SS アンデッド・パーティ(後編)
「僕はリック、こちらは……」
「カティです。よろしくおねがいします、ええとモーシェルスクさん」
以前バザールでデートしたときに使った偽名を答える。もし名前を訊ねられたらそうしよう、と打ち合わせておいたものだ。
「リックにカティか。よろしく。どちらもニックネームみたいだが」
「あまり知り合いを増やしたくなくてね、正式な名を名乗る気は無いんだ。何しろ同族と関わると面倒が多いと思っているものだから」
「おや、ヴァンパイアは助け合った方がいいぞ。ゼウトスはまだ居心地が良いが、なにしろ我々はか弱いからな。……カクテルはほら、あの奥のテーブルにある。君の嫌いな同族が沢山集まっているが、取ってくるかい?」
「結構。カティ、行くぞ」
カトリーヌの右手を取り、王子はモーシェルスクから離れようとする。
と、空いていた左手を急に掴まれた。モーシェルスクの、固く血の通わない手で。包帯を巻いておいたので、生身の皮膚に触れられることは避けられた。しかし、長く握られていれば生者の体温に気づかれてしまうだろう。
「あの、離してくださいませんか?」
「ふむ」
モーシェルスクが手をしげしげと見つめるものだから、緊張して手のひらに汗をかきそうだ。彼の長く伸びた爪はナイフのように鋭利で、包帯越しでも恐ろしい。
「美しいゾンビのご令嬢。本当に生まれたてのようですね。まるでさっきまで生きていたみたいに、柔らかい手をしている。花嫁としてお迎えしたくなってしまうくらいにね」
ぎらり、と虹彩の薄い瞳が光る。獲物を見る目だ。
カトリーヌが動けなくなったそのとき。
「彼女に触れるな、彼女は僕のだ」
低い声が響いた。王子の、聞いたことが無いほど低く、冷たい声が。
風もないのに、王子の燕尾服の裾が揺れる。全身から冷気が漏れ出し、周囲に空気の塊をいくつも浮かべている。
「お前が手を離さなければ、この空気の弾を会場で破裂させる。自慢のホールが崩れるぞ」
水の気の応用なのか、冷気により空気の膨張率を操っているらしい。
ヴァンパイアにとって大して恐ろしい攻撃ではないだろうけれど、陽光を避けて眠らなければならない彼らにとって、館を壊されるのは痛手だろう。
「フェ……じゃないや、リックさん。その辺で……」
「サージウス。僕は今、この無礼なヴァンパイアに話し掛けている。黙っていてくれ」
緊張が走るが、それは一瞬のことだった。
モーシェルスクが、降参というように手を離したのだ。さらには。カクテルグラスを持ちながらではあるが、両手を上げた。
「失礼。少しはしゃぎすぎましたな。美しい王子と王女が、我らのパーティに来てくださったのが嬉しくてね」
「! え? バレてたんですか?」
「違う、カマかけだカトリー……ヌ。あ……」
二人同時にボロを出すと、モーシェルスクはやってやったというようにニヤリと口角を釣り上げた。視界の端では、サージウスが兜の額に手をあてている。あちゃあ、とでも言いたげに。
「他の種族はそうでもないですがね、我らは少し匂いに敏感だ。とくにカトリーヌ王女のような、乙女の香りにはね。まあそこだけ注意して、適当に楽しんで行くとよろしいかと。フェリクス様は、もう少し余裕をもってエスコートされた方がよろしいかな」
「何? どういう意味だ」
「見せびらかすと、取られるかもしれないということです」
「ほう? 誰にかな?」
バチバチと見えない火花が散っている気がして、カトリーヌは気が気ではない。ちょっとパーティを楽しみたいと思って潜入しただけなのに、こんなことになるとは。
「わ、私は大丈夫ですし、モーシェルスクさんもご忠告下さったんですよね! さ、フェリクス様行きましょう! 私、あちらにあるお料理のテーブルが気になります!」
王子の腕を引いて伝える。とにかく早くこの二人を離さなくてはという思いで必死だ。
その様子をしげしげと見ていたモーシェルスクは、ある一瞬に唐突に緊張を解いた。
そして、その場で膝をついたのだ。
なにごとか、と目を丸くするカトリーヌに、彼は言った。
「色々と失礼をいたしました、平和の王女。どうにも我々ヴァンパイアははどこに行っても落ち着けない立場ゆえ、慎重に試さざるを得ないのです。今度、ゆっくり愚痴でも聞いてくれませんかな。どこにでも参じますゆえ」
