52話 交渉の席
準備を整えた一団はゼウトスの城を出発した。
返還交渉については、先に使いを飛ばしている。羽根ペンが
捕虜扱いの兵士たちを囲み、四騎士とゼウトスの兵士が騎馬で進む。
先頭はカトリーヌとフェリクス王子が一頭の馬に同乗していた。
「まったく、馬車を拒否するとは思わなかった」
馬の首に抱き着いて横乗りになるカトリーヌを気遣いながら、フェリクス王子がぼやく。
「だって、馬のほうが、早いです、から」
「昨日になって急に、自ら交渉の場に行くと言い出して譲らないし。君には驚かされる」
「どう、しても、行かないと、いけない、理由が、あるん、で、しぅ!」
「もういい、舌を噛むから黙っていてくれ」
揺れる馬上で必死に話すカトリーヌの頭を王子が片手で撫でた。
カトリーヌが交渉の場に赴くことを強行したのは、彼女が語ったように、行かねばならない理由があったからだった。ひとつは、エリンの兵士を安心させるため。
そしてもうひとつの理由。
カトリーヌが心に秘めた真の理由は、前日に先見した『とある未来』を避けるためだった。交渉の場に自分が赴かなかった場合の未来を。
けれど、カトリーヌは先見の内容も、先見をしたということ自体も告白しなかった。
(きっと、みんなを不安にさせてしまう。危ないから絶対に行くな、と言うもの。フェリクス様は心配性だから)
密かに決意を固めて、カトリーヌは乗りなれない馬に必死にしがみつくのだった。
……そうしてたどり着いたエリンの王城。
城に続く大通りには、王都の民がひしめいてなにごとかと眺めている。出来るだけおおごとにはしないよう話を進めては来たけれど、自国の兵を連れた隣国の一団が通れば、目立つに決まっている。
民はみんな健康そうだ。戦時の、疲れ切った顔つきをした王都の人々を知っているカトリーヌは、人々の元気な様子にひとまず安堵した。
そうしていよいよ、カトリーヌたちはエリン王城の城門をくぐる。
「本当に平気なのか? その、君は、エリン国王や王妃たちと顔を合わせて。嫌な思い出があるだろう」
フェリクス王子からの耳打ちに、カトリーヌは気丈にうなずいた。
「大丈夫です。役目があって来たんですもの」
いよいよ、捕虜の引き渡し交渉の場だ。弱気になっている場合ではなかった。
(落ち着いて……絶対に成功させるわ)
大広間に通される前に、武器を預けるよう促されて、まずひと悶着あった。中に居並ぶ近衛兵たちが武装しているなかを、丸腰で入るつもりはない、と王子が跳ねつける。
交渉の席に着く前から、不穏な空気が漂っていた。
大広間に入ると、入口から奥に向かって真っ直ぐに白い道が出来ている。
両脇には近衛兵が立ち並んでいた。
カトリーヌが目の前を通る瞬間、近衛兵たちは「何故カトリーヌが?」と囁き合い、しかしすぐに石像のように気取った立ち姿に戻った。
大広間の中央に長いテーブルが置かれ、長辺の片側にエリンの王族が並んで座っていた。奥から、エリン国王、王妃、義妹のアンヌ王女という並びだ。
フェリクス王子が代表として国王の向かいに座り、カトリーヌはその隣につく。
カトリーヌと王子の背後には四騎士が立ち、入口近くには捕虜となっているエリン兵とそれを囲むゼウトスの兵たちが並んだ。
カトリーヌが席についたとき、国王も、王妃とアンヌ王女も、カトリーヌのことを見ようとはしてくれなかった。
アンヌにいたっては、目を丸くしてフェリクス王子だけを見つめている。
「この度は、兵士が勝手に暴走して失礼した。無事に連れてきたくれたこと、感謝しよう」
席についてすぐ、エリン国王がそう宣言した。
「なるほど、王のご指示ではなかったということですね」
王子の言葉に、エリン国王はフンと鼻を鳴らす。
「当然。貴国との間に保っている尊い平和を侵した兵どもについては、こちらで処罰をする。それでことを収めてもらおう」
入口に並ばされているエリン兵たちが、小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。
「ま、待ってください!」
エリン国王の残酷な言葉に、カトリーヌが思わず声をあげる。続いて、フェリクス王子が小さな咳払いのあと言葉を発した。
「我々はそちらの兵をお返しするために参りましたが、彼らの処分は望んでおりません。むしろ、彼らを罰しないことを引き渡しの条件の一つにしたいと考えております」
王子の言葉を聞いて、王妃が片眉をあげた。
「あら、なぜですの? 私たちの
「ほう、我々を野蛮で血なまぐさいと噂するわりに、無駄な血を流すのがお好きなようで。それに、大事な娘ならば一人きりで輿入れさせるべきではありませんね」
「なっ……!」
「お母様、アンヌにもお話させてちょうだいな! フェリクス様、とおっしゃいましたわね」
怒りに言葉を失う王妃を押しのけて、アンヌが体を乗り出した。べったりとした声でフェリクス王子に話し掛ける。
「お義姉様は流浪の民の血をひいておりますの。ですからとっても奔放で、共の者も護衛も振り切って勝手に行ってしまったのですわ。そちらでもご迷惑をおかけしておりませんこと? 兵と一緒に返してくださってもよろしくてよ?」
くすくすと笑うアンヌに、カトリーヌは怒っていいのか、悲しんでいいのか、分からないままうつむいた。どこまで愚弄すれば気が済むのだろう、どうして彼女は自分を虐げるのだろう。
顔を蒼くするカトリーヌの肩に、王子の手がそっと触れた。
「義理の妹君といえど、僕の大事な人への暴言は見過ごせません。カトリーヌは素晴らしい女性です。非道なあなた達よりもずっと」
「まあ失礼な! そもそも兵などそちらで処分すればいいのに、わざわざ押しかけてきて何なのかしら!」
アンヌが金切り声をあげる。
と、エリン国王が大きく咳払いをした。
アンヌは一瞬びくりとすると、扇を乱暴に広げて黙り込んだ。
「ふむ、娘が失礼した。しかしアンヌの言ったことにも一理あるようだな。捨て置いてよい罪人をわざわざ連れてきたのは、そちらが武装した兵を率いてこの王城に入る口実ではないか? カトリーヌを連れてきたのも、王城の内部に詳しいからだと考えると理屈が通る」
「馬鹿な! 連れてきた兵たちは貴国の国民ですよ!」
「勝手に動いた兵など、危うくて置いておけぬ。それを処分するなとはおかしな話。もしや、兵のなかに貴国のスパイでもいたかな。扇動しての自作自演。ふむ、残念だが辻褄が合う」
「戯言を申すな! あなたの指示だろう!」
あまりの言葉に、フェリクス王子が立ち上がったときだった。
近衛兵たちが、素早くフェリクス王子とカトリーヌを取り囲み、一斉に槍を向けた。
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