第7話 夕立と投影4

北西にある野球場の辺りの桜の木を数え、これで敷地内はすべて回ったことになる。使ったシールの数も、学校内にあるはずの木の数とちょうど合っていたた。

「よし、終わったー!」

 颯は達成感から、両腕を空に突き上げて身体を伸ばす。

「さ、この下、全部掘り返すか?」

 凛太郎は顔が引きつらせたのを見て、「冗談だって」と付け足す。

「とりあえず、部室に戻ろっか」

凛太郎は、颯と野球場の脇の通りを歩き始めた。グラウンドでは、まだ野球部の部員たちが練習に励んでいる。

凛太郎は、颯の右腕の包帯をちらっと見る。颯は今、どんな思いでこの道を歩いているのだろう。

 そのとき、カキンと軽快な音がしたかと思うと、目の前に野球のボールが転がってきた。

「あ、ラッキーボールだ」

 颯がボールを拾い上げながら呟く。

「ラッキーボール?」

 凛太郎が聞き返すと、颯はボールを見せるように掲げる。

「ほら。甲子園に行った先輩のサインボールなんだよ。あやかってるってわけ」

「あやかってるのに、普通に練習に使ってるんだ」

「そうしろって先輩も言ってたからね。飾っておいたって、腕が上がるわけじゃないし。このボールを使って、練習に励む。それが俺たちなりの返し方なんだよ」

「なるほどね……」と、凛太郎は曖昧な返事をする。運動部のことは、縁がなさ過ぎてよくわからない。

 すると、「すみませーん!」と、野球部の部員がグラウンドの方からやって来た。部員は1年生なのか、相手が颯だとわかると、帽子をさっと脱いで頭を下げる。

 颯は右手でボールを軽く握り直したものの、包帯を見つめてから、その手を凛太郎の方へ差し出した。

「代わりに投げてやって」と、目も見ずに言う。

 凛太郎は仕方なくボールを受け取ると、大きく振りかぶる。強く地面を踏み込み、ボールを投げ放った。しかし、待っている1年生に向かってまっすぐ投げたはずなのに、ボールはまるで関係ない方向へと飛んでいく。

「あ~~~…………」と、颯はボールを目で追いながら間延びした声を上げる。

 ボールは大きな放物線を描き、木の茂みに着地した。枝に引っかかってしまったのか、ボールはいくら待っても落ちてこない。

「……どうしよう」

「ま、大丈夫」

 颯は笑いを堪えながら言う。

「いや、大丈夫じゃないでしょ。ラッキーボール! あやかってるんだろ?」

 運動部のことはよくわからなくても、大事なボールだというのはわかる。責任を感じ、凛太郎は慌てふためいた。

「そのうち、落ちてくるよ。凛太郎に任せた俺の責任でもあるし」

 そう励ましてから、颯は立ち尽くしたままの1年生の部員に声を張り上げる。

「ごめーん! あとで、見つけておくから!」

 1年生の部員は、もう一度さっと頭を下げて練習へと戻って行った。

「いやあ、大暴投だったね」

 野球場から離れても、颯はまだ半笑いだった。ここまで引っ張られると、悔しさよりも恥ずかしさが上回る。

「仕方ないだろ。どうやったら、ボールが思い通りの方向に行くか、わかんないんだから。どこで手離すとか、どれくらいの力込めるとか、なんでみんな当たり前のようにできるんだよ……」

 凛太郎が神妙な顔で言うと、颯がひと笑いする。けれど、不意に寂しそうな顔になった。

「……まあ、俺だってよくわからないけどね」

 小さく呟くように吐き出された言葉に、凛太郎は息を詰める。次の言葉を静かに待っていると、やがて颯は右腕に目を落としながら続けた。

「凛太郎、気づいてると思うけど……手首の怪我、もう治ってるんだ」

 やっぱりそうかと思いつつも、凛太郎は肯定も否定もしなかった。

「医者からも、もう練習に戻って大丈夫だって言われてる。でも、怪我が治ってから、ひとりでピッチングをしてみて気づいたんだ。狙った場所にボールが投げられなくなってるって……腕に問題はないはずなのに、前みたいにできないんだ」