「あ、はい。公務としてでしたら、是非」
「それは良かった」
そう言って優雅に手を取……られそうになったところで、王子がカトリーヌを後ろに引いた。王子の胸に背中が当たったかと思うと、後ろから腕が回される。
「正式な申し出であれば、後日受け付けよう。では」
そう言ってそのまま、少し強引に王子によって引きはがされたのだった。
去り際、モーシェルスクが声を抑えることもせずくつくつと笑うのが聞こえた。併せて、「やはり余裕が足りませんな」という言葉も。
ヴァンパイアというのは、なかなか癖が強いものらしい。と覚るカトリーヌだった。
「カトリーヌ! 君はまた安請け合いを!」
「そうですよ、あんな奴の話聞くこと無いですよ!」
ホールを歩くカトリーヌの隣から、後ろから。王子とサージウスがやいのやいのと言ってくる。
しかしカトリーヌとて、なにも考えずに安請け合いをしたわけではない。
ヴァンパイアの立場は、なんとなく、母親であったミレイユの一族――流浪の一族に似ているように思えたから。
どこにでも行けるが、どこにも落ち着けない。彼らはそういう生き方を厭うているわけではないだろうけれど、ゼウトスに居る間、その悩みに耳を貸すくらいはしたい。
「……実際、ヴァンパイアは生者とも死者ともつかない立場なんでしょうから。それに、お話しを聞いた方がゼウトスのためにもなります。力があり、結束力のある種族がゼウトスにとどまり、居心地がよいと思えばそこを守ろうと動くこともあるでしょう」
先見の力を自覚してからというもの、考えることがある。
他の先見の能力者は、どこでどう生きているのかと。
母であるミレイユのように不幸になってはいないか。力のある一族でも、母のようにはぐれてしまえば、待ち受けるのは過酷な運命だ。
そういうことを、ぽつりぽつりと語る。
不自然に思われないように、テーブルから鮮やかな液体の入ったグラスを取りながら。それをゆっくりと揺らしてみながら。
見たこともない派手な青色のこれは、どんな果物の果汁なのか。それとも、花かハーブの色か。
そんなことを想いながら。
王子とサージウスは、カトリーヌの話に丁寧に耳を貸してくれた。そして、最後には納得してくれたのだった。
「それでもあのモーシェルスクが、変態吸血鬼だって印象は変わらないですけどね!」
とは、サージウスの言ではあるけれど。それでも納得してくれたことには変わらない。
「君は、息抜きのパーティで公務の予定を増やすんだから困りものだ」
こちらは、王子の言。それはカトリーヌ自身も苦笑するしかないわけで。
「でも、ゼウトスの皆さんのことを知って、考えている時間って、いちばん充実している気がします」
「まあ、そんなところも、君らしい」
ふと二人の視線が絡んだ。気づけば、アンデッドの楽団が奏でる音楽はゆったりとしたリズムのものに変わっている。
音楽に身をゆだねるように、カトリーヌが王子に寄り添う。
王子はその肩を抱きながら、胸ポケットの赤い薔薇を取った。それを、カトリーヌの髪に絡ませてある刺繍糸製の蜘蛛の巣に添えて飾る。
やっとパーティらしい時間が、流れ始めた。
「楽しいか? パーティ」
「ええとっても。連れてきて下さって、ありがとうございます」
王子に寄り添い、無意識に手元のグラスを揺らす。
そのまま口に含んで……次の瞬間、思い切り噴き出すことになった。
「カ、カトリーヌ! 大丈夫か!」
「これ、な、なんですか⁉」
「インクを溶かしただけの水だぞ! アンデッドたちは生者の真似をするだけだと言っただろう!」
「言っておいてください!」
「いや、まさか飲むとは……!」
「有ったら飲みます!」
王子とカトリーヌの様子に、周りもなにごとかと騒めきだす。
「そろそろ頃合いっすね。帰りますよっ!」
サージウスが言うと、三人は急いでホールの外に駆け出したのだった。
【書籍化】無才王女、魔王城に嫁入りする。 ~未来視の力が開花したので魔族領をお助けします!~ 髙 文緒 @tkfmio_ikura
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