51話 ほっとする味、パン粥。

 その翌日。朝食後のこと。

 

「カトリーヌさまー」

「困った困った困ったよー」

 

 部屋にチェリーたちが駆け込んできた。

 聞くと、捕虜のエリン兵たちが食事を取ってくれないのだという。

 放っておけない問題だ。

 兵たちは、無事にエリン王国に返還しなくてはいけないのだ。

 その道のりで倒れられては心配だし、なにより可哀そうだ。

 

(……きっと初めて私がこのお城に来たときみたいに、いえ、もっと、不安なんだわ)


「アタシたちが行ってもわーわー逃げるんだよー」

「食事をみてもこわがるんだよー」


 チェリーの言葉で、カトリーヌは立ち上がった。

 


 チェリーたちに手を引かれて行った先は、不思議な地下室だった。

 通路は細くうねっていて、その壁は石ではなく産毛が生えた柔らかい素材から出来ていた。その先に床も天井も丸い広場があって、そこにエリン兵たちが集まっていた。広場の床や天井も通路と同じ材質だ。

 天井から等間隔に生えた太い茎が牢の柵の役目を果たしている。そこで初めて、この地下室は植物の内部なのだと気づいた。

 地下室というより、地下茎と言うべきなのかもしれない、とカトリーヌは思う。

 

「あの、皆さん。ここは怖い場所ではありません。閉じ込めてしまって申し訳ないのですが、危害を加えるつもりは絶対にありませんので」

 

 カトリーヌが柵に近寄ると、兵たちは部屋の隅に押し合いへし合い下がっていってしまうので困りもの。

 そういえば、自分もこの城に来たときに、見るもの全てが怖かった。

 自分が初めに安心したのは何がきっかけだっただろう、とカトリーヌは考える。

 

(……質問状だわ!)

 

 不安ばかりの輿入れ。なにもかもが怖く見えたときに、あの生真面目な質問状を受け取った。なれない食材の料理を見ても、王子の優しさと誠実さを信じられたから、食べてみようと思えたのだ。

 

(兵士さんたちの不安を取り除くためには、歩み寄ることだわ。希望を聞いて、橋渡しになれるかどうか試してみよう)

 

 カトリーヌは、部屋の隅で固まる兵士たちに優しく声をかける。

 

「あの、皆さん、いま食べたいものはありますか? まったく同じ材料とまではいかないですけれど、エリン王国風のお料理について厨房に伝えることは出来ると思います。私は、エリンの出身ですので」

 

 そう伝えると、エリンの兵たちはヒソヒソと相談を始める。

 

「無理に決まってる」

「なにを企んでんだ」

「でももしかしたら……」


 漏れ聞こえる言葉に、やはりすぐに信じてほしいというのは無理だろうか、と思いかけたときだ。


「ほ、ほんとに作れるんなら、オレ、パン粥がいい。エリンの味付けで、変な材料じゃない粥だ」


 ひときわ若い兵士がそう言った。彼は日に焼けた肌に、藁のような色の抜けた髪色をしていた。


「パン粥、ですか」


「そうだ。死ぬ前に懐かしい味が食えるんなら、オレはそれでいい」


「死にませんってば」


 はあ。とカトリーヌが思わず漏らした嘆息は兵士たちのざわめきに飲み込まれた。

 みな、エリンの味を思い出して興奮しているようだった。やはり空腹に耐えていたのだ。

 

「わかりました。パン粥なら材料には困りませんから、昼にパン粥を出しましょう。とにかく元気にエリンに戻って頂かないといけないんですからね」

 

 カトリーヌの言葉を聞いているのかいないのか、兵士たちはパン粥の話に花を咲かせている。

 心なしか活気を取り戻したように見える兵士たちを後に、カトリーヌは地下室を出たのだった。



 

 そして、昼になった。

 

「と、いうわけで、エリン風のパン粥を作って参りました。どうぞ」

 

 疲れた様子のカトリーヌが告げ、チェリーたちが小さな椀をガチャガチャと柵の中に置いていく。

 あのあと厨房に行ったカトリーヌは、ゴーシュを手伝って、パン粥の材料選びから味付けまで細かくアドバイスをしなくてはいけなかった。

 

 確かこんな味だった、と記憶と照らし合わせるそばから、ゴーシュが香りづけの薬草を足したがる。それを止める。

 そのたびに押しとどめて、出来るだけシンプルに作ったのだった。エリンの兵たちが安心出来る味になるように。

 

 差し出された椀を最初に取ったのは、はじめに声を上げた若い兵士だった。

 

「だ、大丈夫なのか? お前」

 

「オレが言い出したから。これで死ぬんならそれでいい!」

 

 仲間に心配されながら、震える手でスプーンを持ち、パン粥をすくう。

 

「だから、死なないですってば」

 

 カトリーヌの声がむなしく無視されるなか、彼は意を決して粥を口に入れ、そして。

 

「うまい! うまいよ! これ、オレの知ってる味と一緒だ! みんな食ってみろ!」

 

 そう叫ぶと、どんどんと口に粥を運んで、さいごには椀をなめるようにして食べ切った。

 

 ごくり、と喉を鳴らした兵士たちは、一人二人と椀に手を伸ばしていく。そこから、彼らが鍋いっぱいのパン粥を食べ切るまではすぐだった。

 恐怖でこわばっていた兵士たちの顔が、生き生きとしたものに変わっていくのを見て、カトリーヌはホッと胸をなでおろした。

 

「カトリーヌ様は、本当に俺らエリンの人間を恨んでないんですか? 城ではずっとこき使われてたし、人質として魔族のとこに嫁にやられたじゃないですか」

 

 例の若い兵が、急に気安くなってたずねてきた。

 

「おい、やめろお前」と年かさの兵にたしなめられても平気な顔だ。

 

「エリン城で王に逆らっては生きていけません。エリンの皆さんが、私を憎んで辛くあたっていたのではないと知っています。だから、皆さんを恨む気持ちなんかありませんよ。それに……」


 カトリーヌは言葉を区切り、ふわりと顔をほころばせた。

 

「私はゼウトスに嫁いで幸せです」

 

 その言葉に兵士たちがざわついた。

 彼らに微笑みを向けたまま、安心させるように、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「無事にエリンにお届けするとお約束します。交渉の材料にはなってしまうのですが……帰ってからも罰されないよう、きちんと伝えます。だから、元気で戻れるように、好き嫌いしないで食べてくださいね。ゼウトスの料理も、おいしいんですよ!」

 

 ざわめきがさらに大きくなる。すると、例の若い兵士が柵のすぐ手前にまで進み出てきた。

 

「……カトリーヌ様が言うんなら、オレは、信じることにするよ」


 彼が笑うと、日に焼けた肌から、意外なほど白い歯がのぞいた。

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