 いい言葉が見つからず凛太郎が黙ったままでいると、颯が眉を下げて笑う。

「こんなんでも、まだ居場所あるかな?」

「当たり前だろ」

 その問いかけだけには、即答できた。

「そうかな……」

「そうだよ。颯のこと、みんな待ってるはずだって」

「でもさ、俺がいなければ、その分誰かが試合に出れる。案外、帰ってこない方がいいって思ってるやつだっているかもよ?」

 いつも飄々としている颯にしては、弱気な発言だ。笑っているけれど、崩れそうな何かを必死で隠しているようようだった。

「それでも俺は、みんな颯のこと待ってると思うよ」

「ずいぶん、はっきり言い切るんだね」

「だって、颯ってみんなから好かれるタイプだろ。いつも周りに人がいるし……」

 幼い頃から見てきた颯は、ずっとそうだった。今でもそうだし、これからも昔の颯のままでいて欲しい。

「……颯、いつもヒーローみたいじゃん」

 思わず、本音がぽろっと零れる。すると、颯が唖然としたように口をあんぐりと開けて、凛太郎を見つめた。少し遅れて、なんだかとても小恥ずかしいことを言ってしまったことに気づく。

 颯のことは純粋に尊敬しているし、憧れている部分もある。それは本心だ。でも、だからってヒーローはないだろう。珍しく颯が弱っているから、いつもなら胸に閉まっておくことまで、口をついて出てしまった。

「え、何? 凛太郎、そんなふうに思ってくれてるわけ?」

「いや、だから例え話っていうか……颯は野球が上手いし、人望があるからエースなわけで、気にしなくていいんじゃないってこと。そのうち、前みたいに投げれるようになるよ」

 誤魔化しながらも、これも本心だ。励ましたくて言ったつもりだったけれど、なんだか薄っぺらく感じて、さらに気恥ずかしくなる。

「めっちゃ褒めてくれるじゃん。珍しく凛太郎が優しい……」

 颯がわざとらしく感動した素振りをする。

「もう二度と褒めない」

「じゃあ貴重な言葉として受け取っておくよ」

 颯がいつものような快活な笑顔を浮かべる。

「でもさ、誰かを救うヒーローがいるんだとしたら、それは凛太郎みたいな人だと思うよ」

「……なんだよ、それ」

「ちょっと、本気で言ってんのに」

 軽く受け流したものの、一緒にいた時間が長いせいで、颯が本心から言っているのがわかってしまった。それが余計に、凛太郎を照れくさい気持ちにさせた。



 部室の窓から見える空は、すっかり暗くなっていた。

途中で休憩を挟んだとは言え、ほぼ1日中、学校を歩き回っていたのだ。慣れない作業だったからか、普段部活で鍛えている颯も椅子にもたれかかっていたが、メッセージが届いた着信音が聞こえスマホを手に取った。

