第九幕 闇 ②
「終わったよ」
それから一年が過ぎたある日。
葛城は■■が機関にいた頃からの仲間だ。付き合いは長く、親友と言っていい存在だった。■■より先に機関を抜けていたが、■■が放逐されてもこうして協力し続けてくれているのがその証だ。
その親友の口にした言葉に思わず声を荒げた。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。使徒戦争は終わった。使徒側の勝利だ」
その情報なら■■も知っていた。
戦争は使徒側の勝利により終結した。あの機関が崩壊したのにこれだけ抵抗を続けたのはむしろよく保ったほうだ。
それでもやはり、伝染病には勝てなかった。
最大の敗因はこの一年の間に急速に広まった病——近頃ようやく《
表向きは《和平》という形式を取ってはいるが、勝敗は誰の眼にも明らかだった。
「お前が復讐の機会を狙っていた機関の上層部はもうどこにもいない。これ以上捜すのはやめにしないか?」
葛城が懇願するような口調で言った。
「……何を言ってる?」
だが■■は言った。
「何にも終わっちゃいない。先生に無実の罪を着せた連中は前から使徒派と密通してた。連中はいまもどこかで甘い蜜を吸ってるはずだ。仲間、同胞を裏切った腐った連中がな。あいつらを断罪するまで何も終わらない」
「なぁ、もう止せよ」
葛城は■■の肩に手を置いた。
「これ以上何になる? 証拠と言えるほどのものないし、あっても俺たちみたいなちっぽけな奴が相手にされるもんか。これ以上復讐に時間と労力を無駄にするつもりか?」
「お前は全然分かってない。これは断罪だと……げほっ」
興奮しすぎて息が詰まった。■■はしばらく噎せる。
その様子に憐れむような視線を向けていた葛城がぽつりと言った。
「後悔してるからじゃないのか?」
「——何だと?」
「お前がここまで拘るのは何か悔いがあるから。そうじゃないのか?」
「後悔だと? はっ、この俺が?」
■■は頬を吊り上げて嘲笑った。
「俺に何の非があるっていうんだ? 俺は何も間違ってない。なぁ、後悔して懺悔して苦しみのたうち回るべきなのはあの連中だろ? なのにあの連中はのうのうと毎日食って寝て、笑って遊んでいるに違いない。それが赦せると思うか? 赦していいと思うのか?」
「俺だって奴らのことを思うと吐き気がするさ。けどそれだけじゃない。お前は何か知ってるんじゃないのか、白化病について?」
葛城の言葉に■■は黙り込んだ。
養父と交わした会話が脳裏を過る。
『彼女は未知の病原菌を操る力を持っていた。これを解き明かせばこの戦争を我々の勝利に終わらせるばかりでなく、生死、老化のメカニズムさえ覆すことさえ不可能ではないかもしれない』
この一年の間、幾度となく脳内で再生されてきた言葉。
それでも。
「俺のせいでこの伝染病が広まったって言いたいのか?」
「そうじゃない。でもお前がそう思ってもおかしくない」
「馬鹿々々しい」
吐き捨てるように言った。
葛城が悲しげに目を細める。
「結局お前も分かってないんだな。これは正しいことだ。……間違ってるわけがない」
「……そうか」
少し躊躇うように視線を泳がしたあと、おもむろに葛城は立ち上がった。
「悪いが、俺はこれ以上付き合えない。生活があるんだ」
歩き出しながらかつての親友は言った。
「お前も早く、見切りを付けてくれ。そのときは何でも協力するよ」
「ま、待てっ……」
その言葉が聞こえなかったはずはないが、葛城の足は止まらなかった。
思わず立ち上がって彼を追おうとしたが、いきなり何かに脳みそを掴まれたような感覚に襲われ跪いた。
立ち眩みか。最近多い。
意識がはっきりするまで、■■は床に手を着いていた。
はらりと髪が一本床に落ちる。
その髪は透けるように白かった。
それからまた数年が経った。
■■は仕事をしていた。学習教材を作り編集する仕事だ。
生活を保つためには何であれ仕事をしなくてはならない。いろんな職を転々としたが、しかし教材の編集なんて自分がすることになるとは思わなかった。尤も
職場には小さなラジオが付いている。
