【SS】王子の嫉妬

 エリン兵返還のための出立を明日に控えていた日のこと。

 カトリーヌはすっかり掃除しつくしてしまった城内をうろついていた。

 

 掃除『魔』とはよく言ったものである。

 どこかにまだ磨き残しは無いか。埃は落ちていないか。悪魔に取りつかれた者のように、ただならぬ雰囲気をまとって見て回っていたのだ。

 

「カトリーヌ様どうしたんすか」


 音も無く現れたのは首なし騎士サージウスだ。


「どうもこうも……明日からのことを考えて落ち着かないの。だから掃除をしたいのだけれど……」


「カトリーヌ様が全部磨いてしまった、と」


 呆れた様子で答えるサージウスの鎧にカトリーヌの視線が止まった。


「サージウスさん。鎧が曇ってますね?」


「へ?」


「うん、曇っています。どう見ても、磨きどきです」


 じりじりとカトリーヌが距離を詰め、サージウスは後退する。


「ちょ、え?」


「磨かせて下さいっ!」


「いやっ! 婿入り前なのでっ!」


「大丈夫です! きれいにしてあげますから! ね!」


 カトリーヌの声のあと、サージウスのか細い悲鳴が通路に響いたのだった。


 


 翌日早朝。エリン王国への出立に向け、王子と四騎士が馬を集めていた。

 ゼウトスの兵士たちは、離れたところでまたそれぞれに馬の手入れや道具の確認をしている。


「サージウス、お前随分と鎧が光っていないか?」


 朝日を照り返すサージウスの鎧について、王子が目ざとく指摘した。


「そっすかね、いつも通りですよ」


「いや、磨かれている。ピカピカに磨かれている。ピカピカといえばカトリーヌだ」


 ジトッとした目で見つめられ、サージウスは降参するように両手を挙げた


「実は昨日カトリーヌ様につかまって酷い目に合いまして……って王子、近い近い近い! そんなに睨まないで下さいよ」


「いいか、サージウス。僕は今、嫉妬を覚えている。よってお前に絡むことにする。それはもう鬱陶しく絡む」


「え~! 嫉妬ってなんすか! 全身雑巾みたいなもんで擦られたんですよ! 『心を落ち着けるには金属を磨くのが一番ね!』なんて言うんですから」


「何だそれは! 羨ましいではないか! 僕はカトリーヌから何も聞かされていないぞ! 落ち着かないなら僕のところに来るべきではないのか⁉」


「知らないすよ。王子は忙しそうだから遠慮したんじゃないすか、って、腕抜ける! 腕抜けますって! アンデッドだからって雑に扱うのはアンデッド差別ですよ!」


「遠慮することなどないのに……カトリーヌ。エリン王国には良い思い出もないだろうに、なぜ突然ついてくるなど言い出したのだろうか。そんなにも僕が頼りないだろうか」


 サージウスの訴えは耳に入らないようで、王子はサージウスの腕を固めながら憂い顔を作る。


「ちょっと、急にひたらないでください。ていうか夫婦揃って俺で発散しないでくれます⁉」


 たまらずサージウスが声を上げたちょうどそのとき、カトリーヌがトランクを手に城から出てきた。

 緊張した横顔に朝日が差し掛かり、常とはちがう張り詰めたような美しさを放っている。


「ああ、昨夜ぶりのカトリーヌ。いつもの柔らかな雰囲気もいいが、凛々しい旅装もまた良いものだな」


 ほう、と溜息をついて王子が呟く。サージウスの腕は相変わらず固めたままで。


「見惚れるなら俺の腕を離してからにしてくださいってば! ああもう、面倒くさい夫婦!」


 哀れな騎士の訴えは、むなしく空に吸い込まれていった。





 その様子を、カトリーヌは離れたところから眺めていた。いつも仲の良お二人だけれど、あれほど距離が近かったかしら、と。

 よくよく見ると、喧嘩をしているようにも見える。小さな子供がするような取っ組み合いに。

 そうだとしても、事情も知らない自分が割り入るのも違う気がする。せめてあのようになった理由が分かれば、と思っていたときだ。

 一足早く支度を終えたアマデウス将軍が、こちらに歩いてくるのが見えた。


 ――二人の近くにいらした将軍なら、何か聞いているかもしれないわ。


「あの、アマデウス将軍!」

 

「おお、カトリーヌ殿! 準備は万全といったところですかな!?」


 声をかけると、将軍は快活そのものといった調子で挨拶を返してくれる。


「はい! 皇子に無理にを言って同行をお願いしてしまって、すみません。道中はご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします!」


「いやいや、何も気にされることはありませんぞ! エリン兵を安心させるためとの心遣い、我も心打たれましたぞ」


「とんでもないです! ……あの、それで、ちょっとお聞きしたいことがありまして」


「ふむ、なんですかな?」


「あちらのお二人はなぜあのようなことに……? 喧嘩でもなさっているんでしょうか?」

 

 サージウスと、サージウスの腕をとって固まったままの王子を指さしながら問う。

 と、将軍は呵々大笑かかたいしょう、地を震わせるほどの声で笑った。


「ぬはは! そうですな、レディに聞かせるにはいささか見苦し……いや、汗臭いものでしてな」


「ええと、それは、喧嘩とは違うのですか?」


「ふむ。知らずに居るも情けですぞ。嫉妬は女人の専売特許ではありませんでな、男の嫉妬というのは非常に……とと、これ以上はお許し下さい。王子に恨まれてしまいますのでな」


「……? はあ」


 いまいち納得のいかないカトリーヌが首を傾げると、将軍は片目をつぶって見せる。


「つまりは熱情を持て余しておるわけですな!」


「ああ! 分かりましたわ! 大事を前に気合を入れているのですね!」


「ぬっ、ぬはっ! ぬははは! それはいい! そのようなものでしょうな!」


 手を打ってカトリーヌが答えると、将軍は息を詰まらせる勢いで笑う。

 将軍の言葉に、まだまだ知らないゼウトスの習慣があるのね、と思うカトリーヌだった。 

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