54話 我が家へ

「なに、なんなの……? 殺されるの? 私たち……」

 

 アンヌが青ざめた顔をして震えだす。隣で取り押さえられている王妃は、無言のまま縮こまっていた。

 

「今、未来を変えられるのは、あなただけなんです。お父様、ご決断ください」

 

 カトリーヌの言葉に、国王が沈黙する。

 そして、膝から崩れ落ち、ゆっくりと頷いた。

 

「分かった、兵は罰さない。他に、何をすればいい?」

 

「民の税金と、国内の移動にかかる通行料を引き下げてください」

 

 カトリーヌの言葉に、王妃が悲鳴をあげた。

 

「そ、そんなことをしたら、干上がってしまうわ!」

 

「頻繁に、国境に過剰な兵を送って来ているな? それなりに費用がかかっているのではないか?」

 

 フェリクス王子が言い放つと、王妃は唇を噛んで黙り込んだ。

 

「私たちが望むのは、平和が続くことです」

 

「和睦を破ろうとしたあなた達を、無条件で信用することは出来ない。分かるだろう。派兵を諦めて頂くためには、多少は窮々きゅうきゅうとして頂くしかない」

 

 カトリーヌとフェリクス王子の言葉に、国王はぐったりとうなだれる。

 城外から聞こえる人々の声が、ますます高まっている。

 

「…………分かった。そうしよう」

 

 そう呟いた国王は、ぐっと老け込んだように見えた。

 


 

 

 城外の騒ぎは、帰還したエリン兵たちが出ていくことで収まった。

 兵士とその家族が抱き合う姿を見て、恐ろしい未来を避けることが出来たと、カトリーヌはやっと人心地を取り戻したのだった。

 

「カトリーヌ様! ありがとうございます!」

 

「息子の命を救ってくださって、本当になんとお礼を申し上げていいやらで」

 

 そう声を掛けてきたのは、例の日焼けした若い兵士とその父親だった。

 家具職人をやっているという父親が、カトリーヌの手をとって握りこんだ。肉厚でごつごつとした職人らしい手をしていた。最後まで触れられなかった国王――父の手はどんな手なのだろう、と少しだけ切なくなる。

 

「お礼なんてとんでもないです。その、息子さんたちを交渉の材料にしてしまったようなものなので……申し訳なく……」

 

「とんでもない! 息子に聞きましたよ。捕虜っつっても、えらい丁重にしてくださって、鼠が走り回る兵舎よりもよっぽど良かったなんて調子の良いこと言いやがって」

 

「おい親父、あんまり喋ってカトリーヌ様困らせんなって! すんませんホントに」

 

 兵士親子とカトリーヌがお互いにぺこぺこと腰を折り合い、話の切り上げ時が分からなくなったところで、フェリクス王子が小さく咳払いをした。

 

「カトリーヌ。もたもたしていると人が集まる。そろそろ」


「あ、ごめんなさい。それじゃあ、その、お元気で!」

 

 馬に引っ張り上げられながら、カトリーヌが言った。

 

「では。ゼウトスに戻ろう」

 

 なぜか拗ねた様子のフェリクス王子が、カトリーヌを隠すようにして後ろから腕を回して手綱を握る。馬を走らせようとする王子の体の陰から、カトリーヌは後ろを振り向いた。

 

「「ありがとうございましたー!」」

 

 手を振って大声で見送ってくれる父子がそっくり同じ動きをしているのを見て、カトリーヌはそっと微笑んだ。

 近くを飛んでいた羽根ペンが、ちゃっかりと肩に乗ってくる。引きこもりの羽根ペンは、もう飛ぶのも怠いということらしい。

 

「カトリーヌ。何を笑っているのかな?」

 

 王子が訊ねる。

 

「えーと、何ででしょう。なんだか、ほっこりしちゃって」

 

「それは良かった。僕はやっと生きた心地が戻ってきたところだ」

 

「フェリクス様、なにか怒ってます?」

 

 王子のつんとした様子に、カトリーヌは顔を上げた。

 行きと違ってゆっくりと馬を進めているので、会話に苦労はしない。しかし並足で馬を歩かせる王子が、少々不気味だ。

 

「……カトリーヌ、まずは僕に言うことがないか?」

 

「えーと、……槍を向けられたときはどうなるかと思いましたね……?」

 

「それだ。君は危険があると分かってついてきたな? しかもそれを秘密にして。君は本当に、急に大胆なことをするから困る。僕の心臓がもたない」

 

「そうですよ、なんで言ってくれなかったんすか!」

 

 右側に青い馬が並んできて、サージウスが口を挟んできた。

 

「だって、伝えたら止められるかと」

 

「当たり前だ。妻を危険な目に合わせたい夫が居るか」

 

 とりつくしまも無く、王子が言った。

 その通りだというように、サージウスも無言で頷いている。

 

「でも、私が見たものだから、私が伝えないとダメだと思っちゃって……。私、エリンが好きなんです。辛いこともあったけど、楽しい思い出もあったし。だから、未来を変えるために動かなくちゃって」

 

「む……気持ちは分かるが、しかしだな」

 

 王子が納得できない様子で口を曲げる。

 と、今度は左側に黒い馬が蹄の音を鳴らして並んできた。

 

「我も肝が冷えましたぞぉ! 存分に暴れられぬから、気を使いますしな!」

「アマデウス将軍は加減が下手ですからね」

 

 左右からアマデウス将軍とサージウスに挟まれて、かしましい会話が始まりそうだった。

 

「あー、もういいもういい! うるさくてたまらない。とにかく、これからは危険な真似をしないでくれ」

 

 やけになったように王子が馬の脚を速めて、サージウスとアマデウスの会話から逃れた。

 呆れた風に羽根ペンが身をよじって、伸びをする。

 

「はぁい。気を付け、ま、しぅ!」

「分かったから、舌を噛むなよ」

 

 そう言うと、王子がさらに馬を速める。思わず馬にしがみつこうとすると、肩を抱かれて胸に押し付けられた。

 

「僕につかまっていろ」

 

 素直にしがみつくと、王子は少しだけ口元をほころばせた。

 

 ……風が髪を梳いていくのが、気持ちいい。

 牧草地に入っていた。草を食む羊たちが、あっという間に後ろへと流されていく。

 

(そういえば、最初は馬車からこの景色を見たんだわ。一人で、すごく心細かった。でも今は一人じゃないんだ)

 

 あんなに恐ろしく思っていた魔王城に、今ははやく戻りたいと思っていた。

 カトリーヌの愛する城。守りたい居場所へと。

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