食事中、ラジオからニュースが聞こえてきた。
数年前から現れた
どうやら使徒は禍鵺に対抗する機関を設立したらしい。そこでは禍鵺と戦うために特別な力を与えられた十代の少年少女が教育されている。
尤も■■はそんなことに興味がない。
重要なのは機関の生き残りをどうやって見つけ罰を下すかだ。いまのところその手掛かりになりそうなニュースはない。
——だが、諦めない。
葛城を、仲間を失っても■■は闘志を絶やさなかった。体調は悪化し生活は苦しく、ろくに活動を継続することも難しかったが、それでも諦めなければいつか機会は巡ってくるはずだ。そう信じた。
片手でサンドイッチを頬張りながらも■■は片手に持った教材のミスをチェックしていた。
そこへ■■の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっといいかね」
上司に言われて普段入らない奥の部屋に行くと、普段見ない強面の男が控えていた。恐らく会社の上層部の人間辺りだろう。剣呑な空気に内心動揺しながらも「何でしょうか」と訊く。
「あー、言いにくいことなんだけどね。君にちょっと悪い噂が立ってて」
上司は太った体を揺すりながら薄笑いを浮かべて言った。
「噂?」
「いやいや、真偽のほどは定かじゃないんだけど。でもそういう噂が立つこと自体喜ばしくないって言うか……」
回りくどい言い方をする男だ。
黙っていた強面が口を開いた。
「以前きみがあの《機関》に所属していたというのは本当か?」
■■は男を見たまま固まった。
——どこでそれを。
激しく動揺する。
「やはりそうだな。機関にいた頃の名前は■■」
そこまで調べているなら証拠も掴んでいるだろう。訊いたのは念のために過ぎない。
「悪いがここにきみを置くことはできない。あれは使徒に最後まで抗った連中だ。個人的な感情はないが、世間がどう思うか分からないからな」
「よく言えますね」
——使徒と最後まで戦った英雄に。
実のところこうして職場を辞すことは初めてではない。既にこの数年で一、二度経験したことだった。その意味では驚かない。そして今更抵抗してどうなることでもないと分かっている。
過去はどこまでも追ってくる。
影のようにその追跡がやむことはない。
「済まないね。悪いとは思っている。今日までの給料は後で送ろう」
上司の男も怯えるような目をこちらに向けている。強面の男は■■が暴れ出すことを警戒するように身構えている。
そんな彼らに蔑むような目を向けてから、■■はくるりと背を向けた。
——また職探しからか。
ごほっ、と咳をしながら■■は街頭を歩いた。
冬空からは追い打ちを掛けるように淡雪が振り続けている。
いっそすべてを白に埋め尽くしてほしい気分だが、あいにく少し体を冷やす程度だった。
ふと硝子窓に映った自分の姿を見る。
髪はすっかり白くなり、頬もこけた。最初はごまかそうとしたが、白化病の兆候は防げるものではない。
この姿を見るたびに視界の端にあの少女の影がちらつく。
この雪のように白い髪。
透き通るような白い肌。
あの日この手で掴んでいた少女が。
そして自ら解き放った少女の影が。
まるで地面に落ちて融けた雪のように、彼女の存在は儚い。いまとなっては本当に存在したのか、幻じゃなかったかとさえ疑うばかりに覚束ない。
——もう一生会うこともないんだろうか?
そう思うと、何か得体の知れない焦燥感が胸裏を走り抜ける。どうしようもなく大切なものを喪ったような感覚に、いてもたってもいられなくなる。特別な感情なんて持ってない、それほどの接触もなかったはずなのに。
何度も繰り返し思い出す。
あの子の手の温もりを。
その視線を——
『ごめんね』
あの謝罪は何に対してだったのか。
もしかしたら——
あの子は知っていたのではないか。
■■がこうなることを。世界がこうなることを。
これから起こるすべてを。
「……まさか」
口に出して呟き、■■は背を丸めて歩き出した。
いつしか肩に雪が積もり出している。
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