颯のもとへと向かった。境内を吹き抜けたぬるい風が頬を撫でる。

 心を探すのは、いつだって難しい。またひとつ後悔を重ねそうな予感に、妙な胸騒ぎを感じた。

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