【書籍刊行日SS】初めての朝食

 魔王城に嫁いだ翌朝のこと。

 明け方の淡い光の中でカトリーヌは頭を抱えていた。


「凄く、凄ーくすっきりとした目覚めだわ……熟睡したみたい……」


 彼女は自分で自分にあきれていたのである。なぜかというと。

 

 結婚初日の夜におやすみの挨拶だけをして出て行った王子の気持ちとは⁉ とか、慣れないベッドではうまく眠れないわ。とか、来たばかりの城で一人の夜を過ごすのは恐ろしいわ。とか。


「そういうの無かったのかしら私。疲れていたとはいっても!」


 思わず大きな声で独り言をこぼす。

 とそこに、ノックも無しにドアをバァン! と開けたチェリーたちがなだれ込んできた。それぞれに櫛やらタオルやら洗面用のお湯やらを持っている。

 手ぶらでただ、ぴょこぴょことおさげを揺らしている子たちもいるのはご愛敬。


「カトリーヌさまー朝のしたくだよー」

「誰かとしゃべってたのー?」


 わらわらと寄って来て、口々にたずねるチェリーたち。彼女たちに手を引かれるままにベッドから降りると、そのまま鏡台の前に連行された。


「ええと、なにか言っていたかしら? 寝ぼけたのかもしれないわ」


 鏡の中には血色のよい自分の顔が映っていた。良質な睡眠は美容に良いって本当だなあ、とあきれるくらいに元気そうな顔が。


「怖い夢みたのー? よしよし、だよー」


 椅子に座ったカトリーヌのあたまを、一人のチェリーが撫でてくれる。 


「ふふ、大丈夫よ。ありがとう」


 無邪気なやさしさに、自然と頬がほころぶ。


(朝から元気のない顔をフェリクス様にお見せするより、良かったのかもしれないわね)


 そう思い直して、されるがまま身支度をされるカトリーヌだった。




 朝食のために案内されたのは、こじんまりとした食堂だ。

 入ってすぐ、先にフェリクス王子が着席していたのを目にして、慌てて席につく。


「すみません、お待たせいたしました、ですわ」


「いや今来たところだ。よく眠れたようだな」


 顔を合わせてすぐ、王子はわずかに目を細めて言った。


「え、ええ、とても寝心地の良いベッドで……はい」


「それは良かった」


 少しの気まずさを覚えながら答えるカトリーヌだったが、王子は平然としている。


(昨日のことって、どういうおつもりなのかしら。全然分からないわ)


 王子は口数が多い方ではないらしい。話題が途切れ、チェリーたちが朝食を運ぶ音だけが響く。 

 なんとなく居心地が良くない。昨日のことを訊ねたくなってしまう気持ちをおさえて、別の話題を探すことにした。


「朝食は広間と違う部屋でとるのですわね。陛下と王妃様は、」


 と言いかけて、席が二つしかないことに気が付いた。


「ここは僕と貴女、夫婦の食堂だ。特別な時以外は、夫婦で食事をとる。ゼウトスでは食事というのはとてもプライベートなものだからな。子供も十歳を過ぎたら夫婦とは食堂を分ける」


「十歳で⁉ では今までフェリクス様はずっと一人でお食事を?」


 思わず椅子から腰を浮かすカトリーヌのもとに、かごに盛られたパンとゆで卵、紅茶にジャムなどが運ばれてくるが、それどころではない。


「ああ、ここは元々僕の食堂だ」


「僕の食堂⁉」


 そんな寂しい事があるだろうか、と思うカトリーヌだが、王子にとってはそれが普通なのかもしれない。その証拠に、王子は不思議そうな顔をしている。


「どうした? 食べないのか? 僕は貴女の食べる姿が好きなのだが」


「好っ、あ、はい。どうも……」


 王子がパンを渡してくれたので、流れで受け取ってしまったカトリーヌだ。


 釈然としないままパンをちぎり、口に運ぶ。白くて柔らかいパンは貴重だ。昨日の晩餐でも美味しさに感動したことを覚えているが、その翌日にまた食べられるとは思わなかった。

 うっとりとパンを噛みしめていると、王子と目があった。目尻をわずかに下げてカトリーヌを見ている。


 意地汚いと思われたかしら、とドキドキしていると、王子もパンを口に入れた。


「ふむ、昨夜も思ったが、今日も特別美味いな。パンは毎日食べているのだが」


 フェリクス王子が顔を上げて言う。


「それは、誰かと食べると美味しいというものではないでしょうか、ですわ」


「なるほど。あと、朝食が楽しみで今朝は食堂に早く来てしまった。なぜだろう。結婚すると腹が減るようになるのだろうか」


「それは……なぜでしょうね?」


 首を傾げるカトリーヌとフェリクス王子。


 愛しい人と食べる食事はとびきり美味しい。そんな答えに二人がたどり着くのはもう少し先のお話。

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