「亜紗が祭りに行こうだってよ」

 颯がメッセージを読み上げる。

「颯、行ってきなよ。俺、まだ少し考えたいから」

 凛太郎は、机の上に広げてあった地図に目を落とした。

「メッセージ、ちゃんと言い直すよ。亜紗が、“3人で”祭りに行こうだって」

「俺はいいよ。人混み、苦手だし」

「……凛太郎、なんか焦ってる?」

「当たり前だろ。亜紗が帰るまでには、見つけたいんだよ」

「でも、亜紗が帰ったら、一緒に遊ぶこともできなくなるよ?」

「じゃあ、後で合流する」

「ダメだよ。凛太郎をひとりにしておくと、朝まで地図を眺め続けるだろ」

 そんなことはしないと言い切れないのが、痛いところだ。

「それに、焼きそばが可哀そうだろ」

 凛太郎は思わず、また始まったと言いそうになる。

「なんで、焼きそば?」

 聞き返したものの、なんとなく思い当たるものはあった。

「亜紗が転校した年も、祭りに行ったの覚えてる? そのとき、焼きそば食べ忘れたから、来年は絶対に食べようって約束したじゃん」

 もちろん記憶にはあるけれど、まさか颯まで覚えているとは思っていなかった。

「……亜紗はたぶん覚えてないと思うよ」

「亜紗が覚えてなくても、焼きそばは食べたがられてる」

「いや、さすがに意味がわからないんだけど」

「食べられないままでいる焼きそば、超可哀そう」

颯の可哀そう戦法を凛太郎は覆せたことはない。だって、理屈じゃないのだから。こういうときの颯に何を言っても無駄なのだ。

「わかった、行くよ」

 諦めて言いながら、時計を見る。

「どうせ、図書館ももう閉まっちゃったし……」

「図書館で何調べるつもりだったの?」

「亜紗の叔父さんの幼馴染について。地図は今のところ手詰まりだし、埋めた本人について調べて見るのがいいかなって。図書館に過去の文集とか残ってるかもしれないし」

「それなら、叔父さんに直接、聞いた方がよくない?」

「そうなんだけど……行方不明になった経緯とか、聞きにくいから」

 すると、颯も神妙な面持ちになる。

「それもそうだな……行方不明ってさ、事故だったのかな。それとも事件?」

「わからない……」

 行方不明というのは、それすらわからないということだ。

 本来の目的は、手紙が埋まっている場所を探すことだから、行方不明の件はあまり考えないようにしていた。けれど、本人について知ろうと思うなら、その件について調べてみる必要があるのかもしれない。

「事件についてなら、ネットに何か出てないかな。凛太郎、調べてみた?」

「うん。ネット記事がいくつかあったけど、詳しくは書いてなかった。ただ、最後に目撃されたの、この学校だったみたいだよ」

「え、それってさ……」

 そのとき、会話を遮るように、ガシャンという大きな衝撃音が響いた。ふたりの肩が大きく跳ねると同時に、凛太郎のすぐ後ろを何かが掠める。次いで、壁に何かがぶつかる鈍い音がした。

 あまりに唐突な出来事に言葉を失いながら、まず窓に目を向ける。窓には大きな穴が開いており、粉々に砕けたガラスの破片が床に散らばっていた。

「窓が、割れた……?」

 颯の呟きに、凛太郎は反対側に落ちているものに目を向けて静かに否定する。

「いや、割られたんだ……」

 凛太郎は立ち上がって、床に落ちていたものの前にしゃがむ。紙に包まれたそれを、そっと手に取ってみれば、ずしりと重みがある。紙をはぎ取ると、中には大きな石が入っていた。

「凛太郎、その紙、何か書いてある」

 言われて、凛太郎は石をくるんでいた紙を広げてみる。そこには、赤い文字で『過去を探るな』と書かれていた。

「これって……」

 颯の声が、静かな部屋にやけに響く。

「……警告だ」

 心臓がどくどくと音を立てているのに、頭の中はやけに静かだった。

「俺たちに過去を探られたくない人からの」

「過去を探られたらって……俺たちが探してるの、ただの手紙だよ?」

「そうだけど、そう思ってない人がいるのかも。俺たちが学校の中を調べてるから、過去の事件を追ってるんだと、勘違いしてるんじゃないかな。敷地内を探られると、都合の悪い人が……例えば、ほら、桜の木の下を掘り返されたら困る人、とか」

 凛太郎は、立ち上がって机の上の地図に目を向けた。朝は線だけが描かれていた地図に、今は桜の木の場所を示すシールが散らばっている。

「ねえ、颯……この学校に埋められているもの、手紙だけじゃないのかも」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る